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2012年 06月 02日
無理が通れば道理が引っ込む
そうならないためには、大飯が動こうがみんなが節電して電力使用量を激減させ、「原発はいらない」と言うしかない。「ないから使わない」のは、実は案外簡単だけど、「あるのに使わない」のは、かなりの精神力が要求されそう。だって、あるんだから。

というツイートを見てげんなりした。
私もどちらかというと、こういう発想をしがちな人間である。
人間って言うものは、「あるのに使わない」でいるのはかなり難しい。精神論だけでは多数の人は動かせない。もし、これが達成できるとしたら、精神論ではなく、毎日どのくらい節電できたとか、このペースで行くと原発なしで乗り切れそうだといった数字のフィードバックのある、ゲーム性があったときくらいだろう。

ちょうどゲーミフィケーションの記事があった。 日本人の得意領域・「ゲーミフィケーション」がやってきた!

だけれど、このためには電力会社の協力が不可欠だが、彼らにはその動機がない。
そもそも、電力会社は電気をたくさん使ってもらったほうが儲かるのだから。このことを悪いとかいいとか言うものではない。そのような仕組みをつくるのは政治の仕事であり、電力会社はその枠組みの中でのプレーヤーである。少なくとも建前は。あるいは短期間で見れば。

私がげんなりしたのは、しかし、その提案の実現可能性の低さではない。
論点をずらす、というテクニックにまんまと乗っているように見える点である。

今、最も問われることは何か。

現在問題となっている大飯原発(福井県)などの再稼動は、端的にいえば、「福島原発事故が起こった三月十一日以前の法律で、三月十一日以前の組織(原子力安全・保安院)が、三月十一日以前の手続きとルールで再稼動をしようとしている

Voice5月号の田坂氏の「再稼動しても、原発は必ず止まる」(PDF)より


上記内容がもっとも問題だと思うのだけれど、この点を問う声は案外少ない。
そして、原発推進派にはほとんどいない。しかし、田坂氏が主張するように、本当に原発を推進するならば、まず一番にしなければならないのは信頼回復のはずである。

これは何も原発事故に限ったことではない。不祥事を起こした会社は、まずお詫びし、原因を徹底調査し、再発防止策を制定するのは、ビジネスの常識だ。そうしないと倒産する。

もちろん、がんばっても信頼が回復できなければ倒産する。

トヨタのリコールなどを見ても一度問題として認識され、いわば炎上してしまったら、道理を説くよりも先に自分に少しでも非があるなら、まずそこを認めて、改善することに着手しないと事態は悪化する。たとえ、その要求があまり論理的でないとしても。

だから、どうして原発推進派として日々意見を表明する人たちは、「政府よ、もっとちゃんとしてくれ」と注文をつけないのだろう、とずっと不思議に思っていた。

でも、先のようなツイートやら、さっこんの夏の電力逼迫についてばかりが論点になる状況を見ていると、そうだよなあ、これで通ってしまうなら、抜本的なシステムの変更なんて手をつけたくないよなあ、と思います。

抜本的なシステムの変更というのは、大変です。
圧力は、必ずしも脅迫を意味していない。癒着や利権や利益誘導や保身でもない。
 もちろん、そういうものが圧力を生むことはあるのだろう。
 が、多くの場合、圧力は、悪意の無いところから生じる。しかも、圧力の種は、圧力をかけている本人たちがまったく意識していない動作の中に宿っている。そういう空気の中でわれわれは暮らしているのだ。

 原発が建っている町には、当然のことながら、原発で働く人々がたくさん住んでいる。彼らには家族がいる。友達もいる。同じ学校のクラスに、原発や関連の施設で働く親を持つ子が何人かいれば、クラスの雰囲気は、おのずと、原発に対して容認的にならざるを得ない。
 「臆病」や「ものほしげな心」がそうさせるのではない。われわれが生まれつき備えている「思いやり」や、「心遣い」や「惻隠の情」が、時に、ありのままの感情を口外することをさまたげるのだ。それどころか、圧力は、特定の出来事に対して、特定の感情を抱くという精神の自然な動きを抑圧する。

小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句 卓袱台返して菅笠ひとり旅より



もう何年もこの国は原発の建設に邁進してきたので、もう日本中にいろいろな形で根を張っている。
そのかかわりの中で生計を立てている無数の人がある。それは、今原発を再稼動できないと電力代が上がって困るという人や、計画停電があると経営に支障がきたすという経営者もその一員なのだろう。そんな無数の人たちに、ゴメンナサイしなければならない。ちゃんと説明しなければならない。

その他にも整理しなければならないことは山ほどある。それは、たしかに大変でしょう。

わかりきっていたことなのだけど、「電力が逼迫するから、ハイ、再稼動」で全てが済むなら、それで済ませたくもなりますでしょう。

短期的に、今年はやむをえないから今までの枠組みで再稼動を容認させてください。
というロジックは、今となってはありなのかもしれません。そもそも、原発が稼動していなくてもこの国には大量の放射性物質があり、危険にさらされているには違いないのですから。

でも、それは短期的にやむをえないという話。
まず、その前に、福島で悲劇を起こしてしまった、防げなかった枠組みを抜本的に変える、という前提がなかったら、それはつまり、「あの事故はなかったことにしよう」ということであって、それは通らないでしょう。
通してはいけないでしょう。
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by taiji_nakao | 2012-06-02 00:40 | 考え事
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