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2005年 01月 30日
教育論Y(yakyu-kantoku)
  今日は、(京都)森林インストラクター会の安祥寺の森づくりの活動に参
加しました。今回は、瀬田南のスポーツ少年団が間伐体験に来ました。

 野球とサッカーをやってる子供とスタッフが来たんですが、野球の監督と思しき人、自分の中学時代の監督に、体格(ふとっちょでおなかが出ている)、雰囲気(いつも怒った感じ、すぐに悪い言葉でどなるなど)そっくり。

 小中学時代は野球少年だったので、んもう、毎日野球をしていた。
 部活は野球。終わって帰ってきて、時間があったら、友達と野球。休日はもちろん野球。朝早くおきて弟とガムテープボール野球もしたりした。ピンポン玉で室内野球もよくやった。野球の盤ゲームもよくやった。(これは違うか。)

 で、その監督(担任でもあった)は気分屋で、矛盾したことをよく言ったし、何より言い方がいやらしいので、ほんと嫌だった。練習試合に行くというのは、すなわち怒鳴られに行くことだった。

 彼が、熱心であること、その意味は卒業以来理解しているが、彼の価値観を押し付けられたことは、自分にとってあんまりいい経験じゃなかったと思っていた。

 ただ、最近ある人に、私が「だって、気分屋でいつも怒ってて、もう最悪だった」といったら、「でも、人間なんだから、そんなもんでしょ。人間はそういうものだって、学んでいくんじゃないの」みたいなことを言っていて、そんな見方もあるかと思ったことがある。

 今日のスタッフは地域の人なのだが、やはりいちいちチェックして、たたいたり、怒鳴ったりする。保護者にも、「近所のうるさいおっさんたち」と思われているそうである。

 しかし、こういう人が子供を育ててるんだなあとしみじみ思った。いちいちうるさいが、それはちゃんと言うべきことを言っているからでもある。いわく、挨拶をしなさい、ちゃんと聞いているか、どこ見てる、わかってるのか・・

 そのおっちゃんの一人が、「俺らが学校に行くと、子供は恩義を感じてるから口答えできんのじゃ」ということを言っていた。

 それじゃあ、学校の先生は、・・・
 おそらく、ますます価値観が多様になっていること、加えて、教育委員会とPTA(というより一部の神経質な親)の監視を受け、なおかつ仕事が増えて忙しく、子供の信頼を得るのが困難になっているのだろう。この辺は詳しくないですが。

 まあ、とにかく、そのおっちゃんはそれを誇れるくらい、ボランティアでがんばっているのである。地域の人だから、例えば、「○○は幼稚園のころから悪がきだったが、最近はよくなってきたな」なんていう会話ができる。やはり、地域が子供を育てるのだ、なんて思ったりもした。

 こうした文脈で見ると、中学校の監督はそうやって熱心だったんだから、自分にとってよかったんじゃないの?と再評価する気になってくる。

 しかし、、やっぱり、監督と担任が同じなのは問題だなあ。この二つで中学時代の人生ほとんどを占めてたから。
 それにさ、毎日、先生の気づかいをせんならんなんて、やっぱり異常だ。
 いや、もっと自分が強ければよかったのか。

 ああ、でももっと広い視点でみて欲しいなとか。要望は尽きない。おそらくこれは無限。だって、理想の人間像の要素ってほとんど無限。

 先に出てきた、あるときはなした人は、そういう、無限に出てくる要望を全て教師に求めるのは非現実的という趣旨で話しており、それは間違いなく真実だろう。

 とまあ、今日は論点をたくさん残して終了です。



 
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by taiji_nakao | 2005-01-30 21:35
2005年 01月 29日
林業者のつどい(Ⅱ)
 27日の続きです。

 午後は分科会で、僕は「里山活用分科会」に参加しました。
 里山活用、それも森林ボランティア受け入れを通して、という内容です。まず始めに、3人から話題提供がありました。最初は、いつも杉良(すぎりょうと略しています)がお世話になっている、雲ヶ畑の方の発表でした。地域への想い、山への想い、そしてありがたいことに、杉良が来るようになってから地域に新しい風がふくようになったということを熱く語りました。

 雲ヶ畑との渉外をもう2年もやっていますが、こうした想いを聞くのは初めてでした。うれしいですね。そして、これからの活動がいっそう面白くなりそうで、わくわくします。

 2人目は大文字の送り火を続けている、地元の大文字保存会の方の発表。自分の考えをしっかり持っていて、これだけ有名になっている大文字の送り火なのに、「別に明日からだってやめられるんだ。今の若いもんには、何でやってるんだ?と問い続けている。」という話は印象的でした。
 つまり、別にやらなくてもいいのにやっているんだから、その意義は、自分で問い続けなさいよ、っていうことである。

