カテゴリ:エッセイ( 37 )
2012年 10月 28日
傘立てとビニール傘をめぐる出来事

ー入口の傘立てを利用する時に注意すべきこと
1.店に入る時雨が降っていて、店を出る時雨が止んでいたら、傘を忘れないように注意しなければならない。
2.店に入る時雨が降っていなくて、店の中にいる時に雨が降り出したら、誰かに傘を持っていかれないように注意しなければならない。


喫茶店に入ると、坊主頭の男がちょうどレジに立ったところだった。店員はとりあえず水を運んできたが、注文を受けるのはレジが済んでからということになった。
常連なのか男はチケットを買っている。
そして、外をじっと見ている。雨あしが強いことに困惑しているようだ。しばし、逡巡している。店には、男の他にもう一組客がいるのだが、傘立てには自分の傘を含めて2本しか入っていない。男は傘を持ってこなかったに違いない。

この男、怪しい。取るつもりじゃなかろうか。
案の定、外に出た男はしゃーしゃーと傘を手にして広げようとしたので、駆け寄って睨んだら謝ったのだが、別の傘を広げて去って行ってしまった。

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2時間ほども長居したら、雨あしが強まったようだ。よく見ると、ずいぶんと激しい。ああ、めんどくさい。この喫茶店はお気に入りで、モーニングで2時間ほど粘って本を読むのが週末の楽しみの1つになっている。店のマスターは面白い人のようなのだが、まだあまり会話をしたことはない。で、ちょっとコミュニケーションをとりたい気持ちもあって、あれれ、雨が強くなってしまって困ってしまいました、という気持ちを込めて外を眺めていた。その続きで会話をするでもなかったのだが。

傘立てにビニール傘は2本。1本は細い黒のテープが巻いてあるタイプだ。今、家にビニール傘は3本あるのだが、そのうちの1本はこのタイプだった。今日このタイプを選んだかは記憶が定かでなかったが、置いた場所がこの位置だった気がしたので手にとって開こうとした。その時、さっき店に入ってきたおじさんが迫ってきた。凄い形相だ。どうも自分は傘を間違えたらしい、と思って、とっさに謝って、別の傘を持って行った。

傘を差しながら、自分は傘を持ってきただろうかと自問する。間違いない、差してきた。朝からそれなりに雨は降っていたのだからいくらなんでもこれは間違いない。

そう考えると、あのおじさんの反応はちょっと不自然だ。2本の傘はどちらもビニール傘で、代わり映えがするとも思えないから、それを取り違えたことに対する抗議にしては大げさだ。
そもそも奥のほうに座った彼がその判別をできたのか怪しいものだ。

彼の反応は不当である、と言えるだろう。あの場面ですぐ謝るのは良くなかった。「あら、傘を取り違えてしまいましたか?」とにこやかに語りかけるべきだった。

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店に残された、おじさん、マスター、もう一組の親子連れがどんなことを思っていたのか興味深いのだが、詳細は不明だ。ただ、家に黒いテープが巻いてある傘がなかったことからして、紛らわしい行動と思い込みとミスコミュケーションが引き起こした喜劇ということに落ち着くようだ。
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by taiji_nakao | 2012-10-28 12:50 | エッセイ
2012年 01月 02日
自分の関心領域と今年の目標
書いているとあれこれ出てきてしまいましたが、自分の関心領域と今年の目標、2012年版

■仕事
DAノーマンの最近の著作を読んでいるけれど、面白い。

私はもともと農学部で、学生時代は全くと言っていいほど、プログラムを知らなかった。当時「西海岸」という町家コミュニティによく遊びに行っていたが、そこの主要メンバーである、NOTAなどの開発者である洛西さんが、「今のコンピュータは、インターフェイスが全く人間向きになっていない。」と力説していたのを何度か聞く機会があった。
それですっかり感化された。

