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2005年 02月 06日
生物多様性考(Ⅳ)
 さて。1日空いてしまいましたが、続きです。

 前回までに私の作ったレジュメを載せてきました。
この、レジュメを使った勉強会で、「しかし、生物多様性が重要であるということは、その理由の問えない、倫理的な問いなのではないか?」という意見がありました。

 その場ではすぐに答えられなかったのですが、この問いの意味をたどっていくと、どうやらこの意見は正しいと言えるようです。

 つまり、「ポスト自然主義」もほとんどの場合、「生物多様性が重要である」という倫理観というか、価値観を持っているということです。
 口で、は「生物多様性のために里山を守るって、ちょっとおかしいんじゃない?里山は、人間が利用してきて、結果的に生物が多様だったに過ぎないのだから」
なんて言ったって、やっぱりいわゆる「自然を守りたい」って気持ちが根本にあるからこそ、こういう問題に取り組んでいるに違いないから。

 では、もう一度、自然保護主義とはどういうことなのかをみてみます。

 一番おっきな理念、
「生物多様性は重要だ」が、まず、ある。

ここまでは、環境問題に関わっている人は、ほぼ全員の一致するところでしょう。

ここからです。
では、この理念を意思決定(つまり、政府の政策決定から、地方公共団体の政策決定、あるいは林業会社の年間計画の決定など)にどう反映させるか、ということが問題になります。

 しかし、「生物多様性は重要だ」という理念だけでは、生物多様性に、お金などの経営資源をどのくらいコミットメントするのかということは規定できないわけです。

 そこで、この理念よりもう一つ次元の低い目的を設定する必要があります。

 別の言い方をすると、どんな生態系を目指すのか(どんな生態系が健全なのか)ということです。

 得てして多くの自然保護主義者はこの目的を設定せず、無限大のコミットメントを要求します。
 これは、非現実的です。なぜなら、人間に必要な要素は生物多様性だけではないからです。現代社会で生きていくためにはお金が必要です。マクロで見れば、雇用の問題。コミュニティは、文化を持っています。これも大切なものです。etc・・・

 理想的な意思決定においては、このような多くの要素をどれも尊重できることを目指さなければなりません。

 アメリカのある自然保護主義の団体は、「マダラフクロウが安定して生息できる保護地域を確保すること」をその目的にすればいいとします。

 これは、無限大に「自然を守れ!」というよりはるかに現実性のある提案です。
 しかし、団体の意図としては、「無制限に保護地域を拡大したい」がまずあって、生態系ピラミッドの頂点に位置するフクロウが生きるためには一定以上の面積が必要であるから、大面積が保護地域に指定できる=いいね。と考えているようです。

 仮に、この主張が「マダラフクロウが安定して生息できること」を目的にし、その根拠を「生態系の頂点にあるフクロウが安定して生息できるということは、それ以下の生物も安定して生息できるとみなせるから」とすれば、意思決定において尊重される可能性があります。

 生物多様性考(Ⅲ)までで主張してきたのは、この生態系の健全の定義を、
「自己(人間)の存続できる環境」としたことに他なりません。

 今、これが揺らごうとしているから、と。

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 しかし、この主張の根拠も非常に怪しい。マダラフクロウより怪しい。

 いったい、何種あったら、人間は存続できるのか?

 そもそも、ほんとに生物多様性が失われて人間の生活に重大に支障がでるなんて言えるんかいな。

 生態学は残念ながらこの問いに答えることはできない。

 あまりにファクターが多くて複雑であるから。

 しかも、国家財政にはどんどん余裕が失われている。

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 今までの議論は、全く現実に合わない、机上の空論に過ぎないのだろうか?


 
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by taiji_nakao | 2005-02-06 19:09 | 考え事
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