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2011年 08月 06日
匿名と実名とネット
大きなテーマですが、いろいろと考えるところがあるのでまとめてみます。

■ネットは人間社会の一部

「ネットは便所の落書きであって、全く信頼できない」という考え方を持った人はまだいるようです。「便書の落書き」とまではいわなくても、「ネットは信頼できない」と考えている人は多いはずです。

確かに、ネット上には価値の無い「便所の落書き」のようなコメントにあふれています。特に、自分に対する単なる誹謗中傷のコメントを目の当たりにした人は、「ネットなんて信頼できない」と思うかもしれません。

しかし、私は、このような「便所の落書き」がたくさんあることは、自然なことだと思っています。相田みつをじゃないけれど、「人間だから」です。

例えば、世界中の「ノートに書かれたもの」を集めたら、どうなるでしょうか。
そのうちのかなり部分が、「落書き」で占められているのではないかと思います。だからといって、「ノートに書かれたものは価値がない」と主張するのは無理があるというものでしょう。

「信頼性の低い情報があふれているが、信頼できる情報もある。ネットにしかない情報も多い。」というのが実際のところだと思います。実名とか匿名とかを議論する前の前提として、「ネットは人間社会の一部」ということの確認です。

■実名と匿名

実名と匿名というのは、文字通り考えれば「本名とそれ以外」ということなのですが、本質は2つの観点があると思います。

一つ目は、「追跡可能性」です。全く匿名であれば、基本的には書き手が過去にどんなことをコメントして来たかわかりません。追跡できないわけです。常に本名を名乗れば、同姓同名をのぞけば発言をすべて追跡できます。もちろん、プロフィールだとかもわかるわけです。

二つ目は、「他者との利害関係の開示」です。本名を名乗った時点で、かなりの利害関係を開示することになります。会社名を明記すれば、会社名を知らせていない人もより多くの利害関係を知ることになります。このことで発言に責任がでてきます。だからこそ、発言が重みを持って受け取られます。一方で、会社にとって不利なことは書きにくくなります。

2軸なので、厳密にはマトリックスになるのですが、だいたい「公開レベル」というのは以下のようなになっていそうです。

1 アクセスログ(IPアドレスなど)

2  その場ごとのハンドルネーム

3  サービスごとのハンドルネーム

4  統一したハンドルネーム

5  氏名

6  所属組織名の公開
 (複数の場合、その一つ〜すべて)

■日本で実名は定着するか論

Facebookが日本でも勢いが出てきました。Facebookの勉強会に行ったりすると、その機能の多様さに圧倒されます。使用人口の多さからくるメリットと合わせて、今後も伸びることは間違いないと思われます。

そこで、「日本で実名は定着するか?」というテーマが話題になります。日本以外のことをあまり知らないので間違っているかもしれませんが、「日本で実名が定着するか?」という問いは少しズレている気がしています。

私は、インターネットの可能性を信じていて、ネットを通じて新しい、人的ネットワークが生まれ、面白いことがもっと起きてくるはずと期待しています。まだまだインターネットは実社会との結びつきが弱く、模索段階だと思っています。実社会とインターネットの結びつきを深めていく過程では、実名同士がつながっていく、ということがひとつのテーマになるはずです。

しかし、実名を開示することには負の側面もあります。そして、実際のところ、実名は必要ないというシーンが多いように思います。必要がないのにリスクを負うのは馬鹿げているし、不自然です。そのあたりの感覚が、「日本で実名が定着するか論」に不足している気がします。


■実名は、実社会での人と人、人とコミュニティーのネットワーク化を加速化させる。

1年以上たちますが、サークルの後輩が中心になって林業女子会なるものを立ち上げました。
林業女子会
ツイッター上で、「林業コミュニティ」が形成されていて、そこで農業の「ノギャル」の林業版みたいなのがあったらいいね、というつぶやきからじゃあやろうよ、という流れになって、とりあえずまずは集まって、という風にとんとん拍子で進んでいったそうです。

林業というカテゴリだけでも十分数が少ないです。その中で女性というさらに少なくなります。そんな人たちが短期間につながり、広告をとってフリーペッパーを出したり、イベントをしたりして、他地域にも広がったりしています。そういう様子を見ていると、新しいネットワークの可能性を感じずに入られません。

そして、ツイッターでやり取りしている人がみんな匿名だったら、このように進んでいないように思います。

■ヨハネスブルグのメリーゴーランド

少し前に、ブログ「レジデント初期研修用資料」の「砂場としての2ちゃんねる」の表現にはっとさせられました。
以下はそのときの紹介ツイートです。

匿名掲示板に比べれば優しげな、実名ベースのソーシャルサービスは、一見すると優しいけれど、転ぶと大怪我をすることになる。()ヨハネスブルグのメリーゴーランドと、豊島園のホラーハウスと、どちらが「子供向け」でどちらが「恐ろしい」のかhttp://feedly.com/k/ogaLDE

やや誇張気味な気もしますが、Facebookが「ヨハネスブルグのメリーゴーランド」というのはかなり的を得ているんじゃないかと思います。

一言で言うと、「全員に全部見せるのが幸せなわけは無い」ということだと思います。

■実生活でも匿名はよくあることだ

私は、一人で飲み屋に行って他のお客さんやお店の人と話すことが好きです。
名前を名乗るかどうかはケースバイケースですが、いきなり名前から入るのはあまりありません。それはそうでしょう。その場の話題に参加するか、聞くとしても「よく来られるんですか?」とかでしょう。

いきなり、氏名、さらには会社名、勢いで出身大学を名乗られたら正直引きますし、そんな人ばっかりだったらもうそのお店にはいかないと思います。

もちろん、交流会という場なら話は別です。そもそも名刺交換しますから。

その他にも、IT系の勉強会なら、ウェブ系なら特にハンドルネームでの自己紹介になります(本名も一緒に言うことが多いですが)。聞いた話では、PTAなら子供コミュニティなら、まずは××くんのお父さん|お母さんとされるし、犬の散歩コミュニティなら○○ちゃんの飼い主と認識されます。

だから、「ネットの情報は全く信頼できない」という誤解と同じように「匿名性はネット特有のもの」というのも誤解だと思います。そして、同じ人間社会の一部である以上、それが自然だと思うのです。

まだ論点の積み残しはありますが、今回はここまでで。
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by taiji_nakao | 2011-08-06 12:40 | 考え事
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