アラン クーパー「コンピュータは難しすぎて使えない」、DAノーマンの「だれのためのデザイン」を読んで、私のプログラマとしての基本的な考え方が固まった。

真に人間のことを考え抜かれて作られたソフトウェアは少ない。人間が本来持っているアフォーダンスをうまく活用して、真に使いやすいソフトウェアを開発すべきである。

全くその通りだと思った私は、そういう目で身の回りの製品をみた。実際、酷いものが多いように思われた。そして、それは自分たちが開発するものにもむけられる。最初の会社では、同僚に呆れて「クレーマーだ」と言われたりもしたが、それを誇りと思っていた。

現在仕事で取り組んでいる業務用アプリの世界では特に、まだまだソフトウェアは人間に優しくないことが多い。本当にユーザーにとって使いやすい、そんなソフトウェアを世に出していきたい。

もちろん、ソフトウェアが優れていてもそれで使ってもらえるわけではない。そもそも使ってくださる方に価値を提供できなければお話にならない。そして、どうやって届けるのか。さらには、利益をあげる構造も必要だ。こうしたものがセットになって初めて普及する。今年は、その第一歩の年にしていきたい。

■暮らし
大学一回生の時、サークルの先輩の部屋入った瞬間のことを今でも覚えている。部屋に入ると、空気感が違った。シャンとした気を感じた。古いアパートで狭い部屋だったけど、綺麗に片付けられていて、物が少なく、家具も決して高級品というわけでもないが部屋に馴染んでいた。その雰囲気の生活感に憧れた。

物をできるだけ持たない、持つ物にはこだわる、できるだけ掃除をする(できるだけ・・)。一定以上まできれいにすると、あの「シャン」とした空気感を感じられるようになる。雑多でものに溢れた部屋とを比べると、それは心のあり様が変わってくると思う。

その先輩に、「近所に神社があるよね?」と言われた時、家の周りをほとんど知らなかった私は、「ありましたっけ?」と答えた。私は、一人でいるときは主にテレビを見ており、近所のことに関心を持っていなかった。「近所のことは知ってなきゃ」、と言われ、そうだよなあ、と思ったことをよく覚えている。

普段暮らしている身の回りを観察できるのは心の余裕だと思う。

テレビを持たないで生活して8年以上になる。テレビを持たなくなったことで、たとえば散歩に時間をかけられるようになった。テレビのことで学んだことは、文句を言うくらいなら相手にするな、ということ。8年以上前の話だけど、よくテレビに悪態をついていた。なんと馬鹿げたことをしていたんだろう。嫌いなことに自分の時間を費やすことはない。これは、マザーテレサのいう「愛情の反対は無関心」という言葉の裏返しだろう。

■エンターテイメント
SCRAPというフリーペーパーがある。

創刊の時から、ここの編集長(今は違うのかな?)の加藤隆生が好きで、5年以上ブログも読んでいる。http://keeponmusic.com/katotakao/
最近は東京で大規模な脱出ゲームを数々と仕掛ける売れっ子になっているようだ。この人が、どこかのインタビューで「大人のエンターテイメントは、カラオケ以来ずっと昔のまま進化していない。だから自分たちは、自分たち自身が楽しいと信じている脱出ゲームという新しいエンターテイメントを創っているのだ」というようなことを語っていた。この感覚に共感した。

学生時代から、山仕事サークルだとか薪く炭くKYOTOだとかいった団体、あるいはその他いわゆる環境問題に焦点をあてた活動に参加していた。こうした団体ではつねに「普段興味を持っていない人に感心を持ってもらうこと」が優先度の高いミッションになっていた。

大阪府吹田市で暮らす、会社員としてみるとこうした活動に参加するということは、数ある余暇の過ごす中から選択するということになる。それは言い方を変えると、エンターテイメントということになる。

だから私の今までの興味関心を総合すると、山で遊べるエンターテイメントの場を創ることなのだと思った。去年自分が体験したエンターテイメントで楽しかったのは、いろいろある。初めてのゴルフもなかなか面白かったが、お化け屋敷ワークショップは、本格的に仮装して面白かったし、知り合いの改装中の家の漆喰塗りもなかなか面白いし、水の飲めるくらい綺麗な鷹峯の小川での流しそーめんは最高だった。

今年は、それからいろんな人を巻き込んで、いろいろと遊びたい。コンテンツも豊富にあるので、愉快な仲間たちとあれこれ遊ぶ一年にしたいと思う。第一弾は、1月に鷹峯で、囲炉裏のある小屋での飲み会の予定です。

