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2006年 04月 26日
櫻井慎也さん(1) 簡単な、ここまでのストーリー
先日の京大ベンチャーフォーラムでお会いしたG&W株式会社 代表取締役社長の櫻井さんの「職人.com」にすっかり惚れてしまい、会いたいとメールを送ったらお会いできるというので、今日話を聞いてきました。
もう、予想以上に大きな話で、聞くのも、整理するのも頭のキャパぎりぎりですが、今日感じたこと・新しく知った視点をちょっとでも伝えられたら、と思います。

●櫻井さんと私のつながっているところ

私の大きな問題意識のひとつに「失われていく見えない幸せ」 固有の地域文化・技術の消失 がある。
職人.comは、簡単に言えば、そうしたものを持った人たちにお金が回るシステムをいえる。
が、櫻井さん自身はそれよりもっと大きな視野をもっているということを知る。

●簡単な経歴

 10ヶ月で会社を辞める

「海外と接する仕事がしたい」
小3から中3までシンガポールで生活し、輝いている父親を見て、自分も、と思っていた。そんな想いは、就職活動のときにも持っていて、そして、みごと第一志望の全世界に支社をもつ会社に入社する。東京本社ではその実力を見込まれ、エリートコースにもなっている大阪支社に出向くことになる。

が、そこに待っていたのは、モチベーションの低い仕事環境。
極めつけは、仕事中に寝、会社の金でパチンコ、ゴルフ、そして、毎晩3時ごろまで遊んでタクシーチケットで帰る直属の上司。わずかに2年とちょっと前、世の中の不景気はどこ吹く風、そんな「遊び」に付き合わされる。

「抜け出したい」
自分の体が、嫌と言い出す。
人に気兼ねなく、一人で仕事がしたい。

そして、「こいつ(上司)のボーナス分は1ヶ月で稼ぐ」と誓って、会社を飛び出してしまう。もちろん、回りは反対の声ばかり。独立する、ということはやめる一週間前まで考えもしていなかったという。とにかく、嫌で、抜け出したかった。

 バイトと不安な日々

やめたものの、さて、何をするかと考える。
とにかく、お金を稼がなければならない。まず、以前からやっていた株のデイトレートをやるのと、携帯のネットビジネスを考える。
が、携帯のネットビジネスはすでに多くの人がやっており、ノウハウがパッケージ化されるまでになっていた。ちょっと、参入時期が遅かったのだ。
そこで、あきらめ、輸入代行ビジネスを考える。が、これもすでにやられている。
デイトレートもこのころにやめる。

輸入代行の話を友人の母親としていたら、
「海外のものを日本にもってくるより、日本のものを海外に持っていくほうがいいのでは?」
といわれる。

また、職人を紹介するサイトを作りたい、というアイディアが浮かぶ。

それに加えて、「独立できるやつ」の条件として「意識を研ぎ澄ませて街を歩いて、そこで何か感じること」(何も感じなければ資格なし)という書かれた本を読んで、不安だったが、梅田のロフトを歩いているとき、「納豆石鹸」「竹炭シャンプー」が目に留まった。「これだ!
日本独自のものを扱う総合商社をつくろう。」と思ったという。
 (このアイディアが、後の「Japan-made.com」となる)

そして、会社設立。2004年5月24日
ちなみに、アメリカのデラウェア州で代理人に申請してもらう。 この州は会社の設立・解散が容易であるため小さな州にもかかわらず、多くの大企業がここに籍をおいている。かなり、いい加減なようで。タックスヘブンの国に大企業が多いのと同じ構造のようだ。 

ここあたりから、大阪産業創造館の「創業塾」や「ウリウリ教習所」などに通う。
お金は尽きてしまったので、バイトをしながら。このころは人前で話すのも苦手で、精神的にも低位にある時期で、ADSLの販促ディレクターの研修中に首になることもあったという。
その後、学生時代にしていた警備員のバイトを始めて、そこで認められたりしながら、大阪産業創造館で出会った輸入代行をしている方に付きっ切りでウェブ作成を学んだりしながら、9月末、ついに「職人.com」をオープンさせる。

偶然天神橋商店街で出会ったアクセサリーを作っている方と意気投合、その知り合いの二人がオープン開始当時の職人となる。
2人とはいえ、アクセサリーは種類も多く、比較的よく売れて1ヶ月10万を売り上げる。
このころ、雑誌の取材では「2年で職人を300人にする」と豪語していた。

その後、少しずつ売り上げは伸びていくが、2005年3月に危機が訪れる。
当初から参加しており、売り上げの9割を計上していたアクセサリー職人が抜けることになってしまったのだ。
単純計算、それまで42万だった売り上げは10万程度になるところだったが、この時、強く 職人.comに関心を持った、ハンチング帽子をつくっている職人と出会う。
その方の貢献があって、4月もなんとか20万を売り上げる。その後、5月32万、6月65万と順調に伸ばしていく。
とはいえ、これは売り上げ高。純利益にしたら、まだまだこれだけではやっていけない。

このとき、京大ベンチャーの「のぞみ」の立ち上げを手伝ってくれないかと誘われ、(これは自給にすると、2000円くらいのバイト、となる) こうして、ひとつの収入源ができる。

そんな暮らしのなかで、京都に移る。ここで伝統文化をネットで発信したいという人とめぐり合い、また、事業に関心を持ったイギリス人とも出会い、 Japan-made.com をつくる。
マスター・マインド という理論によれば、人間の発揮できる仕事を数字で表せば、
1+1=3 1+1+1=5 になるのであり、(これ以上になると、「慣れあい」の弊害が出てくる)
3人というのは効率的なチームであるらしく、確かに仕事がはかどるようになったという。

その後は、雑誌をチェックしたり、店を回ったりして櫻井さん自ら職人を探し、現在20人になり、
ジーンズの人気ぶりも手伝って、1ヶ月に売り上げ600万を計上している。
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by taiji_nakao | 2006-04-26 18:49 | ひと
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