2013年 05月 12日
結局サイトはWordPressに
つい先週に案内したばかりですが、書いたものをアップするにはあまり向いていないことが分かりましたので、WordPressにしました。

味気のないつくりですが、少しずつ手を入れていこうと思います。

見たこと、聞いたこと、考えたことをこまめに書いていきたいと思っています。

「通り過ぎたこと」
http://ntaiji.com/hakken/


こちらのRSSはちゃんと出ますので、もしご興味があればぜひ。
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# by taiji_nakao | 2013-05-12 08:24
2013年 05月 04日
新しいサイトをつくりました
このブログをどうするかは決めていないのですが、

最近、 「ntaijiの部屋」 というサイトを作りまして、そちらの方を更新しております。

よろしければ、ご覧ください。
勢いでドメインも取ってしまいました。

ntaijiの部屋

最近、写真を撮るのにハマってまして、といっても、そのほとんどが5分に満たない家と会社の間の写真ばかりなのですが。iPhoneで1か月くらいあれこれ撮っていて、やはり見た感じの色合いにならないので、デジカメを買ってしまいました。

リコーのGR DIGITALの中古の2007年モデルのを買いました。中古でもそこそこしました。自転車を盗まれたばかりだというのに、買ってしましました。

使い方を全然わかってなくて、夜の写真をとったら真っ黒になってしまったり、というレベルですが、iPhoneとの違いは歴然で、少しずつ慣れていって、この絵はいいなあ、と見えた感じを写真におさめられるようになりたいです。もっとも、それに価値があるかはわかりませんが。

Kokenというちょっと変わったCMSを使っています。何度か構築したことのあるWordPressにしなかったのは、カッコよかったから、というだけです。

写真の管理ツールとして、ほとんど設定しなくても、それなりのものができて使えるところがよいです。

コメント機能は無いようですし、RSSを取ると、写真のアップデートしか流れないようで、テキストの方は変えるかもしれません。

最近、あれこれ使っていますが、

技術ネタを、 めも、メモるに、
引用を 引用メモ帳(tumblr)にということにしています。

このブログは長く使ってきたこともあり、どうするか考え中です。
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# by taiji_nakao | 2013-05-04 22:54
2013年 03月 30日
iPhoneにみる市場の成熟過程
携帯売り場の者ですが、iPhoneが本格的にヤバいです

という記事を読みました。

要約すると、

iPhone5にインパクトがなく、売れない。
Androidの方が売れている。
Androidの方が売れるのは、機種が多く、選択肢があって多様なニーズに答えることができるからだ。
iPhoneがスマホの絶対的な王者に返り咲くことはないだろう。

ということです。

おそらく、この書き手の売り場に限らずに、全体として上記の通りなのだろうと想像します。
ただし、アップルの製品数が少ないことを批判している点には同意できないですが。

一言で言えば、「スマートフォン市場が成熟化した」に尽きると思います。
ビジネスの書籍でよく「市場の成熟化」という言葉を目にしますが、スマートフォンのここ数年の状況を見て、「市場が成熟していく過程」を消費者として実感できたように思います。

私のスマホ歴について書くと、スマホデビューはIT業界の人としては少し遅れてiPhone4が出る少し前くらいに3GSを買いました。当時、キャリアの選択肢はソフトバンクしかなく、学生時代から使っていたauから乗り換えました。その後、auがiPhoneを取り扱うようになった時、ソフトバンクが4Sに「実質無料」で乗り換えられるキャンペーンを始めました。iPhone4や4Sを見て、欲しいなと思っていた私は早速それにのりました。
使ってみると、やはり3GSに比べて画面はきれいだし、薄いし、早いし、バッテリーが持つ時間も伸びました。

その後、モバイルルーターを使えるようになったこともあって、ソフトバンクを解約して、電話はウィルコムになりました。それでも、iPhone4Sはいつもポケットに入っています。WiFiが使える家と会社ではもちろん、外でも主にカメラとメモ帳として使っています。

iPhone5が出た時、気にはなりましたが、iPhone5を使っている人のものを見せてもらって、特段欲しいとも思いませんでした。リアルでネットで見聞きする限り、iPhone5がよく売れているという話は聞かないです。新しくスマートフォンを買うにしても、5でなければならない理由はない、というのが大方の見方です。

先に紹介した携帯売場の話で言えば、アップルにとって一番の問題は、iPhoneの種類が数が少なくてニーズにこたえられない、ということではなくて、iPhone5と4Sが同列になってしまっていることだと思います。

