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2006年 05月 10日
暗黙知の認知的側面
卒論のテーマを「地域材ビジネス全体が知識を創造し、成長しつづけるためにはどうしたらよいか」などというものにすることに決めた。
ものの、そもそもこの「知識創造」ということに関して、完全な独学で直感に頼っているところが多く、*わかっていない *人に伝わらない というところがあるので、
少しずつ自分の考えているところを書いていくことにする。
ので、忌憚のないご意見、「そもそも」な質問、ってゆうか、このへん何言ってるか良くわからないというコメント、トラバ、メール(nakao_taiji@excite.co.jp まで)お待ちしています。

 形式知と暗黙知

 知識には、文書・マニュアルなどで表すことのできる「形式知」と、感覚的なもので言語で表すことの難しい「暗黙知」がある。
 例えば、「ぴん ぽん ぱん!」にアクセスする方法は「ヤフーで、「ぴん ぽん ぱん!」と検索すれば出てくる」と教えられるが、自転車に乗ったことにない人に、「どうやって運転するのか」を言葉だけで説明するのは不可能である。

 暗黙知の重要性

 ものすごく大雑把に言えば、西洋の主流ではデカルト以来 主体(にんげん)と客体ははっきり分離されていて、それは言語で説明できるもの捉えられてきた。自然科学の発展は、そうやって客体(自然)をより緻密に総合的に説明してきた歴史といえる。
 経営の分野でもその流れを汲み、「科学的管理法」が発達する。
そのアンチテーゼも出てきたりしているのだが、とにかくここでいいたことは、
今まで(今も?)は、形式知を元に素晴らしい戦略を立てて実行すればうまくいく、と考えられてきた、ということである。

 今日のコンサルへの批判は、このあたりにある。
企業と市場のデータを分析し、成功する戦略を立てる。

が、往々にしてそれはうまくいかない。それは、暗黙知の重要性を理解していないことによるところが大きいのだ。

 暗黙知の認知的側面

 暗黙知には、自転車の運転技術のような「技能的側面」と、「こうである」という現実のイメージ、「こうあるべきだ」という未来へのビジョンといった「認知的側面」がある。
 この「認知的側面」がいかに重要であるかについてのケースとして、とある団体の、新歓(新入生歓迎)のビラまきをめぐってのやり取りを以下に書いてみる。

*****

4月は、昼休みと夕方、それぞれ毎週一回ずつ単独説明会を開いていた。
そのほかに、2種類の合同説明会に2回ずつ参加し、毎週週末に活動をしていた。

ビラには、これらの情報すべてが載っていて、とにかく認知して欲しいということがひとつの目的である。
が、水曜と木曜の説明会の朝に黒板に書くのと同時にビラを配ることで、直接的にはこのビラをみて説明会に来て欲しいという狙いだった。

一回のビラまきはおよそ800~900枚で、全部で3500枚を撒いた。

しかし、実際にビラを見て説明会に来たのはわずかに1人だった。。

当初から「5月20日の合宿までを新歓期とする」ということもあって、5月も説明会をすることに
なっていて、これをどうする?という話が、現場の何人かで話された。
ここでは、説明会(2回)の当日に
*日付に丸をつけて目立たせる
*1000枚ずつ配る
と決まった。

これを聞いた方向性を考えているTは、「最後の追い込みとして、できるだけ説明会を目立たせたビラを、できるだけたくさん撒いて説明会に来てもらう」ということだと認識する
というわけで、ビラ作成の際もそのように手直しもしてもらって原案を作ってもらう。。

また4月のビラ配りは、担当を一人決めて、そのほかは任意で参加だったために人が集まらなかったと見ていて、シフトを組めばもっと配る人数を増やせると考えていた。

さて、その後印刷・ビラ配りにTは参加せず、説明会に行くと、、
*配るビラは両日あわせて1000枚になった
ということを知る。

2000枚でも足りないと思っていたのに、これは無意味に近いと感じる。

そして、その夜はちょうどミーティングの日だった。

* *

ここで状況を整理すると、
全体の方向を考えている(経営的視点)Tは、
「3500枚配って1人しか来なかった」、「シフトを組めばもっと人を増やせる」
と考えている。この背景には、「ビラまきは千一(1000枚で1人こればいい方)」という形式知があり、これらをもって
「このままでは、誰も昼休み説明会にこない。
そして、ビラ作りから輪転、配った努力が無駄になってしまう」
という「こうである」という現状のイメージ(=暗黙知の認知的側面)
を持っている。
そして、
「あと2500枚くらいは撒けるし、そうすれば一人か二人はくるだろう」
という「こうあるべきだ」という未来のイメージ(=暗黙知の認知的側面)を持っている。

