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2005年 02月 02日
生物多様性考(Ⅰ)
 環境問題のことを考えていると、生物多様性という言葉はよく聞く。そして、確かに、多くの種が絶滅していくのはまずい状況だと思う。
 でも、例えば林業の現場なんかを見てると、そんなこと言われたって、気にしてる余裕ないし。

 農業でも同じような状況だと思います。

 もう少し過激に言えば、そんなこと言うのは、現場を知らないやつらだろ、なんて思ってしまう。

 というわけで、生物多様性について考えてみます。
 
 これは、前に杉良の勉強会で使ったレジュメです。

 まず、これから始めます。

 なお、このレジュメを作るにあたって、
 「生物多様性の意味」 ダイヤモンド社 藤倉良を参考にしています。

 というより、この本を読んで刺激を受けて書きました。

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1.意味不明な生物多様性議論

生物多様性保全のイメージ=自然保護主義 
 → 非現実的

自然保護主義
 アニマルライト(動物にも権利をという主張)や自然の権利論(自然は権利を持っており、それを犯された場合、訴える権利を持つ、という主張。(もちろん、自然は訴えられないので人間が「代理」となる)といった考え方が基礎にある。
 これらの考え方には、そこに暮らしている人の実情や、他を犠牲にしなければ成立できない現代社会の事実に目が向いておらず、単なるノスタルジアな夢を見ているかのような安易さが漂う。
 また、生態学的に見て、ある機能を担う種は数種いて、いつも競い合っているのが現実で、その中の特定の一種を保護することは、別の種を排することであり、すべての生物を守ることなどできない。自然保護主義者は、得てして自分の好む生物=自然と捉え、その種を守ることが自然を守ることだと思い込んでいる。

ポスト自然保護主義
 自然と直接かかわっている人たち、特に第一次産業に携わる人たちは、当然ながら自然保護主義は非現実なものとして考えていることが多い。また、環境問題を深く考える人なら、こうした疑問を持つことはむしろ一般的になっているようである。
 「ポスト自然保護主義」とでも呼べるだろうか。特徴としては、仕事としている人なら、「生活を成り立たせる」(経済的に成り立たせる)ことが一番であり、市民活動なら「自分たちが楽しむこと」を一番に据える。そして、「結果的に自然は守られる」、と捉えている。極めて自然な考え方で、このことは大原則だろう。

当たり前というスタンス
 変化が激しく、人々の経験、価値観が多様になった現代では、「あたりまえ」という言葉は一切通用しない。自分が当たり前だと思っていること、例えば使う言葉の定義などは、これから話そうとする人と自分とはまず食い違っている、という認識を持たなければ、文字通り、「話にならない」だろう。
 しかし、生物多様性の重要さを訴える人のほとんどは、「生物多様性が重要なことは当たり前」と捉えている。ストレートに「なぜ?」と問い、答えようとする姿勢がかけていることが多い。

従来の答え
 生物多様性の重要さを説明する答えとしては、1.「人間だけの都合で他の種を絶滅させることは許されない」といった倫理的見地からなるものと、2.「まだ未発見の生物の遺伝情報が失われる」といった医療的・育種的見地からなるものの2つと決まっているようである。
 しかしながら、これらの答えでは「ポスト自然主義者」は到底納得できない。例えば、進行するデフレと後継者不足に悩まされる第一次産業従事者に、これらの言葉が響くとはとても思えない。

でも、これだけ声高に国際的に問題になってる
           「生物多様性って、いったい何なんだ!」


2.人間の生活は生態系に依存している

自然保護から生態系保護へ
 「自然」という言葉は極めて抽象的で、人それぞれによってイメージする内容も多様である。「自然をどう捉えるか?」という問いは哲学的であり、難解である。この問いかけも重要であるが、もう少し具体的な「生態系」という言葉を使う方がイメージを共有しやすい。

生命維持サービスを提供する生態系
 きれいな空気、水、食料、住処など、生命が生きていくために不可欠なサービスのすべてを生態系が提供している。他の生物と同じように、人間もこれら基本的なサービスの恩恵を受けて生きている。この生態系が正常に機能しなくなれば、人間もまた生きていけなくなる。

現代人は「人間系」に住んでいるのか
 しかし、都市に住む人間はそんなことを少しも考えない。むしろ、それらのサービスはすべて人間が担っているように思える。
 例えば、水。水は人間が作ったダムから運び、人間が上水処理場で飲めるようにしているものだ。食料。野菜は人間が作ったものだ。温度調節。人間が作った服を着て、人間が作ったエアコンを使っている。排出物。人間が処理場で処理してくれる。
どうやら、人間は生態系とは別の「人間系」に住んでいるようである。実際、私たちは熱帯林や里山の生態系といったとき、自分たちとは別のものとして捉えている。

 「人間系」の内実
 しかし、実際はどうだろうか?
 水を例にとってみる。巨大な土地にエネルギーを使って作ったダムに水をため、上水処理場でエネルギーと塩素等の資源(これもエネルギーを使って作られる)を使って飲めるようにしている。これをはやりエネルギーを使って作り、維持しているパイプを通して運んでいる。また、下水に流した水はやはり、その過程でエネルギーを使って処理される。しかも、人間は有機物を完全に分解することができない。
こうして、水ひとつとっても、その利用の過程で多くの資源を使い、一方で排水は処理し切れていない。石油利用においては過去の生態系の蓄積に頼り、排水処理は今の生態系へ回している。

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ちょっと気になる表現もあると思います。
現在の自分自身も違和感をかじるところもあります。しかし、こうした感覚をもっている人はけっこういるのではないでしょうか?

次回に続きます。
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by taiji_nakao | 2005-02-02 19:40 | 考え事
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