ノキアなどもありましたが、現在「スマートフォン」と呼ばれているカテゴリーはアップルのiPhoneから始まったと言ってよいでしょう。

これをレースに例れば、ジョブズがiPhoneの発表をした日からスマートフォンのレース大会が開幕したわけです。その時、走っているのは初代iPhoneのみ。スマートフォンがほしい、という人はとにかくそれを買うわけです。一人しかいないので、当然の一人勝ち。

その後、Androidもエントリーされ始めますが、全く勝負になりません。みんな、アップルの新機種である、3GSや4、4Sの車(機種)の走りに夢中です。なんて速さだ!(薄さ、画面の美しさ、処理の速さ、ぬるぬる感など)。観客は後継機種を圧倒してみせる姿に魅了されました。私もその一人でした。

ところが、Android勢も段々侮れなくなってきます。ぶっちぎるiPhoneと団子状の数えきれないAndroid勢(あとノキアとかWindowsPhoneとかも)。先頭を行くiPhone5は、4Sとあまりかわらず、それほど差が見えない。部分的なところ(カーブのテクニックとか??)では、Android勢に負けてすらいるようになります。

確かサーバのメーカーの人の話だったと思いますが、
「お客さんに、『もっと性能をアップしてくれないと困るんだ』と要求され続けているとき、現場は大変だったけど、その当時一番利益が出ていた」というツイートを読んだことがあります。
なんだかしみじみします。

※ただし、2013/03/30現在 iPhoneはまだまだAndroid勢より使いやすいと思います。


iPhoneはこれからどうなっていくのでしょうか。
おそらく2,3年でOS間の差異はほとんどなくなるでしょう。その時、iPhoneを買うことに対するまなざしは、現在高級車を買うことに対するまなざしに近くなるのではないかと思います。

スマホは何を使っているのかと聞かれて、おもむろに数千円のFirefoxOSのデバイスを取り出して、ウェブアプリが充実しているしこれで十分、という方が、高額もしくはキャリアの縛りのきついiPhoneを買うよりずっと「クールだ」と言われるようになりそうです。その時、別のものにお金をかけているはずです。スマートフォン、タブレットの次の。

アップルとしても、成熟した市場で今の利益率を維持できるはずがないので、その「次」でも存在感を示せるか、が勝負になるはずです。「次」は、ウエラブルコンピュータと呼ばれる分野でしょうが、ヒットするのはグーグルグラスなのか、スマートウォッチなのか、あるいは別の製品なのか誰にもわかりません。

そして、その分野で勝てなければ、大規模なリストラが待っているわけです。

iPhoneが売れなくなるとか、次の市場でうまくいかなければリストラが待っている、なんて書くと否定的に取られるかもしれませんが、これは当たり前のことだと思います。市場は変わりゆくものだし、挑戦には失敗がつきものです。

ただ、日本では当たり前ではないようで、新しい市場への挑戦もせず、利益を出せていないのに、高給取りをリストラできず、追いだし部屋なんてものを作っているようなのですから。
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# by taiji_nakao | 2013-03-30 13:14 | ITのこと
2013年 03月 03日
なぜ過剰に「空気を読む」のか
精華大学で、「日本語リテラシー」という、作文を教えている知人と話していた時のメモ。

統合的なイメージを持っていないことに対する疑問がない

例えば父親が嫌いだと書きながら、他では父親が好きだ、と書いている学生がいる。こうした矛盾した記述があることに疑問すら感じないという。一面は好きで、別の面が嫌いということは当たり前にあることだが、単に好きと言っておいて、また単に嫌いと言われたら、どうして?と思わないのは不自然だ。しかし、そういう感覚がないらしい。なぜか。

それはつまり、「どうして?」と聞かれる機会をほとんど持たずに生きてきたかららしい。友だちはたくさんいるかもしれない。しかし、断片的な部分を共有する人しかいない。だから、一方で父親は好きといい、一方で嫌いと言っても特に疑問を持たれない。中には、言ってることが違うと気がついても、それを指摘するような関係ではなかったのだろう。


自分を認識する対象を感情に置いている

同じ教室の学生たちのほぼ全員が、「空気を読み合う関係に疲れた」と書いているという。なんともシュールな光景だ。どうして、そういうことになってしまうのか。

断片的な人間関係しかないこととも関連するが、自分が社会の中でどんな位置にあるかという、客観的な物差しを持たず、自分自身の認識の根底を自分の感情に置いているからだろう、というのだ。