■食生活
昨年、いろいろな会に紹介していただいている方から予防医学の普及をされている方とお話するようになった。そうした中で、 こんな記事 「食改善で健康になれば、消費税増税は必要なし?」  を見つけた。
(2ページ目からは会員のみ) 実際、この活動をしている自治体では20億といった単位の支出削減効果がでているという。

記事の中で、「最近のコンビニなどをみると炭水化物と脂肪ばかりだ」、という記述がある。
今住んでいるマンションから会社まで、歩いて五分ほどだが、その間にコンビニとマクドナルドがある。どちらも24時間空いている。直ぐに、私は買って食べることができる。レジでほんの30秒待たされることに苛立ちを表明することが当たり前のものとして認識されている。

それで、もう一度みてみる。パン、お弁当、それからハンバーガーなど。見事なほど炭水化物と脂肪だらけ。後は、肉と、そして、食品添加物である。
こんなこと書きながら、週に何度もコンビニのお世話になっている。今年の目標は、脱コンビニです。(ビールを買うのもスーパーの方が安いし)

■身体性と精神の世界
禅には昔から関心があったけれど、特に何もしていなかったが、去年、呼吸法の教室に月に一度くらい行くようになった。それから、モコモコカフェの朝座禅。 http://mocomococafe.jugem.jp/?cid=8 和尚さんDJもしているというユニークな方でとてもいい感じ。二回ほど参加。京都の朝からですが、今年も参加したい。昨年参加した、ダンサーの方が講師の身体のワークショップ、よかった。自分の体のことももっと知りたいと、思う。


いろいろ書きましたが、今年、一番力を入れたいのは仕事。
今年は、広げます。

そして普段は、集中力を高めて、密度の高い仕事ができるように。


それでかつ、ここに書いてあることを実践したいと思います。欲張りですね

ここまで読んでくださった方とは、何かの機会でお話しできれば、なんて思います。


今年もよろしくお願いします。
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by taiji_nakao | 2012-01-02 17:10 | エッセイ
2011年 10月 22日
迷子になった子供が家族と会えましたというアナウンスが好印象だった理由を考えてみる
今日こんなツイートをしました。
阪急の館内放送で、迷子のお知らせの続報をアナウンスしていた。無事に家族に会えたらしい。こういう放送は初めて聞いたけど、いいなと思う。

私にとってはなかなかの反応で、数人にリツイートされました。

正確に言うと、西宮北口のガーデンズ内の放送で、夕方から待ち合わせをしていて、15時から17時半まで時間をつぶしていました。最初、16時くらいに迷子の放送があり、その一時間後くらいに、家族に会えました、というアナウンスがありました。

そもそも、デパートなどにそんなに来ないのですが、こうした放送を聞くのは初めてで、なんだか、いいなあと思ったわけです。

なんでそう思ったのだろうと、リツイートされたというお知らせを見ながら、待ち合わせに考えていました。

一つ目の理由は、解決されたことを聞けた、という事実があります。

現代社会というのは、未解決の問題が山積みです。

多数の未解決の問題はそれぞれが複雑に絡み合っています。そしてたちの悪いことに、私たちもそのシステムに組み込まれています。被害者でもあるが、加害者でもある状況になっています。NHKスペシャルの環境問題のレポートを見ると、決まって最後に、問題提起で終わります。現実問題、問題は複雑で安易な処方箋はないのですが、しかし、暗い気持ちになります。

各種の自己啓発の本によれば、心理学的知見から、人間は未処理の課題を残すことは精神衛生上よくないらしいですが、これは実感からわかります。だから、そのように無数で、未解決の問題が積み重なるといのは、大変に生きにくいです。
※もちろん、だからといって安易な解決策を提示せよと言いたいわけではありません。

ツイッターでは、原発に関する各種の問題から、最近発表されたアプリのセキュリティの問題、政治記者の問題など、どんどん流れていますが、「迷子のお知らせ」を聞いたときの感覚は、ツイッター上に流れるもろもろの問題と同じく、私の頭の中を流れていきました。

