2005年 05月 05日
前々回の「自主的な組織(Ⅱ)」にはいろいろとコメントをいただきました。
自分で読み返しても、無理の多い文章だと思います。 しかも、言いたいこともわかりにくいので、ここで書き直してみます。 まず、前提として、この前のエントリーに書いたように、私の問題意識として、 客観的側面ばかりを強調し、主観的、間主観的な側面を疎かにしていることこそ、現代の問題の根底にある と考えています。 (ケン・ウィルバーの説明がぴったり来るので、これを好んで使っています。こう考えるきっかけについては次回に) ただし、現実とは客観的結果の積み重ねのわけで、これを否定したり、軽く扱ったりするのは、ナンセンスです。この3つの側面はどれも互いに還元できないものですから・・ このブログでは、軽く扱いがちですね。それをコメントで指摘されました。 自分が「うぶ」なことにきていると思います。 親のすねかじって、生活しているんですから。最近特に、「自分がうぶ」であることを感じます。 ただ、もうしばらくうぶなところからでも、主観的、間主観的側面を強調することについて書こうと思います。 本河さんのコメントに、 どんな組織もミッションを持っているはず とありました。 その通りです。ミッションとは、 今の問題にスポットを当て、それが解決された理想の状態を示すものです。 それは、客観的側面です。 今の状態と理想状態のギャップをみて、それを埋めるためにはどうしたらいいのか? ということです。 しかし、じゃあ、なんで今の状態を問題だと思い、理想状態が理想だと思うのか? というところをみていけば、最終的には主観的美、間主観的善に行き着くはずです。 だから、(客観的側面とは別に)主観的にその美を大切にしたいから、その活動に参加しているわけです。間主観的善にしても同じように。 活動の中で、こうした、美・善を大切にすることが、非常に重要だと思うのです。 本来、客観的な結果がないところに美も善もありません。 自分たちの、自分・自分たちの行為の及ぼす現実に気づかなければ、あるいは直視しなければ、ありえますが、これはまさに「自己満足」です。 また、美・善を追求するからこそ、結果になる、そういう、お互い関係しあうものです。 一方、一つの結果にこだわりすぎたために、美や善に反することになることは、残念ながらよくあることです。 というより、今の社会全体が、客観的結果ばかりを強く要求するために、美や善がわきに押しやられてしまいがちです。 それでは自発的な組織としての意味が薄れてしまうだろう、というのが私の意見です。
by taiji_nakao
| 2005-05-05 16:37
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