<< 魅せる/見せる 生物多様性考(Ⅴ) >>
2005年 02月 08日
生物多様性考(Ⅵ)
 実際のところ、今の自分の知識では、生態学ではどこまでわかっているのか、どこまでわかりそうなのか、ということもわかりませんし、どうしたらいいのか?という決定打はありません。

 しかし、ネガティブなまま終わるのは面白くないので、これからどういう方向で考えていうべきなのかを書いてみます。


 最近、ケン・ウィルバーの「統合心理学への道」に偶然出会い、強い感銘を受けているのですが、この人の統合的なアプローチをここに当てはめてみます。

 彼は、全ての現象は「私」「私たち」「それ・それら」という側面を持つといいます。そして、それらは互いに還元することができない、と。
 しかし、現代社会は「それ・それら」の側面からのアプローチだけを強調しているためにおかしなことになっている。

 実は、この「生物多様性考」で考えてきたアプローチもこれに他なりません。つまり、客観的に見て、(あるいは自然科学的に見て)、生物多様性が低くなるということはどういうことなのか。生態系を「それ」としてみて、さらにそこに「それ」としてのヒトが生活するには少なくともどのくらいの多様性が必要なのか、といった視点で論じていたわけです。

 しかし、どうやら、それだけでは限界があるということです。

 「私」「私たち」という視点からのアプローチも必要なのではないか?

 「私」からのアプローチとは、すなわち、私は、生物多様性を大切にしたいと思うから、大切にするということです。

 自分の美学として、そうするわけです。当然ながら、このことは数値化できないですし(=「それ」としてとらえられない)、したがって経済的価値にも変換できません。

 「私たち」というアプローチは、つまり、文化、道徳などと呼ばれるもので、人と人の間で、大切にされるものです。
 例えば、あるコミュニティの人々は、里山の風景を愛し、それを大切にするということ。これもまた、現代では価値がおかれなくなってきているものです。

 **

 ウィルバーの理論は、実際自分でも消化しきれていないので(最後の「私たち」の文章が弱いのもそのため)、ある人にこの話をしたら、「自分の言葉になっていないで使っている」といわれ、その通りだなあと思いました。

 しかし、このアプローチは普遍的で有効だと思っています。

 当然ながら、「それ」のアプローチも重要で、生態学も今後世界中の研究が統合され、次々と解明されていく中で得られる知見がこれからの「新しい、人と森の関わり方」を探る上で大きな助言を与えてくれるはずです。

 しかし、現在見失いがちな、他の二つのアプローチ、「私」「私たち」にも価値を見出していくことこそ、今後進めていかなければならない方向性だと思います。

 というわけで、つたない議論でしたが、第一回の生物多様性考はこれにて終了です。
[PR]
by taiji_nakao | 2005-02-08 23:15 | 考え事
<< 魅せる/見せる 生物多様性考(Ⅴ) >>