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2011年 08月 28日
歴史の中の江戸時代
明治の前が江戸ならば、現在は東京時代じゃないのか
という記事を読んだ時、なるほど、と思ったわけです。

明治の前は「慶応」なんですね。
明治維新でがらっと変わった、なんて認識しているんですが、そうでもない。少し考えればそんなわけがないのです。おじいさんのおじいさんくらいは生きていたんですから。

そんなことを考えているときに、たまたま図書館で見つけた本(「歴史の中の江戸時代」速水融編)が面白かったです。

以下引用が多くありますが、切り取っているため筆者の意図とズレている可能性があること、また対談形式から切り取っているため、話者は一人ではないことをご注意ください。以下は、あくまで私なりの理解です。

まずは、明治維新のころに京都に行った人の話題から
西松家の本家にあたる別の家の日記なんかにちょうど同じころのが残っていて、明治維新だというのに京都見物に行くんですよ。

恐ろしいじゃないですか。

初めのころはどうも様子がおかしいとか言いながら、平気で名所を回っているんですね。そのうち鉄砲の音なんかするものだから帰るんですけれども。そんなものじゃないでしょうかね。

庶民にとっては、天変地異が起きていたわけじゃないってことですね。
明治維新の下地は、江戸時代から少しずつ準備されていた、という具体例をいくつか。
ほとんどの領主は、秀吉・家康の時代に所領の移動を経験していますよね。(中略)
「織豊系大名」と言われている人たちは、領地を完全にシャッフルされて、在地性を失っている。文字通り、兵農分離しているわけです。
まさしく官僚制ですよ。

すでに官僚制の原型があったと。
役人登用システムや近代的な軍隊に関しても。
今日に至る学校制度と結びついた役人登用システムも、その元になるものは、江戸時代の半ば頃に作られてきます。それと共に江戸時代に生じたのは、いわば武士の「兵士」化ですね。
以前であれば、武士は、馬なり甲冑なりを自分の俸禄で用意していた。それが、江戸時代の半ば頃になると、そうした軍事手段が公有化されてくる。会津藩などは、立派な武士のものでも甲冑はすべて城の倉に回収して管理すると言い出す。これは近代的軍隊と同じです。そうした武具は、武士が自分で用意して、家の床の間に飾っておくものなのに、「ほっておいたら、お前らはすぐに質にでも入れてしまうだろう。だから倉で管理する」・・

行政機能にしても
行政や政府の機能の担い手にしても、一定の連続性が認められます。江戸時代を通じて地域ごとの行政機能を身なっていたのは、武士ではなく、むしろ大庄屋と庄屋ですね。彼らの行政能力によって地域社会が成り立っている。ですから明治維新は、大きな革命のように語られますが、明治に出来上がった議会の姿を見ると、大庄屋や庄屋がそのまま県議会議員になっていて、実質的に顔触れがほとんど変わっていない。

こんなものも。実は起源は江戸時代
吉宗が物価政策をやるのに業界の組合、カルテルを作らせるわけですね。カルテルの価格は、下方硬直性を持つんですから、米の相対価格をあげようと言うのに、こんなバカな話はない。(中略)あれはやはり行政指導をやってたんだ、というふうに理解すると、わかるんですね。行政指導をするためには相手集団を作らせなければならない。

その結果、
日本の株仲間と、イギリスとフランスのギルドを、比較研究してみようと試みたことがあります。(中略)ヨーロッパのギルドを見ますと、彼らの特権が侵害されると、王様に願い出るわけじゃなくて、裁判所へ訴えるわけです。
(中略)日本の株仲間を見ますと、まず裁判所じゃなくて、殿様へ願い出るわけですね。
(中略)問題は道徳的、人道的なことをいろいろ理由にして、願い出るわけですね。

今の医薬品のネット販売の規制に関してのやり取りの原型は、吉宗の時代からあったと。

他にも、都市への憧れとか、田舎から都会へ出てまた戻ってくることとか、興味深い話題は尽きないのですがそれは本書を読んでください。

そして、筆者は江戸時代に「勤勉革命」が起きたと主張するのですが、これは非常に鋭く、面白い。
ゆっくり100年くらいかけて、小農を基礎的な経済単位とする、江戸時代らしい経済社会が成立していく。それを端的に示すのが、世帯規模の縮小で、単婚小家族の小農民が経済主体となっていく。(中略)少しでもよく働くことで、少しでも家族の世帯収入を増やす。村落の中でのある種の経済競争が起きて、農業生産以外に販売目的の経済活動も行うようになる。これが、速水先生のおっしゃる「勤勉革命」ですが、旧来の隷属的農民は減少し、有配偶率が上昇(一生涯結婚しない人の比率の低下)していく。

そして、
ただし、この「勤勉」さは、一定の社会経済的条件の下で生じたものだとも言え、決して永遠不変の日本人の「国民性」とは言えない。それは現在失われつつあるとさえ言い得る、ここ300-400年間の特徴なのである。

ということなんですね。
私はどちらかというと、第二次大戦後にたまたま日本の製造業が世界で成功を収めたという認識だったのですが、その原型は江戸時代にあったようなのです。
15、16世紀あたりにひとつの変化があって、江戸時代から現代まで日本人というのは1つのマンタリテでとらえることができるのではないかと私は考えているわけです。その基本は要するに向上心なんですよ。それはいろいろ物質的な生活水準を上げたい。あるいは知識水準を上げたい。そのために一生懸命働くとか、寺子屋へ行くとか、だれに命ぜられるわけでもないけれども努力をするというマンタリテができあがるんですね。
マンタリテ(心性)・・長期間にわたって変わらない集団的なものの考え方

面白いのは、その成立過程の説明です。
結局、17世紀の日本は、20世紀流にいえば貿易赤字の大国なんです。そういう貿易危機が生じてきて、日本はどうしても、従来輸入したいた物を国産化せざるを得ない局面になってきたわけです。

この時、生産能力を外部へ求める選択肢もあったようです。
ヨーロッパで海洋国家として発展した国、たとえばスペイン、ポルトガルなどは、どれも急速に伸びまして、ばったりと倒れるんですね。そして二度と甦らない。これが西洋における大陸国家と海洋国家の運命を大きく分けていると思うんです。

だから海洋というものは大変危険な誘惑で、もしもあのとき日本が海洋へ乗り出していれば、たぶん梅棹忠夫さんの言うように、インド海洋会戦ぐらいに持ち込めるほどの力を持っただろうと思うんですね。うっかりしたら、北米大陸の半分くらいまで日本は押さえたかもしれない。

・・しかし、それをやれば、まず日本の農業人口、それから日本の知的人口、つまり失業武士になる人たち、これが全部海外へ出て行った。そうすると、寺子屋の先生になる人間もいなかったし、仮名草子の作者になる人間もいなかった。まず知的に日本は衰微したでしょう。

三国志とか信長の野望といったシミュレーションゲームで例えると、江戸時代の日本というのは他国に攻めずに、優秀な武将を使って徹底的に内政をし続ける、というイメージなんだろうと思います。

そうやって、日本流の制度や教育文化が発達したと。
そして、その中で生産性を向上させる、20世紀の用語でいう「カイゼン」の精神が育まれてきたと。

しかし、歴史を知らないでいるなあ、と思いました。
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by taiji_nakao | 2011-08-28 13:08 | お勧めの本
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