 たぶん、これは組織にとって一番必要なことだと思う。一昔前のように、経済的、社会構造的に、「こうしなければならない」というものは、現代においては少なくなっている。だからこそ、「なんでその組織にいるの?」という問いは重要なのだと。

 自分の所属する団体にとってもそれは当てはまる。これは、自分自身がこれまで考えてきたことでもあった。だが、あの送り火をしている大文字保存会にいて、こう発言するには、強い覚悟があるのだと思う。

 3人目が、山代町森林組合の代表理事。
あとから、話題として出てくるので、話はここでいったんストップ。

**

 今日(29日)、法然院の善気山での森づくりという、
フィールドソサイエティーという会の活動があって、府の林務課の方(Tさんとします)の紹介で、去年の6月ごろに一度ここに参加して、それ以来毎月案内状をもらいながら参加できていなかったのですが、今日、久しぶりに行きました。

 作業の内容はおいおい紹介します。楽しかった、と書いておきます。

 Tさんは、これまで府内の森林ボランティア団体のネットワークづくりに向けてのワークショップや交流会などを企画していて、今回の「林業者のつどい」の第3分科会の担当でもありました。

 正直なところ、今回の分科会に対しては不満だらけだったので、今日はちょっと言っとこうと、生意気な思いを持っていました。

 それで、さほど話す機会がなかったのですが、帰り際、自分の習癖ですが、長く「語り」だしたのでした。

 不満な点

1.「この分科会は、森林ボランティアを広めることが目的」といいながら、森林ボランティア団体の参加はごく一部。しかも、今回3人目に紹介された、森林ボランティア団体サンフォレスターは、森林組合から独立して長にも拘らず、肝心のサンフォレスターからの参加がないこと。
 杉良にしても、自分たちが紹介されるということを一切知らされていなかったこと。

2.話し合いの流れ全体で、ボランティア団体を「所有」しているかのような発言がめだったこと。ボランティア団体の運営関係者の努力に対する理解が見えないこと。

3.質問するにしても、何を聞きたいのかが明確でないなど、会議のやり方が非常に非生産的であること。商工会議所などのプロに相談すれば、もっと効果的なものにできたはず。

をまあ、生意気に言ったのでした。

 小一時間、ずっと話してました。

 断っておきますが、決してけんかしてたわけじゃないですよ。
私だって、林務課の立場は理解しているつもりです。今日話して、いっそう事情がわかりましたし。

 一言で言うと、まだ始まったばかりなんだということでした。
こうして、林業者の間でボランティアの価値を認めるようになったのも進歩だと。

 そして、これからなんだということ。

 私としては、コーディネーターはもっとおっきな理想を持ってもらわないと困ると(これまた生意気に)何度も言ったのでした。

 でも、間違いなく私が思っているより、「田舎の論理」は堅固なんだろうなと改めて理解しました。

 それから、3.に関しては、「そういった街のやり方はなじまない・・」と始まったので、
これまた(生意気にも)そうじゃないんだ、と反論しましたが、これも書くと長くなるので後ほどに改めて書きます。

 でもとにかく、いろんなことを話せました。

 別れるとき、T氏は手を出してきて、それで握手をしました。

 熱い男ですね。

 この他に少なくとも5人の熱い公務員をよく知っています。

 公務員だっていろいろですね。

 まあ、何だってそうなんでしょうが。
「近頃の若者」という個人はいないように・・



 
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by taiji_nakao | 2005-01-29 22:22 | 山と木材のお話
2005年 01月 28日
コピーの重要性
 これからの時代、コピーライターの重要性が増す。間違いナイ。

 現代は変化が激しく、新しい概念が次々に現れてくる。そして、情報の山。伝えたいことを伝えるためには、いかにわかりやすくするかが重要なのはいうまでもない。

 昨日のブログで「木づかい円卓会議」について触れたが、この会議は、木づかい円卓会議の提言5つのポイント~もっとやってみよう~を発表している。
 例えば、
1 国産材製品を使うと、日本の森は元気になる。もっと使ってみよう。~まずはカートンとプランターカバーから~