例えば、「花いちもんめ」という遊びでは、プレイヤーはストレートに客観的評価に晒される。このような、自分が社会の中でどんな位置にいるのか、ということを受け入れざるを得ない場があって、自分自身の認識をそこにあわせていく機会が、かつてはあった。

しかし、「心を傷つけてはいけない」ということが第一にされ、運動会で一等賞がなくなるような環境では、自分がどんな位置にいるかを知る機会がなくなった。外部との接点において自分自身を把握する軸を持つことが出来なくなった結果、把握する軸を自己の内面に求めるようになる。

手帳にはたくさんのプリクラが貼ってある。誰々ちゃん、誰々ちゃん、友だちがたくさんいて、楽しい自分。自分は楽しく暮らしている。予定はみっちり詰まっている。私は充実している。

自分自身の感情を、自己を規定し、認識するよりどころにしている。楽しい自分。
しかし、感情とは移り行くもので、不安定なものである。そして、その感情を自己認識のよりどころにしていることをお互いにわかっているが故に、負の感情を呼び起こすようなことは決してしない。このようにして「空気を読む」関係になっているのではないか、というのである。
※この辺りの分析は「友だち地獄」という本に詳しいらしい。

まだ知らない本当の自分がある

例えば、自分は歌手になりたいという学生がいる。しかし彼の歌声はひいき目に聞いても上手いと言えない。それで、ちょっと歌手になるのは無理じゃないかと指摘すると「どうしてできないと言えるのですか」と真顔で返される。

自分にはまだ自分もわかっていない本当の自分がいる。この感覚は、私自身も身に覚えがある。リアルな社会との接点から導きだすのではなく、ぽんと出てくる、発見するものだという感覚。

客観的な評価に晒される機会を持たず、個性が大事と言われ続ければある種必然の結果なのかもしれない。

その背景に「個性」が大事であり、「自己表現」が大事である、という価値観がある。大事なのは間違いないが、なぜか過剰に優先しようとする人が多い。
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# by taiji_nakao | 2013-03-03 09:47 | 考え事
2013年 01月 20日
映像を作るワークショップに参加して
昨日、ショートムービーを撮る、短歌をまず作って、その短歌をタイトルにしたショートムービーを撮る、というユニークなワークショップに参加した。

(短歌制作の部分もとても刺激的だったけど、今回は省略)私たちのチームは「しりとりをしていて声が小さくしていって、距離も縮めていく」という趣旨の短歌で映像を作ることになった。いろいろ考えて、「レズビアンである一人が仲の良い親友にその気持ちを伝えようとするが、最後に踏みとどまる」というテーマに決まった。

設定上、私はカメラ担当になった。

とりあえず屋上に出て、「好意を抱いている方が引っ越しの物件を見に来ていて、そこで一緒に住まないかという形で想いを伝えようとする」という設定でやってみるが、これが、難しい。で、あれこれ、みんなで、うーん、っとなっていた。そこで映画監督である講師の方が来られて、まずやってみたら、とアドバイス。

で、やってみて、とりあえず、会話をしてみる。広い家だったね〜 リノベーションしようと思ってる 手伝ってくれる?

で、途中からしりとりに行くわけなのですが、これがどういけばいいのかわらず、そのままフェードアウト。

講師からは、前置きが長いねなどいくつかコメントを頂く。その後、私がどう思ったか聞かれる。

3人のチームだったので、全体を見るのはカメラ担当のみで、成り行きで演出担当(と呼ぶのが正しいか自信はない)に近いものにもなる、ということをその時に知る。

といわれても、う〜ん、となってしまって。最後はどうなるのか決まっているのかと聞かれて、踏みとどまる所以外は、実はまだ決まっていない。と、メンバーの一人が答える。そのときはこれで出来るのか不安だった。

でも、とりあえずやってみることが重要と言葉を思い出し、進めているうちに、私はリズムに乗っていった。

まず、やってみる。それで不自然なところを見つけて、それについて2人に伝えて、みんなでどうしたらいいか考える。

とりあえずの結論を出して、再度やってみる。その繰り返し。

「人を機械のように扱っている」という誤解を恐れずにいうと、これはアジャイルと呼ばれるプログラム開発の手法そのままであり、私は「ではやってみましょう。よーい、スタート」と言うときは、(いつもウェブアプリを開発しているので)、ブラウザに画面を切り替えてF5キー(再読み込み)を押して、今作った箇所を動かしてみている時の心境そのものだった。

