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2006年 06月 09日
しあわせ論
某先輩一押しの人ということで、永井均の、「<子ども>のための哲学」、この本を紹介された。
二部構成になっていて、前半のぼくと<ぼく>の議論、<子ども>の疑問はおそらく筆者と共有できていると思われ、なかなか面白かった。

それに、これはどんあ分野でもいえるような気がするが、「自分はプロでない」という人には面白い人がいる。
プロとか、その世界にいると、そこには伝統もある一方で、プロであるための定義がつらつら並び、自由な発想を奪っているからだろう。

ここでは、後半の道徳論に対して、自説を書いてみたい。

哲学的な問いを多くの人が問わないように、道徳というものは「いかがわしいもの」であるにもかかわらず、それが守られていた方が世の中うまくいくため、多くの人が疑うことなく、あるいはおかしさを感じながら、それを守るように呼びかけている。
しかし、そうではなく、利己的に生きるために仮に守っているに過ぎない、というのだ。

この辺は時間もないし、正確でないかもしれませんが、ここで指摘したいのは、道徳の本質は虚構ではない、ということである。

虚構の道徳は、世の中に溢れている。
建前の道徳とでもいえるかもしれない。例えば、なぜだか不明だが、今日百万遍には4人の交通整備のおばちゃんが、一生懸命笛を吹いて、
ピピッピ!ピー!「自転車は、自転車のラインの中だけを走ってください」
と一生懸命怒鳴っていた。まったく、うるさい。

どのくらいあれを続けるのか知らないが、お金と労力を無駄にしてそこにいる人に不愉快な思いをさせているだけだと思ってしまう。
だって、自転車の方が圧倒的に多いのだし、自転車のひとにだって都合があるのだ。
それを、守ってくださいの一点張りでは。。
こういうときに、もし罰則がつくことを私が知っていれば、もちろん、守る。

そういう、「道徳」はもちろん、社会には溢れている。
しかし、道徳の本質はそこにはない、と思う。

* * *

人生の目的とは何か?
という問いの答えはなく、それを問い続けることそのものかもしれない。
ただ、「幸せでありたい」という点では共通しているだろう。

では、幸せであるためにはどうしたらいいのか?

私のその答えは、「(できれば自分が好きな)人のために一生懸命働くこと」である。

アクセンチュアの最終面接で、「圧迫面接」の面接官は、

「人を動かすものには、
*名誉欲 *権力欲 *金銭欲 *異性にもてたい
のどれかである。あなたはどれか?」

と聞いてきた。
はあ?というもんだが、しょうがないから、
「異性にもてたいです」
と答えたら、
「異性にもてるためにはどうしたらいいか、戦略的に説明してください」
といわれる。
「まず、センスを磨くこと。センスとは・・(省略)
それから、相手を思いやること・・」
と言っていたら、
「あまり切実さがありませんね」
「・・・」
というわけで(それが原因かしらないが)落とされた。

この人は、外資系コンサルのパートーナーであるから、大企業の取締役クラスであり、業界を牛耳る(引っ張るともいう)ような人物である。
そのなかで、どろどろもある競争を、強い欲を持って勝ち抜いてきたのだろう。
そして、私にはそのような欲はないと判断したのだろう。

だが、それこそ聞きたい。
「その欲を満たして、何がしたいのか?」
と。答えられるかな?

幸せの話に戻す。
欲に引っ張られ、一生懸命働いているときは充実していて、成果もでるし、楽しいだろう。このときは幸せであるといえる。
そして、成果を認められ、それが、名誉か権力か金銭か異性かは知らないが、それを手に入れれば、そのときは幸せだろう。
そうやって、そのときにいる取り巻きに敬意を払われ幸せだろう。

だが、その欲が満たされて、名誉と権力と金銭と異性、すべて手にしたとして、例えば、その広い家でふと、月を見上げたとき、本当に幸せだろうか。
何か、やるせなさを感じるのではないか。

しかも、そういう欲を満たすためには、人を蹴落とさなければならないから、数々の人にうらみも言われようし。それも、さらなる欲を満たすことで補うのか。

人のために働くことは、もちろん、人を蹴落とさなければならない場面もあるだろうが、そういうことが少ない。

一生懸命、働いているときも充実し、幸せである。
成果が出れば、もちろん嬉しいし、感謝される。
そこで、もちろん、もらうものは最低限もらうが、特に名誉も権力も金銭も異性も(って、それりゃあ、相手はほしいけど、彼が言ってたのはそういうのじゃないよね。きっと)、そんなにいらんでしょ。

そんなものいらないさ。
それより、幸せになったひとびとが周りにいて、感謝されるほうがよっぽどいいではないか。
ふと月を見上げたとき、そうやって(おせっかいにも)面倒をみた誰かの顔を思い浮かべて、どうしているかなとにやにやしている。
根本的な理由としては、人間はどういうわけだか、人から感謝されるとエネルギーを受け取れるからである。

この場合、いつも幸せなのだ。
(裏切られたら悲しいけど。世の中そんなこともあるだろう)

* * *

「できるときに できることを 人にしてあげなさい」

ほぼ日刊イトイ新聞語録
監修:糸井重里

智慧の実のことば の中で一番のお気に入り
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by taiji_nakao | 2006-06-09 17:41 | 考え事
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