迷子のほとんどは無事に見つかっていることでしょうから、さほど心配することでもないでしょう。

それでも、素直によかったねと思ったし、やはり、すっきりしたのだと思います。

単純な事実として、××が問題です!というニュースの数に対して、○○が解決しました!というニュースの数は少ないということもあります。


もう一つ。アナウンスは、「みなさまのご協力ありがとうございました」と言いました。
実際は、この迷子の問題解決に関わった人は数えるほどしかいないはずです。私も全くタッチしていません。ただ、私は少し心配したことは事実です。それは、迷子のお知らせを聞いたとき、比較的静かな場所、ートイレ、にいたため、鮮明に記憶に残ったからですが。だから、そういう心配をしてくださってありがとう、というメッセージにも受け取れました。

私は、毎回の迷子のアナウンスをちゃんと聞いているわけではないです。そういう自分の経験の延長でいうと、少しでも心配した人さえも、全体からみれば半分くらいかもしれません。

でも重要なことは、運営側はある程度本気で、「お客様は協力してくださる方」と思っていることです。

これは、最近よく見る、トイレの「きれいにお使いいただきありがとうございます」という張り紙とは全く違います。この種の張り紙をつけた人は、そんなことを思っていないでしょう。

この張り紙をしたモチベーションは、明らかにきれいに使ってもらいたいからです。本当は、「きれいに使ってね」、もっといえば、「ただで使うんだから、せめてきれいに使えよ」とか思っているはずです。少なくとも、初めて張り紙をした人はそう思ったからわざわざ張り紙をしたのです。それが、ちょっと表現がストレートだから和らげようと思って表現を変えた結果なのでしょう。そして、最近ではそれすら考えず、「とりえあずトイレにはこれ」で決めているのがほとんどだと思われます。

なぜそう言えるかというと、張り紙になんと書こうと労力は同じだからです。
さらにいえば、昨今では「きれいにお使いいただきありがとうございます」は「トイレはきれいに使ってください」よりも意思がないといえます。
なぜなら、今になってストレートな表現の張り紙をするためには、ある程度の、顧客から、あるいは本部からのクレームを覚悟しなければならないからです。

でも、二度目のアナウンスはそうではありません。これをするためには、解決した後に放送室へ報告する手間をかけ、放送係はわざわざボタンを押して、放送しなければならない。そして、このことを始めたときの責任者は、「なぜそんなことをわざわざ放送するのか」という反論を説得し、もしかしたらあるかもしれないクレームに対応する覚悟を持ってこの話を通したはずなのです。

ちょっと大げさですが、そういうコストを払ってまで、「お客様は協力してくださる方である」という性善説に立って、そのような人として扱っています。これは気持ちいいものです。

今の世の中では、そうでない前提で扱われることが多いです。
たとえば、何ページにも及ぶ利用規約を読めとか、正当な理由があってコールセンターに電話しているのに、毎回「音声は録音されます」と聞かされるとか。つまり、私はクレーマー候補として扱われているわけです。
※企業がそうせざるを得ないのもわかりますけれども。
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by taiji_nakao | 2011-10-22 22:25 | エッセイ
2010年 05月 01日
犬と銭湯と探偵ナイトスクープ
ブログ更新が滞ってました。

最近、近所の知り合いができました。
先週、人工林の放棄林の問題に関心があって、そういう活動をしていこうっていうところに興味を持つ方と、人づてで出会う。家はなんと、徒歩10分圏内。

昨日、電車の中でばったり、また別の方で、近くに引っ越したと聞いていたけれど、こちらは3分圏内でした。
なかなかご近所の知り合いがいなかったので、とてもうれしい。

なんだか、最近、もやもやしていたけど、まずはえいやーで、今日の夜発の夜行バスを予約。
島根・鳥取。旅行は、夏以来。ほとんど決まってないけど、楽しんでこれそう。


金曜日は、近い方の銭湯が休みなので、もうひとつ離れた銭湯へ行くのが、最近のパターン。
こちらの銭湯は、まず外壁に、年中、クリスマスに飾ってあるような電飾がチカチカしている。
露天風呂でも、見上げると、ここでも赤・青、黄・緑がチカチカしていて、上はマンションで、視界に入る空は狭く、なんとなくアジアンな香りがする。