それで不自然なところを見つけて、止めて、どうやって解決するか考える。

まずは自分で結論を出して進めるしかないが、ある程度の段階、あるいは自分で結論を出せなくなったときにみなで会議する。

その時の会議に「この画面のレイアウトの不自然さ(例えば、ボタンの位置が分かりにくいなど)を解消するにはどのような仕様にするばよいのか」を議論するのと、映像を作っている時にみんなで、「不自然さをなくすためには、どのようなセリフ/動作であれば自然か」を議論するのがすごく似ていたから、もう、とても慣れた作業だった。

そうやって進めているときに、メンバーの一人は演劇の経験者だったのだけど、私に演劇とかやってたことあるんですか、凄く指摘が的確です、っていわれて、とても嬉しかった。

ただ、思い当たることはあった。私は、「あらゆる人の気持ちを先入観や偏見なく共感したい」ということを人生の大きなテーマにしている。これはカウンセラーの心得であり、一時期本気でカウンセラーになりたいと考えていた時期もある。

だから、この人はどういう感じ方/考え方をしているのだろうってことをいつも理解しようとしてきた。そして、映像のシーンで「この人物はこのような言動を取ることがふさわしいか」と考える上で最も重要な視点になる。

そしてもう一つは、営業資料を作ってきた経験。例えばウェブサイトのデザインを決める会議では「初めて見た人に伝わるか」ということが常に問われる。提供側は四六時中関わっているから何もかも知ってしまっているが、お客様は基本はふらりとやってきた、知識も関心レベルもどの程度あるかわからない存在だ。だからこそ、意識していつも「これで初めての人に伝わるか」ということを議論している。

映像にする場面を見つめるときも、まさにこの営業資料作成会議の時の気持ちでいて、
「これで本当に伝わるか。」と考えていた。

この2つの要素を日々意識していることが、実は映像を撮影するときに非常に役に立った模様。

そして、これもプログラム開発にも通じるのだけど、生の経験があるかということがとても大事。
(撮影とプログラム開発に関しては、かなり共通点があるので、これは別にまとめる予定)

例えば、「一緒に住まない?」としつこく迫った後に、気まずさをごまかすために、誘う側は一緒に住むことのメリットを並べるのだが、私にはシェアハウスに住んでいる知り合いがたくさんいて、彼らがそのメリットとして、「一緒に食事をする人がいることのありがたさ」を語るのを散々聞いているので、やはり、食事については触れてもらう方がよいだろう、とか。

こうやって、僅か3分程度の映像を撮るために、2時間くらい散々考え抜いたので、すっかり映像を見る感覚が変わった。

その後、講師が制作した映画を観たのだけれど、一つ一つ、例えば、2人の男女の座ったときの距離とか、そういうところに目がいくようになった。

他にもたくさんの発見があったのだけれど、昨日のワークショップは本当に気づきが多かった。
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# by taiji_nakao | 2013-01-20 09:55 | 参加したイベント
2012年 11月 04日
「無料なのに素晴らしい」は死語になる
金融日記の藤沢氏のブログ記事、「コンテンツの時代」を読んだ。相変わらずの身もふたもないカラーが発揮されている。

簡単にまとめると、インターネットの時代になってみなが発信できる時代になって、いままで以上にアマチュアにクリエーターとしての役割が期待された。だが、ふたを開けてみるとコンテンツを提供している人は一握りであり、そういう人はみな、ちゃんと金銭の見返りが得られるところに集まっている。

結局のところ、自由で無料のインターネットが、豊かなコンテンツを次々に生み出すことはなかったのだ。

というわけである。

藤沢氏は全般的に身もふたもない書き方をするけれど、確かにそれは一面の真実だ、という思うことが多い。この記事もそうなのだが、そうなのだが、コメントに残している人もいるように、腑に落ちないところがある。


こうして多くのコンテンツが、素人クリエイターにより制作され、人々はほぼ無料でコンテンツを楽しめるようになるというのが大方の予測だった。

そういう時代の空気は確かにあった。だが、その結果が、

無償のクリエイターにより作られる無料の面白いコンテンツなど、ほとんどないのである。

と言われるとう〜ん。そんなことないよ、あれもあるよ、これもあるよ、と言いたくなる。
「ほとんどない」と言っているのであって、「ない」とは言っていないので、ここでその例を出すのは議論としては野暮なのだが、腑に落ちなかった心境を説明するために、いくつか最近面白いと思った無料コンテンツを紹介する。

