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2005年 03月 02日
無駄、非効率、いい加減
勝ち組みだ・負け組みだ騒がれる世の中となって、スキル・キャリア至上主義がもてはやされている。その反動で、「やっぱり無駄って大事だよなあ。非効率・いい加減さがいいんだ」っていうことをよく聞く。この意見には全く賛成であるが、違和感を覚えるときもある。

 まず、こういう意見を言う人はそれに続いて、「無駄なことが後で役立ったりすんだ」と付け加えたり、「無駄なことを受け入れられる人は人望も大きい」と考えたりしている。この考え方はわかる。私自身、「無駄な部分を大切にしたい」と考える動機のひとつになっているのは間違いない。
 
 しかし、これは「今無駄に見えることでも、実は将来役立つんだ」ということを意味しているのであって、「無駄そのものがいいんだ」といっているわけではない。もう少し強く言うと、これもスキル・キャリア主義の延長といえる。

 もう一つは、一般に「スキル・キャリアを積んでいる人」というのは社会的地位は高い。そうした人が、最初にあげた文脈で、社会的地位の低いとされる、いわゆるブルーワーカーの人と話したことを得意げに話す傾向がある。これは私もそうなのだろう。(この文を書いている動機のひとつとしてあることは間違いない)

 しかし、そこでどうも、最初から「彼らは~のように考えているのだろう」という推測があって、その期待通りの話をして、満足しているように思えるときがある。「やっぱり無駄っていいですよね」という具合だ。
 この会話はうそではなく、真実だ。でも、それでは一面しか見ていない気がする。

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 私が工場に住み込みでバイトしていたとき、毎日の会話は「仕事の愚痴」「パチンコ」「酒」で占められていた。

 家賃ゼロの寮に住み、周囲には何もない片田舎で、給料の20万を使いきり、前借したという同僚に驚いた。その時の、「えっ、中尾さんは前借してないの?」と不思議そうに言った26歳の顔は忘れられない。

 同じアパートに住んでいた30半ばの大の大人は、健康診断を受けてこなかったので社会保険に入っていなかった。早く診察を受けように言われても、「大丈夫だろう」で済ませていたら、3週間目に熱中症で倒れ、5日間入院。もう一人の同居人と、保険もないし、こりゃあ金かかるぞ。と話していたら、その男、親の保険で切り抜けた。
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 タバコは無駄なものの例としてわかりやすい。
以前私は、喫煙している友達に向かって「百害あって一利なしとはタバコのことだ」と言って、苦笑いさせたことがある。 その後、彼を含むタバコ愛好家と話したりして、今は「百害あって、九利あり」くらいだと思っている。

 でも、タバコは、自分の健康は言うまでもなく、副流煙、その臭い、ゴミ。ほんと害だらけだ。
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 人のいい加減さや無駄を言ってきて、じゃあ自分はと言われると、枚挙に暇がない。休学しながら、親のスネをかじっているなど。ここで、独白を続けてもしょうがないのでやめておく。

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 人間のそういう面、そもそも、無駄とは、非効率で意味がないこと。それは意味があることをしないということでもあり、迷惑だったり、不快だったりする。

 それら全部をひっくるめて、人間がそういう面を持っていることを受け入れたい。
タバコダメ、タバコダメと排斥するのではなく、「私はタバコ嫌だけど、吸う人がいてもいいじゃない」という寛容さを持ちたい。

 いい加減であれば、結果の質が低下する。安易にそれを認めるような人にはなりたくない。でも、ある人がいい加減であって仕事の質がだめになってしまったとき(もちろん、改善策や今後の対応の戦略は練るにしろ)、その人のそのいい加減さまで受け入れられるひとになりたい。自分自身がそういう面をもっていることを自覚しながら。

 例えばミーティング。効率を求めれば、現在の議題と関係ないことは全く話さないべきである。いつも、ミーティングのクオリティを上げる努力をしたい。でも、ぱっと、誰かが例えば、「そういえばAは今どうしてるんだろう」と全く関係ない話をしだしても、(そういう雰囲気なら)しばしその話題で盛り上がることを楽しめるようでありたい。

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 「無駄」の意味のあるところばかりとって、「やっぱりいいね」と言うのは、
無菌状態の土をつまんで、「やっぱり自然の感覚はいいね」と言うようなものだろう。

 まあ、そんな人はいないと思うけれど、そうなりかねないことは認識する必要があると思うわけです。
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by taiji_nakao | 2005-03-02 01:29 | 考え事
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