 この提言ができた経緯として、まず林野庁の担当者が文を作ってきたのだけれども、委員会メンバーは「難しすぎる。こんなんでは一般の人は理解できない」と一蹴。

 それで、これになったそうである。

 しかし、僕に言わせれば、これも甘い。これは、コピーを作る経過の一段階である。こうしたコンセプトをいかにわかりやすく、すっと理解できる表現にするかが大切である。

 広告コピー概論には、こんな例がある。

「自然の味を100%生かしたことをコンセプトにしたトマトジュース」
→水は一滴も加えていません

「他製品に比べてサイズの大きいことをコンセプトにした冷蔵庫」
→ちょっと大きめ

「現代人には自動車保険は不可欠であるをコンセプトにした自動車保険協会」
→せめてもの償いが保険です

 どうですか?うまいもんでしょ。
って、僕が作ったわけじゃないんだけど。

 コピーの力を少し理解できましたか?

 キャッチコピーというと、浅はかというイメージがあると思いますが、決してそんなことはありません。本物のコピーは、「何を伝えたいのか」というコンセプトを深く理解したうえでなければ作れないのです。

 この点、新しい言葉を作ることと同じです。

 例えば、英単語を調べると、意味が1、2,3,・・とあって、これらを読むうちにその単語の持つイメージが少しずつ明らかになってくるわけですが、コピーを作るというのはその逆なわけです。

 伝えたい意味が、1,2,3、・・とある。そして、これらをうまく伝えるためにはどんな表現をしたらいいのかと考えるわけです。

 日本語というのは、二千年以上続いているわけで、やっぱりぴったりする言葉というのが、大抵はある。

 ただ、そのぴったりする言葉を真剣に探すことを現代人はあんまりしないですね。

 巷にあふれるコピーもそう。大抵が、自己満足。言いたいことをあらかじめ知っているときは、「違うだろう!」って突っ込みたくなります。

 今の世の中どうでもいいことであふれていますが、大切なこともたくさんあります。
それを伝えなくちゃいけない。そのときには、やっぱり、コピーの力が必要なのです。
 
 



 
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by taiji_nakao | 2005-01-28 22:04 | 就活
2005年 01月 27日
林業者のつどい(Ⅰ)
 今日は「京都府林業者のつどい」に森林ボランティア山仕事サークル杉良太郎(すぎよしたろう)として参加。

 京都府内の林業関係者の相当数が参加していていた。京都・森と住まいは百年の会でお会いしている人たちがやっぱりすごい人たちなんだと改めて認識。(この会についてはいずれ触れます)

 午前中はグリーンコンシューマー東京ネット理事の秋庭悦子さんの講演。
グリーンコンシュマー運動の高まり→ 森林・木材製品への関心の高まり → でも林業界はそれに全く対応できていない → みなさんもっと積極的に発信を。マーケティングを。
という話で、さすがにこの人たくさんの肩書きを持つだけあって、とてもわかりやすい。

 そして、二言目には「補助金くれ」の林業界への対応としてお手本だと思いました。

 昨年、木材学会は、「日本の森を育てる木づかい円卓会議」を主催しました。この委員会のメンバーには多分野からの参加があり、例えば学識経験者では、経済学部の教授や、経済界からはトヨタ自動車専務取締役なども参加しています。

 秋庭さんもこのメンバーの一人です。ここで話されたことは、企業としてもSR(社会的責任)を求められている中で、温暖化への関心の高まりもあいまって、日本の森林への関心は非常の大きいこと。
 しかし、戦後の一時の材価の高騰期に形成された、林業界の各部門の相互不信と、コミュニケーションの停止(つまり、山の人はとにかく山の立木を売るだけ。素材業者は、伐って市場に出すだけ。市場は売るだけ。製材所は「昔ながらのやり方を続けるだけ」と、どのファクターも消費者のことを考えていない)により、まったくマーケティングも行われておらず、また、コスト削減の取り組みもほとんどなく、20年前とほとんど同じやり方を続けている今の状態では、とてもじゃないけど、市場にはでてこれない。という話です。

 林業は厳しい。これは間違いない。なぜなら、例えば、州が山を持っているカナダでは、立ち木価格は0と設定されている。こうした木が、巨大な船に乗って日本に運ばれ、市場を圧巻する。当然ながら、まじめに木を育てていれば、立ち木価格が0ではやっていけない。

 という状況で、いまや林業は、「産業でない」といわれている。

 しかし、それでも「日本の森を育てる」ためにはどうするのか?
最終的には消費者に一定額を負担してもらうことになるだろう。しかし、だからといって、マーケティングもしない、コスト削減もしない、そのくせ、「補助金をくれ。」これじゃ、どうにもならんでしょ。