そして、正直どうかと思うが、受付と休憩のスペースに犬と猫がいる。
その犬と猫と一緒に、推定平均年齢70代の4,5人がテレビを観ている。

風呂を出て、ちょっと熱さましに、牛乳を飲みながら、そこに加わる。
金曜日の12時前、探偵ナイトスクープがやっていて、ついついみてしまう。
テレビとの付き合いは、このくらいがちょうどいい。

金曜日のこの習慣は続けてしまいそう。
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by taiji_nakao | 2010-05-01 11:53 | エッセイ
2010年 02月 20日
スポーツ選手とマスコミと
家にテレビがないから、大臣まで便乗発言をしていたのは知らなかった。
スノーボード選手のこと。

少し話を聞くに、もう、批判をしてるマスコミは対象のことは別にどうでもいいと考えてるんだろうなって思っていた。

並外れたエネルギーと情熱を注ぎ、創意工夫して、そうやって活躍しているとか、そういうことはどうでもいいんでしょう。単に、「公人」の「不祥事」を探し出して、叩く。

例えば、今思ったのですが、「マスコミ栄誉賞」とかつくって、応募してもらえばいい。
中身はいらないから、ある程度褒め称えておいてから、揚げ足取って、叩く。
もう、それだけですね。
あ、それ、すでにやってるか。

そんなくだらない揚げ足取りで、現実を生きてる人たちの邪魔をしないで欲しい。

この件で、フリーペパーScrapの編集長の加藤隆生氏の記事に共感しました。
スノーボーダーの服装についての見解

これを読んで、そういえば大舞台の本番前にあんなにされてたんですよね。
そんな状況なら、大臣は、「見守ってあげましょう」とか言う立場だと思うのですが・・

日本人には個性がない、とか、嘆かれることが多い。
マスコミをみていると、「個性がない!!個性がない!!」
と言いながら、頭をだしてくると、グーにして全力で殴りつけているようだ。

モグラたたきのように、出てくる瞬間に叩きながら、「個性がない!!!もっと自分を出して!」
とか言っているようで。

寛容さがない。あるいは、対象へのまなざし。或いは、愛とか情熱。それがあったら、批判することがあっても全然違うと思う。

まるでロボットみたいに揚げ足取りしている。

精華大学で日本語リテラシーという、つまり作文の授業をやっている知り合いは、この頃の学生はみんな「空気を読むことに疲れている」と書いてくると言う。

マスコミに限らず、そんな時代の空気ができているんだろうか。

そんなの、嫌だよなあ。

寛容さというのは、当たり前だけど、受け入れる側にちょっと負担がある。
その瞬間は。
大事なのは、その対象が、それまでにコミットしてきたことを想えるか、かもしれない。

とか、書いている自分もまだまだですが。
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by taiji_nakao | 2010-02-20 08:34 | エッセイ
2009年 11月 23日
日本のダブルスタンダード
昨日・今日と、OBIIの創発手帳開発合宿に参加してました。

参加者の特性によるところが大きいのですが、異分野の人とがっつり話すのは楽しいですね。
特に、私は企業向けの仕事なので、消費者むけの視点はまた違って、とても刺激的。
その内容は、ちょっと今はまとまらないので、観光で寄った、海上自衛隊の、
パンフレットにあって、教えてもらって知ったことについて。

今日は、イージス艦の、「あたご」が停泊していて、中を見学したのですが、
「あたご」は、「第三護衛隊」なんですね。

で、護衛隊って何を護衛しているの?という話から、
パンフレットを見ると、英語は、「Detroyer」とある。
全然、日本語と英語が対応していない。

ああ、これが話として聞いたことのある、日本が国内への説明と海外への説明を分けているという、「ダブルスタンダード」というやつか、と知った次第でした。

海外では、基本、Destroyerなんですから、全然、護衛、じゃないのに、
国内だと、某新聞などに批判されるから、「自衛隊」の「護衛隊」なんだと説明するわけですね。

