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2006年 08月 19日
ゑ○す屋から
ゑび○屋は、出町商店街の河原町通りから入って手前の方にあるスーパーだ。
5本入り78円のきゅうりを買って袋に入れるとき、そのきゅうりの3本の一方のヘタがちぎれていて、露出した果肉がのぞいていた。それをみて、また慎重に選ばなかったことを、ちょっと後悔した。とはいっても、選んだところでどれも似たり寄ったりなのだろうけど。
このスーパーはサークルの仲間で呑んだりするときに買出しに来るので、「○びす屋クオリティ」は有名である。300円ほどのパイナップルが完熟の後だったりする。しいたけをかごに入れたとき、「かびてるよ」という友人に「そんなことあるかい」と言っていたら、本当にかびていた。
痛んでいたり、腐りかけていることは良くあることである。
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ここに曲がっているにんじんがあり、その隣にやや曲がっているにんじん、そして曲がっていないにんじんがあったとする。
普通、曲がってないにんじんを選ぶ。

以前カナートの地下のイズミヤにいったとき、ゑびす屋に慣れている私の目には野菜がきれい過ぎるように見えた。にんじんもナスも端正で、きちっとラップに包まれている。
たぶん、曲がっていないにんじんを選び続けた結果としてこうなったのだろう。

でも、畑にはここにたどり着けなくなった野菜たちがいて、ここにたどり着かせるための苦労をしている農家の人たちがいるのだろう。
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「曲がったにんじんでもかまわない」のだが、「曲がったにんじんより、曲がっていないにんじんを選びたい」というところが厄介だ。
でも、これが素直な気持ちだ。曲がったにんじんと、曲がってないにんじんが目の前にあれば曲がってないのを選ぶ。

物売りたちは、リスクを消費者から解放することによって、すなわち生産者側がリスクを負う(曲がったにんじんを選ぶというリスク)ということによって、消費者満足度を高めてきた。

売り手市場に長く漬かり、そこからいまだに抜け出せない木材業界は、そうしたことーリスクを負うことーをしないことが問題だ、と先の月例会の講師の先生は言っていた。

しかし、消費者が十分な情報を得たとき、その間に入る「専門家」の意向は必ずしも正しくない=消費者の利益を代表しない。
ちょっと、違うかもしれない。曲がっていないにんじんが好きな、消費者の利益は代表している。

しかし、そのために社会的犠牲が払われていること(農地に放棄される作物、農家の手間等)を問題視する人の意向は代表されていない。
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もっと言えば、消費者は生活者になろうとしているのである。
私達は、消費者であるとともに生産者である。消費者がその権利を主張するほど、神様であるお客様が駄々をこねるほど、その声は生産側に響く。そして、その生産の上流に行くほどその声は響きをますようだ。

全てではないだろうけど、そうやってひどい職場が作られる。
一方で、消費者でお客様な人は、一方で、生産者で苦労する。

そうやって、端正なにんじんがそろえられる。

だけど、曲がってるの「が」いいじゃない。なんて、言ったらどうなるだろう。
-曲がっているにんじんを混ぜなければ
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今、生産側はサプライヤーからメーカー、小売までトータルコストを下げている。
が、もし、当たり障りがない程度なら、消費者も社会的トータルコストを下げるカイゼン活動にちょっぴり参加するのはどうか。
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それはつまり、失敗すれば痛んだトマトをつかまされるかも知れず、ふと気づけばしいたけにカビが生えているお店に行く??

それは嫌ですね、

あ、でも、形くらいなら、リスクを負うことはどうってことない。ランダムに積んでおいて、来た客から選んでいく。期限が迫ったら、たたき売りしなきゃならないんだから、それの根拠付けになる。

-形がきれいなものから売れていくので、売れ残ったものは安く売られてしかるべきだ。
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こじ付けかも知れない。
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by taiji_nakao | 2006-08-19 09:54 | エッセイ
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