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2006年 02月 19日
折田大仏に対する破壊行動に強く抗議する
ある(とき)は、青いマントをまとったナウシカとして、ある(とき)は、銃を持ったゴルゴ13として、あるときはサンデー先生として、京大吉田構内総人図書館前に現れた彼の正体は??

そう、京大生ならみんな知っている、折田先生像である。
毎年、受験のシーズンになると、姿を変えて現れてきた。当初は、ホンモノの折田先生像への落書きから始まったのだが、しばらく当局とのやり取りがあった後、本物は姿を消した。そして、中身も全てつくられた、リメイクバージョン折田先生が現れるようになったのだ。

実在した折田先生は、京大設立初期の総長であり、自由な校風をつくることに尽力された方らしい。ということを、京大生は皆、毎年バージョンを変える、折田先生の横の看板によって知っている。

リメイクされる折田先生は、素敵だ。「癒し」などという言葉が流行る前から、確実に多くの人びとを癒してきた。
折田先生像前を通る人たちは、それまで下を向いて暗い顔をしていた人も、チラッと見るなり、にこっとするのである。いったいどれだけの、笑顔を作ってきたのだろう。

合同新歓の全体の調整係(いわゆる代表)を引き継ぐミーティング(2月10日)のあと、どうやら今年も新たなバージョンが現れたというから、さっそく見に行った。
後から思えば、この時見に行って正解だった。今年は、おおきなおおきな大仏だった。
賽銭箱、そして、いつもの看板。折田先生を偲んでつくられたということだ。

**

大阪・松山・広島へ出発する直前(2月15日)、松山・広島のガイドブックを借りようと総人図書館へ行く。(延滞の罰則で借りられなかったのだが・・)
すると、そこには惨劇があった。

なんと、大仏が倒されている。
顔が切り取られているところを見ると、何者かの犯行であることは間違いない。

ぼーぜんと立ちすくんでしまう。

いったい、どういうことなのだ。

この大仏の前で作られるはずの笑顔一年ぶんと、特に受験生がたくさん入れたであろう、賽銭がなくなったぶんの、罪は重い。

創るということには、大きな労力がかかり、壊すということは、一瞬であるのに、
公共空間に作品が存在するには、創られ・壊されないという両方が同じように必要であることは、なんとりふじんなのだろう。

参考 折田先生を讃える会
折田先生2006~折田大仏~
by taiji_nakao | 2006-02-19 19:09 | エッセイ
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