一方、この時点では、現場がどう考えているかはわからない。

●ここで、コンサルがよく批判される、形式知しか見ないアプローチとはどんなものかというと、


ミーティングにて

「ビラまきでは、千一が常識ということです。しかも、4月は3500枚配ったのに1人しか来ていない。となれば、5月の説明会に来てもらうには1000枚ではとても足りない。
4月はシフトを作らなかったから、配る人が集まらなかったが、今度はシフトを作ればもっと人は集まり、配れる。最低、あと2000枚は増刷しよう。ちなみに、朝配りに来れる人は?」

Q「それだけ配っても来ない可能性が高い」
A「それはビラ配り自体の意味を否定している」

Q「紙がもったいない」
A「ビラを配ると決めた以上仕方ない」

Q「日にちに○をつけるのは効果的だが、それほどの量で可能か?」
A「○は、必ずしもつける必要はないが、やるきになればできる」

といった具合に進む。
この状況で、無理やり決定すると・・

輪転(印刷)には、もしかしたらTしか来ないかもしれない。

そして、朝時間通りにくるのは、来るといった人より少なくなるのも目に見えているし、
何より今後に支障を残してしまう。

* * *

(おそらく)うまくいかない最大の理由は、
現場が持っている暗黙知の認知的側面を見逃しているからである。

Q「それだけ配っても来ない可能性が高い」
A「それはビラ配り自体の意味を否定している」

形式知、あるいは論理的に言えば、ビラ配りをすると決めてビラを作ったのに、数を配ることが無意味と思う、というのはナンセンスである。
しかし、実際にビラ配りをやってみて、

「このままビラを配っても、配る労力にあった成果を挙げられない」

という暗黙知を得たのである。

いうまでもなく、これが「こうである」という現実のイメージである。
そして、

「何か別のアプローチをすれば、人が来てくれるかもしれない」

という未来へのイメージを持っている。

実際のミーティングでは、

こうした暗黙知がTにも伝わった=表出化(*1)された ため、

「すでに刷って、丸をつけある残り500枚をできるだけ(6人参加)、前日に手渡しで配り、残ったものは今までどおり教室撒く」

ということになった。

* * *

さて、ここで、
「ビラをたくさん配る」のと、「手渡しで配る」の、
どっちがいいの??

というのは、疑問に残る。誰か知っていたらぜひ教えて欲しい。

これを統計学的に証明しようとすればやって入れないことはないかもしれないが、毎年新入生も変わるなど変化のファクターが多すぎて、まあ難しいだろう。

結局のところ、誰にも「答え」はわからないのだ。
だから、やってみて、結果を見ながら少しずつ対応を変えるしかない。
「順応的管理」とか言われるのは、こういうこと。
そして、やってみて得られるのは、数字で出てくる形式知だけでなく、暗黙知も各個人の中にたくさん蓄積される。

しかし、ちょっと視点は変わるが、
「優れた方法で、モチベーションが低い」場合と、
「やや劣るが、モチベーションは高い」場合では、
後者の方が成果が上がる、という研究もある。

私なりの説明では、変化の激しい中では、

どんなに素晴らしいシステムでも、些細なことをちょっと改善すればうまくいくのに、機能しなくなる可能性がある。その結果は致命的なことになる。
一方、ある程度劣ったシステムでも、些細なことを改善することで、計画以上の成果を上げられることもある。

結局、そこで働く人が気持ちよく働き、目的を理解し、より多くのことに気づき、なるたけ早く改善
することが一番重要なのだ。

* *

2つの論点が混じったようですが、今回はここまで。

*1 注 表出化
暗黙知を形式知に転換すること。
あのミーティングでそれが最後までできていたかは疑問だが、
ミーティングの中で、

「テニサー(テニスサークル 一日に数千枚とかビラまきをする)にはかなわない」
「ビラ +アルファの、何かをしないと人は来ない」

といった、コンセプトが表出された、と理解している。
が、それをみんなでしっかり共有するところまではできたかは疑問。

参考というより、ここの理論を紹介しているようなもの

●知識創造企業 野中郁次郎 竹内弘高
(今読み進めている途中)
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by taiji_nakao | 2006-05-10 17:29 | 考え事
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