森のくまさんの謎
多くの人に親しまれた童謡「森のくまさん」なのだが、歌詞をよくみるとおかしなところがある。
だが、それには隠された謎があったのだ、ということを理詰めで説明している力作である。

完全に一致な画像集
にちゃんねるまとめサイトで、全然違うもの同士なんだけどよく似ている、という画像を集めたスレのまとめ。これを一人で作ろうとしたら、高いセンスと相当な時間が必要でほとんど不可能だと思われる。

twitterやらfacebook経由でこういったコンテンツに触れたことがある人なら、

無償のクリエイターにより作られる無料の面白いコンテンツなど、ほとんどないのである。

と言われたら、そんなことはないよ、と思うのが人間というものだ。
だから腑に落ちないのだが、しかし、最近ウェブ上でも有料コンテンツが増えてきていることははっきりと感じる。

私が触れるコンテンツも有料経由のものが少しずつ多くなってきている。
有料メルマガを購読したり、閲覧するには有料会員になる必要のあるブログというのもある。
さらに、最近オープンした、週150円の cakesの会員になるのも時間の問題な気がする。

* * *

この辺のもやもやを整理するために、状況を掘り下げて考えてみると、

「金のためではない」人々の創作意欲により良質なコンテンツが継続的に作られることはなく

という点がポイントだと思う。有料メルマガをやるなら、毎週一定以上のクオリティの文章を書き続けなければならない。これは、文才や知識に加えて、きちんと毎週書く習慣を維持できる資質と、その時間があるということが必要になってくる。

そして、これらの条件に合致する人というのは少なくて、その結果、アルファブロガーもアゴラの投稿者も有料メルマガを発行している人も、同じようなメンバーになってしまうのだろう。

別の視点からみると、そのような人をメディアが育てることができるのか、ということになる。
物書きという点では、新聞社や雑誌、そして出版社が育ててきた。
そのようなメディアが今後、ウェブ上で登場するだろう。となれば、彼らを食べさせる仕組みが必要で、その仕組みが今作られているところ、というわけなのだ。

さて。
では、無料のコンテンツはどこへ行くのか。優れたコンテンツはすべて有料になってしまうのだろうか。そんなことはないと思う。

* * *

学生時代に、趣味で木製のからくりおもちゃを作っている方にお会いして、ご自宅の自作おもちゃを見せていただいたことがある。例えば、お茶運びじかけのおもちゃ。畳の上で向かい合ったところでねじを巻いて手を離すと、半円状にぐるっと回って移動してきて、私のまえに来たら、お辞儀をして、中にあるコップを持ち上げた。あるいは、球体に人形がくっついていて、坂を転がすと、その人形が器用に手足を動かしてバク転を繰り返すものもあった。何年も前の話なので細かい点はうろ覚えだが、次々と出てくる、動力源はねじ巻きのみ、ねじ巻き以外はすべて木製の魔法のようなおもちゃに圧倒されたことははっきり覚えている。

元々エンジニアで設計をする仕事をしていたらしく、おもちゃを作るときの図面は本格的だった。きれいな線で書かれた図面を見せながら、設計の時に体積を計算する必要があって、久しぶりに積分計算をしましたよ、と笑っていた。特に精度が要求される部品については、その部品を作るための道具まで自作しているという。

木製からくりおもちゃの世界のことは知らないが、これほどのものを作れる人はそうそうはいないと思う。知り合いには個展を開くようにといつも勧められていたそうだが、そういったことにはあまり興味がないようだった。お金を稼ごうなどとは、夢にも思っていないだろう。

そういうクリエーターはたくさんいる。
日本には、そんな隠れたクリエーターが特にたくさんいるような気がする。
そして、今までは見つけることが難しかった、そんなクリエーターたちとの出会いをインターネットが可能にしてくれるだろう。

* * *

ウェブの世界では無料であることを過度に礼賛する傾向がある。

しかし、単発のコンテンツを評価する場合、それが「無料か否か」を問うこと自体、意味があることなのだろうか。

その無料コンテンツは、趣味の時間にこつこつと、生涯を掛けて作った渾身の作品かもしれない。
その有料コンテンツは、バイトがルーティンワークでこなした結果かもしれない。

お金を払う理由は、必ずしもコンテンツの質に関連するのではない。
毎週同じテーマのコンテンツを欲しているからかもしれない。検索して探す手間を省くためかもしれない。あるいは、クリエーターへの応援の気持ちもあるかもしれない。

