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2011年 10月 03日
物語を生きる(2)
現代人はどんな物語をもち、共有するのか

図書館で「物語を生きる」(河合隼雄)という本を見つけました。主に平安時代の古典の物語を分析している本です。

本の中で、自分の仕事はクライアントに現状を「納得」してもらうことだ、と言っています。
過去から今に至る諸処の経験を一つの物語と認識し、それを受け入れること、と私は理解しました。
けっして合理的な説明を求めているわけではない。辛いことや理不尽な出来事をその人なりの物語で認識し納得することを手助けすることが仕事だと。

人は物語を生きているものだといっても、もちろん現実と無関係でいられるわけはありません。
現実とうまく折り合いのついたものでなければ、その人も周囲の人も幸せになれません。
いくつになってもモラトリアムを続けてしまう人たちの問題の1つには、自分が現実に実現できる力量と自分の物語の中の自分とのギャップが大きいという言い方もできるかもしれません。 

しかし、巷には歪んだ物語があふれています。
サプリメントやダイエット食品、人口減が確実なのにどんどんマンションが建っていたり、デジタル放送云々で大騒ぎしていたり、どこが「エコ」なのか理解できないエコポイント・・・・
その売り場文句で、あるいは企画段階で語られているであろう物語の中身を想像するとげんなりします。一つ一つの歪みは大したことがなくても、それが占める割合が大きくなってくると、その影響も大きくなる、ということもあると思います。

今の日本では、需要と供給のギャップは年間で20兆円くらいあるそうです。で、それを埋めるために財政出動が必要なそうです。具体的な経済の議論は私の手に負えるところではありませんが、素人思考で考えて、まずは供給が大きすぎることを問題と考えるのが道理というものです。

「20兆円の需要を創出し、需給ギャップを埋めることで経済が回復し、人々は豊かになる」という物語を生きていこうとすれば、無理をしても消費してもらう、ということにならざるを得ない。産業をうまく転換できれば、違うかもしれませんが。しかし、現状のままでは、それを実現させるための物語はどこか歪んだものにならざるを得ない。

ただし、マーケティングの大家であるコトラーのマケーティング3.0では、マーケティングの目的を企業は世界をより良い場所にすることにあり、そうしなければ生き残れないということが書いてあります。企業が語る物語は消費をあおるものという認識はすでに時代遅れなのかもしれません。

組織も物語を持っています。未来に向けてはビジョンなどの言葉で語られます。組織の物語と個々人の物語のベクトルが一致している組織は、強いでしょう。

どんな物語を持つのか、共有するのか、ということは大きなテーマです。巷に歪んだ物語があふれているなら、自覚的に持つべきだと思うのです。
そして、日本に住んでいる以上大きな影響を受けている日本の古典から学ぶものが大きいはずです。
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by taiji_nakao | 2011-10-03 07:32 | 物語を生きる
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