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2012年 02月 04日
自己実現という言葉の違和感と価値観について。大切なのはおおらかさ
「個性」、「クリエイティブ」、「ユメ」、「自己実現」、「本当の自分」、「自分らしさ」といった言葉は、就職活動における「自己分析」などという言葉とともに、喧伝されている。

私などは見事に、この時代の空気を吸ってきたように思います。今の自分の仕事の仕方は、そんなカテゴリがあるなら、たぶん「ユメに向かってがんばって(あくせく)働いている人」ということになるでしょう。

が、しかし、これらの言葉に対する違和感もあって、それって何かな、ということを考えていたら、価値観に対する考え方がポイントのように思えてきました。

というわけで、価値観というテーマで考えてみたことです。

1.人は人です、が基本

みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ
みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ
 -星野源 「日常」の歌詞

 
最近、星野源がいいなと思うのだけれど、特にこの歌詞が好き。後半の部分に時代性を感じます。
要は、人は人ってことですね。

2.自分にとっての「ダメ、ゼッタイ」は何か

覚せい剤をやめようというポスターのコピーで、これは頭に残っています。
その通り、覚せい剤は問答無用で「ダメ、ゼッタイ」です。
売人が儲かるだけで、他の関係者はほぼ100%不幸せになるので。

でも、タバコは? お酒は? パチンコは?となると、みんながみんな「ダメ、ゼッタイ」ではないです。
やめることで関係者が本当に幸せになるかはケースバイケースでしょう。

最近、糸井重里さんが禁煙に成功した秘訣として「おっぱい理論」を語っているのを知りました。
これが、おっぱい理論だ!

かいつまんで言えば、

目の前にスレンダーな女性がいたら、男だったら、「××してみたい」と思うわけです。思うわけですが、見ず知らずの彼女のおっぱいを触わることはない。「一度だけ」とかありえない。そんなことをすれば社会的信頼が地に落ちるから。禁煙も、「一回だけなら」とか思ったダメで、同じように一度でも手を出したらダメ、そう思ったらやめられたんだ。

というようなお話。さすがに、糸井さんの話はうまい。なるほどだ。

この話を読んで思ったことが2つ。

1)何にこの理論を応用するか

世の中にあふれている自己啓発本の多くは、あるいは安易に「みんな成功できるんだ」とか主張するセンセイは、いってみれば、この「おっぱい理論」をすべての事柄に当てはめれば、みんな成功者になれるんだ、と言っているようなものだ。

もちろん、そんなことはできない。正直に告白すれば、同じようなことをやろうとしたことがある。
やるべき目標のリストをつくる。10個とかもっとでてくるわけです。
睡眠時間を削って、いつもてきぱきして、英語の勉強をして、いろんなところに顔を出して・・・・(昨日までできなかったことだけど)今日からやろう。

って、できません! 人間、そんなある日突然変わりません。
そもそも、人間のキャパシティーには限界があるので、なんでも「これをするとは、チカンをするようなものだ」なんて思っていたところで、守れっこない。

だから、何に当てはめるのかが大事で、伝家の宝刀のようなものだろう。逆に言うと、喫煙者にとっての禁煙とは、それほどまでの一大事ということなのかもしれない。

自分にとって問答無用で「ダメ、ゼッタイ」とは何か、と考えることが自分が大切にしたいこと、価値観を知ることになると思う。

2)でも、破ってしまう人もいる

そんな人は、現実にいますね。「やろうと思えば」簡単ですね。電車にも女性はたくさんいますよね。
ふと魔が差す、なんていうみたいですね。怖いですね。
でも、人間ってそういうもんなんでしょう。

だから、ずっとまっとうに生きるって、それだけで偉いことだと思います。

破ってしまったときの潜在的な精神への影響を考えると、「おっぱい理論」は取り扱い注意なのかもしれないです。

3.対極の価値観を持つ人がいることをちゃんと理解して

テレビはほとんど見ないわけですが、いつだか、秋葉原で殺傷事件が起きた頃、こんな番組を見た。

事件現場に供えてあったお菓子を路上生活者の人が取って食べていた。レポーターは「何しているんですか!」と迫る、あわてて逃げ出すおじさん、揺れるカメラ。その画面に厳しい表情をしたタレント、評論家の顔が映る・・・


職が無く路上で生活する人が、道端に食べられるものを見つけたときにそれを食べるのは、冬になったら寒いのと同じくらい自明なことだと思うのだけれど、番組では糾弾していた。

そして、同じ場面を別の角度から報じる番組について、ちょっと意地悪な想像をした。

長年、一生懸命働いてきたが、不況のため、解雇された。家は売り払い、家族は出て行ってしまった。途方にくれて路上で数日間過ごしていた。なけなしのお金は、取られてしまい、ろくなものも食べることができなくなっていた。そうして歩いていたら、お供え物がおいしそうに置いてあった。

