<< 流れにのること・流れをつくること ネットワーク >>
2005年 04月 19日
社会をゆがませているもの
 久しぶりの投稿ですが、このサイトは死んでません。ペースはゆっくりになりそうですが、書きます。

**

=======================
努力し、成功したものはそれ相当の報酬を得て当然だ
=======================

と世の中ではとらえられていて(=ひとつのパラダイム)、「勝ち組」になろうとみんな必死です。
しかし、これが当然であっては困る、というのが今日の論点です。
(久々に登場で何じゃこりゃって感じかもしれませんが)

この意見には2つ問題があります。

1つめ。
===================
努力しない人は自業自得だから、ほっとおけ
===================
いいんでしょうか?

こう考える人は、「努力とは誰でも平等にできるものだ」ということ(=これもひとつのパラダイム)を前提にしていますが、世の中を見ればわかるように、そうではありません。
努力できる、というのは資質、もっと言えば、能力の一つなのです。

こうした人が減って、より多くの人が努力できるような社会にしていくべきですが、おそらくいつの時代にも一定数以上いますし、今の時代は減るというより、むしろ増えているようです。

能力のあるものはどんどん富み、無いものはどんどん貧しくなる。しかも、こうした「努力できる」いいかえると、「希望を持てる」という考え方=「パラダイム」は、家庭環境に大きく左右されるため、ますます、持つ者と持たざる者の格差は広がってゆく。これが、「希望格差社会」でしょう。
(自分では読んでいませんが、いくつかのレビューを見るに)

今どんどん、これが進行していますが、その根本に「努力しない人は自業自得だから、ほっておけ」という考え方=パラダイムが大きく作用しています。

2つめ。
=========================
成功したら、どんな額であれ、それ相当の報酬を得て当然だ
=========================
例えば、経営者になって大成功を収めれば、億単位のお金が入ってくることもあるようです。

素朴な疑問。

そんなにもらってどうするの?

日本は伝統的に経営者などのエリートの報酬は小さいようです。世界的にみれば、トップはもっともらっているようです。しかし、最近堀江社長のように、「成功し、巨額を手にする」ことが一般的な考え方=パラダイムとなりつつあります。

しかし、まあ、大目に見て年収1000万までならわかりますが、例えば、億を超えたら、3億だろうと、20億だろうと変わらないと思うのですが、どうでしょうか?

しかも、一方では一生懸命、社会のためにがんばっていて、ほんの数万がのどから手が出るほど欲しい人がたくさんいるのに・・

例えば、以前紹介した、スポーツ少年団をボランティアで教えているコーチは、「一銭の支援もない。それどころか、サッカー協会なるものは、会費だと言って、個人から巻き上げる」と嘆いていました。

世の中のNGOの人たちは、特に日本では、人件費を出す助成金が少ないため、生活、かつかつで仕事をしています。大きな貢献をしているにも関わらず。そんな人にあと、月2,3万あれば・・

***************

日本は最近、変わってきてます。
ライブドア堀江氏はその筆頭でしょう。


今まで、堀江氏のような、「できる人」にとって日本はありがたくない(あるいはなかった)ことはあり、それが、日本の社会の活力を奪っていたのは確かです。

日本は教育から「みんな平等。出る杭はいらない。杭が出ても打ったり、あるいは見てみぬふりをする」という方針を貫いています。せっかく個性を持ち、能力(これには努力できる能力も大きく関係する)を持っている人がいても、見てみぬ振りをする。そういう人が報われない。

それはおかしいだろう、と才能を持った人はみんな思っています。

いつか、NHKの「喋り場」で、バイオリンのプロの高校生が、「自分は努力して、高いクオリティを維持しているのに、ただ授業に来ている人と同じ評価、いやむしろ、協調性がないという理由で評価が下がるのはおかしい」と憤慨していましたが、うなずけますし、日本中で起きていることでしょう。

ここで、重要なことは

(努力し、)成果を上げている人をしっかり評価すること

です。

 一回も練習に来なくても、100メートルを10秒台で走れたら、その人の運動能力はすばらしいと評価するのです。協調性も大切ですが、それはまた別の評価です。

そして、もうお分かりでしょうが、

評価する=報酬 である必要はない

のです。

例えば、トヨタの奥田会長に、なぜそんなにがんばる?
と問うていけば、決して、「お金のため」だけではないでしょうし、(彼はもう十分なお金をもっているでしょう。全く知りませんが)むしろ、トヨタの発展、そして、日本の発展を願って働いているのでしょう。

立派じゃないですか。それなら、もう一歩先に行ってください。

「もう、たくさんお金もってるから、いらない。欲しい人に(きちんと評価するシステムを作ったうえで)あげます」って、言って欲しい。

今の世の中がいびつな原因の一つに、「お金を得ないこと=個人の趣味 それをやってる人 遊び人」という見方=パラダイムがあります。
具体的に、壮年期の人(特に男性)が例えば、無報酬の市民活動に昼間よく参加していれば、周りから無言の圧力がかかるでしょう。
 たしかに、売れそうにも無い絵を描き続け、仕事をろくにしなければ、そうした評価と見合うかもしれません。

 でも、その人は家族を養う収入もあったとして、どうして、せっかくの「想い」を持ってやっていることに対して、そんな「冷たい目」で見なければならないんでしょうか?
 
 もし、奥田会長が無報酬だとして、そんな見方をしますか?

 **

 話を少し戻します。

かつて、みんな生涯自分の地域を出なかったころ、地域のリーダー、できる人は、自分の地域のために働きました。もちろん、ある程度の収入はあったかもしれませんが、しれたものです。
そうやって、できる(努力できる)人がそうでない人も含めた、地域のために働いて、世の中が回っていたと思うのです。

今はどうでしょうか?

できる人は、大企業に集まります。あるいは、最近は起業という手もあります。いずれにせよ、できる人があつまり、自分たちのために働きます。

あるいは、コンサルなんかいい例ですね。

社会的にみて(というか、より多くの人が幸福になるために。そして、それはコミュニティの自立にあると考えている)ほんとにコンサルを必要としているのは、小さな起業だと思います。

もちろん、中小企業診断士も活躍していますが、世の中の優秀な人材は、大手のコンサルに集まっています。

そして、大きな企業のために働く。

優秀な人が集まって、自分たちの利益のために働く。

そりゃあ、儲かるでしょう。

でも、それでいいんですか?

アメリカは今、空前の好況だそうで、雇用は伸びているそうです。
アナリストは、「インフレが心配だが、大丈夫だろう。いい調子だ」と言っています。

しかし、一方で実は失業者も増えています。

それで、「この調子だ」って言ってるのです。

努力しない者は自業自得。
成功したら、いくらでもお金をもらう。

こんな社会、もう、たくさんじゃないですか?

***

どうやって、変えるか?

このエントリーには、意識的に「パラダイム」という言葉を使っています。

社会を規定しているもの、、
それは、パラダイムです。

今の時代、本来、パラダイムはもっともっと自由になれます。

勝手に規定されているのです。

もっと、理想を望み、それに見合ったパラダイムを持てるはずです。

そして、それはいつか、実現する。。

そんな理想主義者の長文でした。
[PR]
by taiji_nakao | 2005-04-19 10:10 | 考え事
<< 流れにのること・流れをつくること ネットワーク >>