 というのが秋庭さんを取り巻く状況で、当然ながら秋庭さんもよくわかっているはず。
しかし、あくまで「私は林業の専門でないので、よくわかりません。でも、消費者は求めているのです。(マーケティングを。市場に国産の木が出回ることを)」というスタンスを取るわけです。

 「マーケティング」・「コスト削減」
こうしたフレーズを言えば、決まって林業関係者は
「あなたは現状を理解していない。現場は厳しいのだ」
と言う。実際、今日の講演の後の質問でもまさにこの言葉がでてきた。

 「私はわかりません。なにしろ、最近まで、木を使うことが環境にとっていいことだとは思っていませんでした。私の周りには、今でもそう考えている人がいます。でも、使うことが必要ならば、私たちは、より地球に優しい消費活動を進めるために、もっと国産材を買っていきたいし、そのためには、生産側の整備を進めて欲しいのです。ただ、今まで全くコミュニケーションがなかった消費者側と生産者側が、このようにして話し合う機会を持てたことをうれしく思っています」

 がちがちに固まっている林業界に「市場の風」を内側から通そうとするなら、こうした姿勢をとらなければならないのだろう。

 そういう意味でお手本。

 でも、やんなっちゃうね。
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by taiji_nakao | 2005-01-27 22:36 | 山と木材のお話
2005年 01月 26日
ぐるぐる
 前からずっとホームページを作ろうと思っていたが、書きたいことがたくさんあり、そのくせなかなかスタートできないので、まずブログから始めることに。

**

 「ぐるぐる」という店は、東大路を百万遍より北へ行き、東鞍馬口をちょっと西へ行ったところにある。ちょっと変わった感じの店。一度だけ行ったことがある。自分ではまあまあ好きな方。インド音楽の演奏会なんかもやってるらしい。帰るときに針金で作った、「ぐるぐる」をくれた。

 ではなくて、道に迷ってしまったという話。

 最近、毎日夜はバイトか何かしらのミーティグで過ごすという暮らしをしていて、今日は、農学部に張ってあったビラを見て前から気になっていた、「マクロ生物学ゼミ」に参加しようと理学部へ。
 いったいどんなやつらがやってるのか、期待と不安を抱えながらビラにある「理学部2号館5F 西側 生物学生控え室」へと向かう。こんな夜に、ほとんどいったことのない理学部。しかも5Fなんてもう、研究室の集まりしかない。

 しかし、、「生物学生控え室」がない・・
ここで、5Fを「ぐるぐる」回るのだが、それはともかく、担当の代表に電話。出ない・・
おいおい。

 仕方なく、帰る。流れたのか。それともどこかでやってるのか。ビラで案内するなら、もうちょっと配慮が欲しいな。しかし、この代表、個性的だ。留守電は自分の声。思わず、「今日のゼミに参・・」と話しかけてしまった。
 もし、「ゼミが始まったので電話などには出たくない」という主義なら好きだが、そうでもないなら、ちょっと、ね。

 それで家に帰ってくるが、なんかしゃくだ。せっかく緊張して行ったのがばかみたいだ。

 そういえば、「VIVA LA MUSICA!」という、白川通り沿いの店で無料のコンサートがあったことを思い出す。行くか迷うがいってしまう。
 「ピアノとバイオリンのデュオ」ということ。(実際には、ピアノじゃなくてキーボードだったが)
 ビールをいっぱい頼み、雑誌に目を通す。ここにおいてある雑誌はなかなかいい。

 さて、音楽の方もやっぱり生演奏はいい。しかし、ちょっと疲れているのか、ビールいっぱいでうとうとしてしまう。

 いい感じの気分になってきて、心ばかりの(ちょっぴりの)おひねり(って実際は箱に入れる)を出して、帰る。

 それで、高原通りを下っていく。prinz、かっこいい。でも高そうだ。なんて考えながら。
他にもなんだかんだ考えながら。

 叡電の踏み切り。左右から来て、ストップ。右から来たやつは駅で止まる。みんな降りたのに発進しない。くそ・・
 待ちきれず、右へ進む。

 そして、進む。しかし、周りの様子がいつもと違う。あそこが、東大路のはずだから・・
などと考えながら進むのだが。

 気づいたとき、高原通りを下っている・・・・ prinzはやっぱり素敵だ・・・
って、おい。

 京都でこんなに見事に、気づいたらぐるぐる回っていたというのは初めてで、
ちょっとショック。



 
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by taiji_nakao | 2005-01-26 22:28 | にっき