申し訳ないと思いながら、それを口にする。(画面では、涙目になったグラビアアイドルが映っている)久しぶりの食べ物に感動していたら、いきなり叫ぶ人がやってきた。「何しているんですか!」カメラも一緒だ。テレビらしい。必死で逃げた。
(その様子を糾弾する番組が報じられていることを知らせるナレーション。そして、「私たちは、経済発展とともに、大事なものを失ってしまったのかもしれません」)


中立などありえないわけです。
基本的には、「人は人」です。見ず知らずの路上で暮らす人、暮らさざるを得ない人に対して、私が言えることなどほとんど無い。

が、自分とかかわりが深く、自分の価値観にそぐわないシーンに出くわすことがある。
そんなときは自分の価値観を表明して、相手にアクション(改善など)を求めたいと思う。

でも、それはかなり重いことだと思った方がいい。

上の番組の例で言えば、どっちがどうとか、言えないでしょう。
後半は私の創作なので、本当は単なる酔っ払いの仕業かもしれませんが、それでも、それぞれの人生なんですから。見ず知らずの他人を(顔を隠しているとはいえ)何百万人の面前で糾弾する権利など無い。

一方だけの視点に立てば楽です。

当事者であるならば、ある程度それは仕方が無い。
当事者なのだから。でも、そうじゃない人は、安易にとやかく言えることではない。

どうしても言わなければならないなら、その反対側の痛み受け止めた上で、言うべきだ。

「あなたがいくらお腹が減っていたとしても、そのお供え物は食べてはならない」
それが、そう主張する人の「ダメ、ゼッタイ」であるなら、むしろ、そう言える環境であるほうが良い。

そして、私にとっては、そう主張する人もまた第三者であり、その人がそのような価値観を持つことを尊重します。

ただし、法規制をどうするか、とか言う話はまた別の話ですが。

4.大切なのはおおらかさ さめた視線を冷静に受け止める

【就活風刺】面白すぎるTwitterの”意識の高い”動物たち

というのが良くできていて、面白かった。
私が学生の頃にもよく遭遇した「意識の高い」学生の特徴を捉えている。
今回のテーマである、「自己実現」系の言葉を追いかけるタイプの学生で、
その特徴を見ていけば、私自身もそのカテゴリに入っていたのだろうとは思います。

この種の風刺がいいのは、ストレートにはいえないことも表現できるところです。
本人にもその方が伝わることもある。

注意すべきなのは、どんなことでも、こうやって風刺できてしまうことです。
これは、風刺に限ったことではなくて、人間のすることなど、なんとでも表現できるということだと思います。
「ものは言いよう」です。

例えば、スポーツのバスケットボールを「玉いれ」とか言って揶揄することもあるようです。実際には、リアルで聞いたことは無く、漫画スラムダンクの知識ですが・・・

確かに、ゴールにボールを入れて得点することを目指すわけなので、「玉いれ」には違いない。
フリースローのシーンしか見たことが無い人なら、「玉いれ」って言われて別に違和感を覚えないかもしれない。

ものすごく多様な社会になっていて、スポーツも文字通りごまんとある。存在すらほとんど知られていないスポーツも山ほどあるでしょう。

スポーツ間の競争も、それだけ激しい。だから例えばバスケが大好きで、もっと普及させたいと思っているなら、「玉いれ」とか何と言おうとも、そうやって関心を持ってもらえただけでもありがたいと思うべきなのだ。

それは自分の生き方や価値観にしても同じだと思う。
異なる視点から言われたら、まずはつまらないと感じるのが人間だと思う。揶揄されたと思うかもしれない。

でも、人の価値観について、他の人が興味が無いのは自然なこと。
だから、平然として、「そうだなあ。玉いれだよなあ。でも、玉いれって、めちゃくちゃ面白いんだぜ。」って言っていたい。

現代は「当たり前」がなくなってしまった。宗教にしても、家族制度などにしても。
だから、今まであったものを「やっぱりいいよね」「いや、違うと思う」といちいち考えないといけない。
あるいは、考えないといけないシーンに出くわす。

社会学では、再帰的、という言葉を使うらしい。
再帰的に評価する、などと。

これは、贅沢な悩みではある。何しろ、先人たちを縛り付けてもいたものから自由になったのだから。
一方で、とても面倒である。

そんな時代に特に必要なのは、おおらかさだと思う。

ここまで書いてきて、

「個性」、「クリエイティブ」、「ユメ」、「自己実現」、「本当の自分」、「自分らしさ」
といった一連のフレーズに対する違和感は、こういう言葉を好き好む人が、往々にして、
結構たくさんいる、彼らの主張に当てはまらないと思われる人に対するまなざしに、おおらかさがないことに由来しているかもしれないと思った。
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by taiji_nakao | 2012-02-04 13:40 | 考え事
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