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2012年 06月 07日
AKB総選挙を見て思うこと
よく行っている定食屋というか居酒屋に昨日行ったらテレビでAKB総選挙なるものがやっていた。私が見たのは初めてでした。

本当に選挙みたいな構成になっていて、アナウンサーが大真面目に解説している。
選ばれたアイドルは泣きながら、ファンの皆様に感謝したい、とか、もっと成長したい、とかスポーツ選手みたいなコメントをしている。

正直、正視に堪えられなかったです。これは、シュール系の現代アート作品です、と言われたら納得できたけど。

ただ、AKBのメンバーが与えられた舞台の中で一生懸命やっているのはおそらく事実だろうし、涙もうそじゃないんだろうと思います。

だいたい、「感動して泣く」というのは万人受けするフォーマットのひとつなのでしょう。
高校のときの古典の先生が、歌舞伎をよく観に行くそうなんですが、歌舞伎の心中ものなんかがいいらしい。もう、だいたい筋書きとかわかっているわけなんですが、それでも泣いてしまう。で、すっきりすると。そんな話を聞いたことがあります。

特にテレビで、「感動して泣く」ということについては、昔からいろいろ言われているところです。
夏の甲子園しかり、箱根駅伝しかり。投手が4日とか連投するとか選手生命に関わるかことなのに、それを真夏にやらせるとか、あるいは、極端な山道で長距離を走らせるとかいうことは、これは実際のところどうなんだ、というのはあります。夏の甲子園については、これだけ夏の気温が上がってきた昨今はそろそろ変えないと危険になっているようにも思います。

それらの賛否はともかくとして、つらい環境の中でも一生懸命やって、それで勝ったり、あるいは負けたりする人たちをみて感動するのは、自然なことと思います。

だから、がんばってやってきた人が感極まって泣く姿にスポットをあてること自体は、まあよくあることなのでしょう。

でも、そのプレーヤーのコンテンツっていうのが、アイドル、つまり性産業なわけで。
私がAKBのメンバーをみるのは、コンビニに並ぶ週刊誌のグラビアです。判別できないですけど。

というわけで、私は、あのやり方には違和感しかないのですが、それなら見なければいいという話ではあります。

NAVERまとめに、仕掛け人である秋元氏のコメントで、アイドルが好きな人たちは昔から、プロデュースする人たちの目はなってないという不満があり、そこに目をつけた、というのがありました。
なるほど。確かに、自分のひいきのあの子が人気がないなんておかしい、って考える気持ちはよくわかりますね。

だから、そういうニーズにうまく応えたのが、あの総選挙、ということなんでしょう。

酒・女・ギャンブル、といったコンテンツは低俗であり追放すべきといった主張を目にすることもありますが、この種のエンターテイメントがない世界というのはちょっと考えられず、もしなかったらそんな世界は逆に怖いと思います。

* * * * *

ここからが今回の投稿の肝になりますが、私が言いたいのは、テレビ局が使っている電波を自由化してよ!
ということです。

今、かなり強い気持ちでそれを思っています。

イーモバイルのUSBタイプの回線を長く使っています。
で、接続がちょっと悪くなってきていて、何度か差し込んだりすることはあれども、まあ、使えていました。
ところが、先日、東京出張のその日から使えなくなってしまい、電波難民となって大変に苦労しました。

無料のWifiスポットというものはほとんどなく、数少ないひとつであるwired cafeのwifiを借りました。
が、ここも10分のみの利用で、一度使うと3時間は接続できない、という制限があります。
ので、一度使って、一つ用事を済ませた後に時間が経つのを待ってからまたそこに行って使う、ということをしなければなりませんでした。

もし、テレビ局が抑えている電波が自由化されればもっともニーズの高いインターネットに割り当てられることは間違いないでしょうから、この環境はかなり改善されるはずです。

で、なぜ、数少ないテレビ局が電波を独占しているかという根拠は、「公共性」にあるはずです。

ここで、AKB選挙に戻ります。

もう、議論の余地もないようにも思えますが、一応書いてみます。

まず、コンテンツそのもののに公共性があるかについて疑問です。

それと、商売のやり方にも公共性という言葉はそぐわないでしょう。
たくさんお金を払えば、たくさん投票できるとか、握手できるとか。

これは、箱根駅伝でいえば、人気のスポットで応援するためには有料にするとか、お金を払えば選手と握手できるとか、ゴールした選手と写真を撮れるとか、そういうことをやるということでしょう。
今のところ、その種のことをやっていないのは、箱根駅伝というブランドを守るためというのもあるのでしょうけれど、それはダメでしょという公共性を意識しているからだと思います。

今度、電波の議論でテレビ局が公共性を持ち出したときは、ぜひAKB総選挙のことを、投票のために買われて大量に捨てられたCDや週刊誌のグラビア写真と一緒に論じて頂きたいと思います。
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by taiji_nakao | 2012-06-07 07:22 | 考え事
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