2012年現在、制服をちゃんと着ている真面目そうな学生が席を譲るより、金髪のお兄ちゃんが席を譲る方に目がいきがちだし、話題にされやすい。その心の中では、「金髪の若者は不良」というステレオタイプな前提がある。しかし、津田大介氏のような、金髪だけどまじめな著名人も出てきたわけだし、もういい加減、その前提は変えた方が良い考える人は増えてきている。

同じように、「無料なのに素晴らしい」という話題の前提にある、「無料で提供されているコンテンツは低質なはずだ」という前提を改める時期に来ているのだと思う。
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# by taiji_nakao | 2012-11-04 10:37 | 考え事
2012年 10月 28日
傘立てとビニール傘をめぐる出来事

ー入口の傘立てを利用する時に注意すべきこと
1.店に入る時雨が降っていて、店を出る時雨が止んでいたら、傘を忘れないように注意しなければならない。
2.店に入る時雨が降っていなくて、店の中にいる時に雨が降り出したら、誰かに傘を持っていかれないように注意しなければならない。


喫茶店に入ると、坊主頭の男がちょうどレジに立ったところだった。店員はとりあえず水を運んできたが、注文を受けるのはレジが済んでからということになった。
常連なのか男はチケットを買っている。
そして、外をじっと見ている。雨あしが強いことに困惑しているようだ。しばし、逡巡している。店には、男の他にもう一組客がいるのだが、傘立てには自分の傘を含めて2本しか入っていない。男は傘を持ってこなかったに違いない。

この男、怪しい。取るつもりじゃなかろうか。
案の定、外に出た男はしゃーしゃーと傘を手にして広げようとしたので、駆け寄って睨んだら謝ったのだが、別の傘を広げて去って行ってしまった。

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2時間ほども長居したら、雨あしが強まったようだ。よく見ると、ずいぶんと激しい。ああ、めんどくさい。この喫茶店はお気に入りで、モーニングで2時間ほど粘って本を読むのが週末の楽しみの1つになっている。店のマスターは面白い人のようなのだが、まだあまり会話をしたことはない。で、ちょっとコミュニケーションをとりたい気持ちもあって、あれれ、雨が強くなってしまって困ってしまいました、という気持ちを込めて外を眺めていた。その続きで会話をするでもなかったのだが。

傘立てにビニール傘は2本。1本は細い黒のテープが巻いてあるタイプだ。今、家にビニール傘は3本あるのだが、そのうちの1本はこのタイプだった。今日このタイプを選んだかは記憶が定かでなかったが、置いた場所がこの位置だった気がしたので手にとって開こうとした。その時、さっき店に入ってきたおじさんが迫ってきた。凄い形相だ。どうも自分は傘を間違えたらしい、と思って、とっさに謝って、別の傘を持って行った。

傘を差しながら、自分は傘を持ってきただろうかと自問する。間違いない、差してきた。朝からそれなりに雨は降っていたのだからいくらなんでもこれは間違いない。

そう考えると、あのおじさんの反応はちょっと不自然だ。2本の傘はどちらもビニール傘で、代わり映えがするとも思えないから、それを取り違えたことに対する抗議にしては大げさだ。
そもそも奥のほうに座った彼がその判別をできたのか怪しいものだ。

彼の反応は不当である、と言えるだろう。あの場面ですぐ謝るのは良くなかった。「あら、傘を取り違えてしまいましたか?」とにこやかに語りかけるべきだった。

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店に残された、おじさん、マスター、もう一組の親子連れがどんなことを思っていたのか興味深いのだが、詳細は不明だ。ただ、家に黒いテープが巻いてある傘がなかったことからして、紛らわしい行動と思い込みとミスコミュケーションが引き起こした喜劇ということに落ち着くようだ。
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# by taiji_nakao | 2012-10-28 12:50 | エッセイ
2012年 10月 20日
ヘブン 川上未映子
自転車の後輪がガタガタになってしまって、本当は千里山を超えて緑地公園を下り部屋に戻ってから京都に行く予定が、ガタガタして常にブレーキ状態の自転車に力つきて、そのまま阪急に乗って京都に行くことにした。

