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2009年 09月 21日
昔はよかった。の意味することは変化した
昔はよかった。
という話を、私は、基本的に信じない。
仮に、ある基準でそういえたとしても、トータルで言えば、そんなことはない、と言いたい。

いつの時代にもいいところも悪いところもあるのだけれど、人は過去を美化する傾向があるから。

これまで、昔はよかったという文脈は、経済が発展して、失われたものに向けられているロマンチズムである傾向があった。
衣食足りて礼節を知る、は真理だと思う。
衣食足りている人たちが、足りていない時代がよかったというのは、基本的に間違っていると思う。


でも、時代は変わってきた。経済は、悪くなっているのだ。
右肩上がりの、シアワセな時代は終わったのだ。
だから、今までよく言われてきた「昔はよかった」という言葉の意味するものが変わってきた。

「終わりの始まり」の足音が聞こえてくる。

学生と話していても、9月の段階で内定がないという4回生がたくさんいるし、卒業しているが定職がない、という人も多い。
私は、就職して間もないので、好景気、というものを知らないから、よくわかないけれど、仕事をしていても、ああ、これが不景気の影響なんだな、と思うシーンが多い。

その一員である自分がいうのもなんだけれど、これからを担う若者の内情、というのも大変のようだ。

現実と自分の思い込みのギャップを思い知らされる場面がないまま、大人になること。
それは、自分でも思い当たる節がある。

たとえば昔は、大学院に進むことは難しかった。特に文系で、博士をとるなどとても大変だった。
ところが、大学院改革で大学院は乱立、学生の数に応じて助成金が決まるから、みんなたくさんとる。
たくさんとって、卒業させない、ということもできずに、結局質が下がる。
挫折を知ることなく、しかも自分の可能性を社会の現実より過大評価する20代後半が量産される・・・

人材会社で働く人は、面接をすっぽかすなどする転職希望者の礼儀知らずさにため息をつくが、
大学関係者は「そこに行く人はまだましな方だ」
という。

昔もそういう人は同じ比率でいた。
でも、そういう人は大学に来ていなかっただけだ。
というロジックが正しいと信じたい。
だが、仮にそうだったとしても、「そういう人」はどこかで働いていただろう、きっと。


今の日本はかつてのアルゼンチンに似ている、とというエッセイを読んだ。
アルゼンチンは、かつて、先進国だった。
農業が基幹産業の時代の覇者だった、らしい。
しかし、その後、世界が工業社会に移る中、移行できなかった。人材は農業が囲い込み、政治はリーダーシップを取れずに、政局争いに終始した。

工業が基幹産業だった時代、日本は覇者だった。
しかし、その後、世界が情報社会に移る中、移行できなかった。人材は、工業が囲い込み、政治は・・・・
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by taiji_nakao | 2009-09-21 08:54 | エッセイ
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