う~ん・・・
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by taiji_nakao | 2009-11-23 21:06 | エッセイ
2009年 11月 15日
自分ではどうしようもなかった失敗はネタになる
仕事への情熱の源泉って、やっぱり認められる、っていうフィールドバックだよね。
という話の中で、でも、失敗はいくらでもあるわけで、それをどう捉えるか、という文脈で出てきた話。

「笑うしかない状況」

自分ではどうしようもなくて、もう、笑うしかない、という状況。
そういう時、笑えるのは、強い。

笑う為には、自分を客観視する必要がある。その状況にコミットしている視点ではなくて、離れた視点から見れている必要があって、だからその状況を笑えている、ということは、自分を客観的に見れている証拠。
この時の視点が、ネタとして話す時の視点となる。


「人は自分の仕事を他の人に理解してもらいたい、と思っている」

人は、理解されたいと思う生き物で、自分が多くの時間をかけている仕事についてはなおさら。
でも、
自分でどうにかできたはずの失敗を語るのは、自分やあるいは自分を取り巻く環境の悪口を語ることになり、それはつまり愚痴となる。
あるいは、うまくいったことを語るのは、つまり自慢話になってしまう。
どちらにしても、聞く方はあまり面白くない。

以前、カウンセラーの人の書いた本に、

よく、上司が部下を飲みに連れて行って、長々と話すことがある。説教とか、自慢話とか。
で、支払は上司なのが普通です。あれは、「カウンセリング代を払っているのです」

のようなことが書いてあって、なるほどな、と思った。
あるいは、

日本でカウンセラーが流行らないのは、スナックのママや占い師がいるから。

という話もどこかで読んだことがある。
愚痴なんかは、こういうところで吐露されたりしているらしい。

でも、自分ではどうしようもなかった失敗は、ネタとなる。
これは、ありがたいことに、聞いている方も楽しい。その上で、話す方も自分の仕事を理解してもらえる。自分が仕事でどんなことを考え、悩んでいるかをわかってもらえる。これは Win-Winの関係だ。
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by taiji_nakao | 2009-11-15 20:35 | エッセイ
2009年 09月 21日
大文字山・夕焼け
今日は、久しぶりに8ruくんと会う。
まずは、場所は吉田山の茂庵。
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すごい人で、待ち時間は1時間半。
でも、景色はすばらしく、満足なところでした。

明るいうちから、ビールとワインをつまみながら、あれこれお話。
まあ、すぐに話は深いところへ・・・

前回の投稿の続きのようなお話。採用コンサルをしている関係でいう話で言えば、来年度の新卒は2割は内定はとれず、再来年に至っては5割しか内定を取れないのは、ほぼ確実な情勢だとか・・・
とにかく、現在人事担当はコストとしか捉えられていない状況であり・・・

十分に気持ちが沈んだところで、大文字山へ。

夕日に間に合わせるべく、急ぐ。
汗をたっぷりかいて、到着。


最近、カメラにはまっている8ruくんが、一眼レフをもった、5日前に日本にやってきたというフランス人とおしゃべりしだす。そのフランス人の友人と私は、普通のデジカメを見せ合って笑い、4人で夕日が沈むのを待つ。

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夕日をバックに、「カメハメ波」のポーズで写真を撮ったりしていた。
ジャパニーズアニメってすごい。

ワンピースも知っているといっていた。
ワンピースは私もいまだ、毎週チェックしている。

つまり、現在進行形の共通の話題を、国境を越えて持っているということであって、これって、すごいことだなあ。とか下る最中に話していた。

薄暗い山道は、なんだか魅力がある。
マンガニッポン昔ばなしに出てきそうな風景だった。
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by taiji_nakao | 2009-09-21 23:26 | エッセイ
2009年 09月 21日
昔はよかった。の意味することは変化した
昔はよかった。
という話を、私は、基本的に信じない。
仮に、ある基準でそういえたとしても、トータルで言えば、そんなことはない、と言いたい。

いつの時代にもいいところも悪いところもあるのだけれど、人は過去を美化する傾向があるから。

これまで、昔はよかったという文脈は、経済が発展して、失われたものに向けられているロマンチズムである傾向があった。
衣食足りて礼節を知る、は真理だと思う。
衣食足りている人たちが、足りていない時代がよかったというのは、基本的に間違っていると思う。