それで、時間ができたので、南千里の田村書店で本を物色して目についたのが、川上未映子のヘブン。

どうしようもなく虐められる、中学生のお話。
ちょっと読むのもげんなりするような場面もちらほらある。ここに書かれているようないじめも存在するのだろうなとも思う。

小説で特徴的なのは、同じクラスに酷く虐められている男女が一人ずついて、密かに手紙をやり取りしたり、夏休みには「ヘブン」にデートに行ったりする。

この二人の物語だと思って読んでいたのだが、最後、女の子がどうなるかわからないで終わる。
これはあくまで、主人公である僕の物語なのだ。

物語の形式通り、主人公の僕は異界へ行き、そこからこちらの世界に戻ってきた。

終盤、虐める側に回っている一人がものすごい極論を言う。みんな、利己的に生きてるだけなんだから、お前もなんとかしたいと思うなら、自分でなんとかしろよ。おれは、お前に酷いことをしているとは思うけど、そのことを何とも思わない。お前のことは知らないよ。みたいなことをいう。

この種の理屈は、私も考えたことがある。これはもしかしたら時代性なのかもしれない。
自己責任論。ちょっとこの中学生頭よすぎだろ、と思ったけど。。

2人で理不尽な状況を耐え、ともに闘っている同志と無言で励まし合っているさまは、自己責任論を振りかざす男子に対して、そうじゃないんだ、弱いものが助け合うのが世の中なのだ、と主張しているようにも思える。

でも、その彼女は自滅の道を歩んでいき、そして僕も一緒に来るように手招きする。

とても重要なことは、一番最後いじめが発覚した時、初めて登場したかのような主人公の義理の母親が、主人公をこちらの世界に引き戻したことだと思う。

私はあなたが言うことしか信じないから、と言って。
そして、ちゃんと気持ちに理解を示した上で、控えめながら建設的に生きることを提案する。
生きるということは極論でないことや、そのほか大切なことをわかっている大人。

阪急の河原町の駅のベンチで最後まで読み終えて、つくづく、そういうことをわかっている大人になりたいなと思った。
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# by taiji_nakao | 2012-10-20 01:47 | 本を読んで考え事
2012年 10月 08日
三連休
ソフトバンクからWILLCOMに変えようと思って、相談に行く。
江坂駅前には両方の店が隣の隣の隣の隣の隣の隣くらいに近接しているので、つまり、同じ通りに面しているので、便利である。WILLCOMの店内に入ると2人のお店のお姉さんがいるだけだ。

料金プランは基本的に一つのようだ。わかりやすい。
私に説明してくれたお姉さんは料金を説明する際に、紙に基本料金××円、掛け放題××円と数字を書いていくのだが、対面の状況でこちらに向けた状態で書いていく。つまり数字を反対向きに書いていくのだ。器用なことをするなあ、そういう教育なのかなと思ってみていたのだが、これが下手なのだ。

一生懸命に書いているので突っ込むのもどうかと思って逡巡していたが、あまりに進まないので、ついに横に置いてもいいですよ、と言ってしまった。しかし、言った時が最後の記入だった。

そのせいか一通りの説明をおえ、帰るときお姉さんはやや不機嫌だった。
もしかしたら、サンダルだったのがいけなかったかもしれない。いや、その場で契約の話がなかったからか。

ちなみに、ソフトバンクは11人待ちだったのであきらめた。がんばれ、WILLCOM。

* * *

靴の中が蒸れてしまって、靴を脱ぐともわんと臭いが漂うようになってしまったので、消臭スプレーを買おうと思って入ったドラッグストア。一通り散策したものの、どこに置いてるかわからないから、店員のお姉さんに聞いた。一瞬考え、無言でその場所に歩き出した。さすが店員と感心するが、一言も話さないばかりかこちらを見もせず指差して去っていった。無愛想なことだ。で、その道を戻ってレジにいき、商品を置いたら、そのコンマ1秒後に営業モードになってにこっとしてお辞儀した。お化粧がきれいな人だと思った。

* * *

5階に住んでいるのだが、道行く人の声がはっきり聞こえたりする。遮るものがないと、通るものなのだろうか。帰って窓に面している机に向かって座ったら、「了解」というトランシーバーの声がうっすらながら聞こえた。最初、iPhoneからなったのかと思うくらいすぐそばで聞こえたように思った。あるいは風呂場の換気扇づてに離れた場所の音が響いてくるような感じなのかもしれない。だけど、外にはそれらしき人の姿もなかった。

* * *

祝日の月曜日の今日は、第2月曜日だからビン/カンの日。ちょっと溜まっていたので、今週こそ出すことにする。今日は出かけるので、そのタイミングでもいいのだけれど、洗濯機は当分回っていそうで、家事もずいぶん溜まっているように思われたから、めんどくさいけど、ゴミ出しだけのために一階に下りることにする。しかし部屋に戻ると、洗濯は終わっていたというオチ。そして考え直すと、特に他にやることがないので、爪を切って、さらに爪切りの掃除というものをしようとしたら、外に回収車が来ていた。小さくよろこんだ。

* * *

我が家の爪切りは、爪切りの鉄の部分とプラスチックの部分がある。プラスチックの部分に収納する、というイメージだ。よくみるとプラスチックの部分の内側が汚れていたので掃除することにする。でもどうやって拭くのか。考えるのがめんどくさくなって、ティッシュで拭いた。乾いていると汚れは取れにくいので水を少しだけつけて拭いた。奥に届くように箸で押し込んだ。

こんなことをすれば、詰まってしまうと思ったが、そのまま作業を続けて案の定詰まった。取り出すのは容易でない。100均で買った爪楊枝はすぐに折れてしまうので使い物にならない。3本くらい折ってあきらめた。こんなときくらいしか使われないくせに、みっちりと蜂の巣の小さい版のように詰まっている爪楊枝はすこしかわいそうである。

箸の先にフックがついているのようなモノがあればいいのだが、と何度も思ったが、そんな都合の良い道具などない。押し込んでいるのか、取り出しているのかわからなくなるが、「こうやって自然にきれいになっていくという仕掛けなのだ」と思うことにして箸でつついては取り出そうとすることを続けた。

ティッシュがちぎれるばかりなので、下向きにしてとんとんと叩くことで振り落とす作戦にでてみた。失敗。落ちる気配なし。今度はえいやと水をもっと含ませる。これで箸でつつくといよいよ奥に押し込む作業になってしまう。

・・・ここまでか。
と思って、下向きにしてどんどんと叩いたら、すぽっときれいに落ちた。計算通りだ。

* * *

初めての喫茶店。喫煙席のほうには人がいなかったので、そちらに行こうとしたのだが、おタバコは吸わないと応えてしまったため、禁煙はこちらですと案内された結果、別の客のいる隣の席に座ることになった。

主婦の二人がドラマの話をしている。熱心に登場人物と話の筋を長々と説明している。俳優女優の名前を上げ、設定について一つずつ細やかに説明していく。たまにこういう場面に出くわすことがある。その週のジャンプのONE PIECEについて熱心に語る男性の声が聞こえたこともある。だいたいは二人組で一人が熱を込めて語っている。

勝手に聞こえている私はなんだか勝手に恥ずかしさを感じてしまう。誰にでもアクセスできる他人が作った物語を10分とかいう時間熱意を持って説明するというのはどういうことだろうか。聞いてる方は面白くないんじゃないのかなとか。

でも、チラ見すると聞き手は自然体である。たぶん、よくあることなのだろう。だとしたら、そんなふうに時間を過ごせる関係というのは悪くないなとも思う。いや、すばらしい関係なんじゃないか。
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# by taiji_nakao | 2012-10-08 22:48 | にっき
2012年 08月 19日
明治維新とロケット
「オレのひいじいちゃんは、鹿児島から北海道まで歩いて行ったんだ」
と彼は言った。

後から振り返れば、それは照れ隠しと、ひがみが混じっていたのだと思われる。

××××と聞いて、歴史の教科書を思い出す。
明治維新でのかなりの人物だったはずだ。何をした人なのか思い出せないが。

「それは凄い有名な人物じゃないですか」
みたいなことを言ったら、そう言ってくれたのは初めてだ、と言って喜んだ。

戊辰戦争で函館まで戦ったということだから、確かに、当時は車も飛行機もないから、歩いていたというのは事実だろう・・

今度いつ来るんだい?家系図を見せるよ。

家系図をつくるのにもそういう業者がいて、営業をかけてくるそうだ。
営業リストは歴史の教科書から作るのだろうか。
いや、おそらくそういうリストも出回っているのだろう。

そんな風に考えると、別にさほど見る価値が無いようにも思える。

ずっと、ロケットの部品を開発している会社を経営していたそうだ。
その会社は今、宇宙に行けるエレベーターの開発に関わっているのだと言う。

つまり研究段階は終わっているということらしい。

「合金は重い。」
「ほんと、初めてなんだから。」
「若くて、学校の時期が近いから覚えていたんだねえ」
「カーボンは軽い。」

明治と宇宙エレベーターが行き来する。アルコールが潤滑油である。

そんなに安全なワイヤーは出来るんだろうか。

ただ、スペースシャトルほどは出せないが、そこそこの大金を出しても宇宙に行きたいという人はたくさんいるから、なんだか実現しそうな気がした。
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# by taiji_nakao | 2012-08-19 13:02 | にっき