でも、時代は変わってきた。経済は、悪くなっているのだ。
右肩上がりの、シアワセな時代は終わったのだ。
だから、今までよく言われてきた「昔はよかった」という言葉の意味するものが変わってきた。

「終わりの始まり」の足音が聞こえてくる。

学生と話していても、9月の段階で内定がないという4回生がたくさんいるし、卒業しているが定職がない、という人も多い。
私は、就職して間もないので、好景気、というものを知らないから、よくわかないけれど、仕事をしていても、ああ、これが不景気の影響なんだな、と思うシーンが多い。

その一員である自分がいうのもなんだけれど、これからを担う若者の内情、というのも大変のようだ。

現実と自分の思い込みのギャップを思い知らされる場面がないまま、大人になること。
それは、自分でも思い当たる節がある。

たとえば昔は、大学院に進むことは難しかった。特に文系で、博士をとるなどとても大変だった。
ところが、大学院改革で大学院は乱立、学生の数に応じて助成金が決まるから、みんなたくさんとる。
たくさんとって、卒業させない、ということもできずに、結局質が下がる。
挫折を知ることなく、しかも自分の可能性を社会の現実より過大評価する20代後半が量産される・・・

人材会社で働く人は、面接をすっぽかすなどする転職希望者の礼儀知らずさにため息をつくが、
大学関係者は「そこに行く人はまだましな方だ」
という。

昔もそういう人は同じ比率でいた。
でも、そういう人は大学に来ていなかっただけだ。
というロジックが正しいと信じたい。
だが、仮にそうだったとしても、「そういう人」はどこかで働いていただろう、きっと。


今の日本はかつてのアルゼンチンに似ている、とというエッセイを読んだ。
アルゼンチンは、かつて、先進国だった。
農業が基幹産業の時代の覇者だった、らしい。
しかし、その後、世界が工業社会に移る中、移行できなかった。人材は農業が囲い込み、政治はリーダーシップを取れずに、政局争いに終始した。

工業が基幹産業だった時代、日本は覇者だった。
しかし、その後、世界が情報社会に移る中、移行できなかった。人材は、工業が囲い込み、政治は・・・・
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by taiji_nakao | 2009-09-21 08:54 | エッセイ
2009年 09月 16日
コンビニのポイントカードは作るまい
コンビニは使わないほうがよいのはわかっている。

第一に、高い。
同じ商品が、スーパーなら半額とかで売っている。
自炊するか、お茶を作れば遥かに安い。

そして、健康によくない。
それに、おいしくない。お茶屋さんで買ったお茶を沸かせば、20分の一の価格で遥かにおいしいお茶を飲むことができる。

だけれど、週に何度もコンビニに入ってます。
飲み物がないとき。朝ご飯を家で食べる時間がなかったとき。
疲れて、甘いものがほしくなったとき。お腹がすいたとき、ビールが飲みたくなったとき・・・・

便利なんですよねえ

会社の近くにローソンがあって、一時期は週に3度は買っていた。
毎回のように、「ポイントカードはございますか」と聞かれる。
「ありません」という。

ファミリーマートでは、「ツタヤかファミリーマート・・」と言われて、
たいていは、もっていないのだけど、たまたまツタヤに行こうと思っていて
持っているときでも、「ありません」という。
これは、ちょっとやけだ。

でも、最近、その方がよいのだ。
と思っている。
ポイントなんざ、ただの1%引きだ。

月に5,000円使っているとしても、50円だ。
しかも、複数の会社でつかうだろう。

1年に1回でもいい、ポイントカードを持たないことによって、200円の買い物をやめるようになったとしよう。
この場合、200円の「得」だが、この分のポイントを稼ぐためには、2万円分の買い物が必要なのだ。
ひとつの会社で年に2万も使わないから、金銭的にも十分ペイ(?)する気がする。

私は、多くの人がそうであるように、ポイントが貯まるのを快感に思う。
それなら、自分が「溜まるほどよい」と思うことで貯めたい。
例えば、スーパーのポイントカードとか。
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by taiji_nakao | 2009-09-16 23:23 | エッセイ