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2005年 02月 28日
戦略的楽観性
 これは、イスラエル生まれのアラブ系パレスチナ人にして、米国市民の知識人、エドワード・サイードの言葉。パレスチナを取り巻く状況はひどくなるばかりである。イスラエルの巨大な軍事力は、パレスチナを赤子の手をひねるように、攻撃し、破壊する。しかし、メディアはますます偏った情報しか流さず、パレスチナによるテロを強調(それは真実であるが)するが、そこにある、イスラエルの圧倒的な、国家的テロは目をつぶる。それを強調するものは、のけ者にされる・・
 そうした、どうしようもない状況にあっても、戦略的に希望を持つことが必要だという意味。

 ベトナム戦争の際に7年間も厳しい拷問に耐え抜いた将軍の名で、「ストックデールの逆説」という言葉もある。自分が置かれた、このどうにもならない、文字通り苦痛以外の何者でもない状況を受け入れ、かつ、必ず本国に帰るという希望を持ち続けたという。

 腹をくくるでは、まずそのどうしようもないとしか言いようのない状況を受け入れることの重要性を書いた。そしてかつ、戦略的楽観性を持たなければならない。

 なぜか?って、それは、だって、これから生きていくんだから。生きていかなきゃいけないんだから。ストックデール将軍は、絶望的な状況におかれても、生きることを選んだ。私たちはそれほどまでに、追い詰められてはいないが、それでも、構図は同じである。生きていくことを選択するなら、どうしようもない状況にいるから、どうしようもない、とはいかない。

 とにかく、「必ずうまくいく」と確信する。現状を受け入れた次のステップである。

 現状を受け入れていることは前提で、そうでないとうまくいかない。
 
**
 日本は紙の原料として、オーストラリアのタスマニア島の原生林を大規模に破壊している。私は現場をみていないが、見た人は、その破壊のすさまじさに愕然とする。
 しかし、いくら、私やもっともっと高い問題意識を持つ人たちが必死になっても、その現実のすさまじさを消すために、どんなにがんばっても、あと数年は間違いなく伐られつづける、という現実はそこに存在する。
 悲しいことだが、それは受け入れなければならない。

 しかし、だからといって、あきらめるのではない。私たちは、「必ず原生林が破壊されるのは止まる。」と確信する。その手段としては、「日本では、可能な限り国内の木材からパルプがとられるし、海外からも持続可能な森林管理をしたところから木材が運ばれる。再生紙の利用はもっと進む。紙の無駄遣いも減る。サトウキビの絞りかすのような、非木材の利用も進む」といくらだってあるじゃないか。

 その上で、ではその理想に確実に向かうために、非力な私たちにいったい何ができるのか?
と考え、実践する。その理想に向かうために。その一歩はたとえ小さくても、必ずその方向に向かった一歩を。
 
 例えば、これからミーティングのレジュメはすべて裏紙を使おう。と。

 人は言う、「そんなことしても原生林は救われない」 ある一面の真実である。

 そう言われて、「そんなことないんだ、一人一人の心がけでタスマニアは救えるんだ」などと言う人は、現実を見ていない。「一人一人の心がけ」の意味するところが曖昧だが、そんな標語や心がけだけで問題は解決されることはない、とは確実にいえる。

 それをわかっていることが、「現実を見つめ、腹をくくる」ということの意味すること。

 しかし、それでもなお、裏紙を使っていくのだ。それが、非力な私の第一歩である。もちろん、それだけで満足なんてできっこない。

(それから、「私」が自分の美学を大事にすること、「私たち」が自分たちの文化(ものを大切にする)を大事にするということ自体に大きな意味がある)

 それで、救われるなんて思うわない。事態がそんな甘くないことはわかってる。だからこそどうしようもない状況なのだ。でも、「必ずなんとかする」と確信する。だから、また、次の一歩、次の一歩を踏み出す。チャンスがあれば、飛ぶことだってする。

 だけど、いつも目指す先と、どうしようもない現実である足元は見てる。

**
 そんな人に私はなりたい。
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by taiji_nakao | 2005-02-28 23:49 | 考え事
2005年 02月 28日
日本語はなぜ縦書きか?
 これは昨日、話していて盛り上がったテーマ。
なかなか面白いが、答えは難しい。
このことを考えて、さっき自分の中で発見だったのが、
「必然性はないことは間違いない」ということ。
だって、横書きのアルファベットが存在しているのだから。
というわけで、書くという文化が始まった時の何らかの、(書くという行為からの必然性ではなくて)
ヨーロッパとは違った、中国・日本の偶然的な事情があった、っていうことがポイントでしょうね。

 進化論はよく、「今の生態系は、現在の環境にもっともあうように適応している」
と誤解されますが、実際は、「確かに、うまい具合に(それが美しいほどに)適応しているが、今の形であることは、偶然によるところが大きい」ということ、の応用です
 外来種問題を考えるとわかりやすい。もし、「今の環境に最適化」しているなら、外来種の入り込む余地はないはずです。
 同じく、明治以降、横書き文化が入ってきて、今なお生育域を広げていることがその証拠です。まあ、政治政府は西欧文化を無理やり入れたところがありますから、その逆を考えて、今もなお、縦書きが残っていることがその証拠となるでしょう。
(このことについては、最後に書きます)

**
 脇にそれたので元に戻します。

 では、日本(以下は中国も含み、日本と呼ぶ。ここの議論はけっこう適当でしたので、その辺は今回のエントリーにも反映させます)
で、縦書きになった事情とはなんでしょう?
 これは、けっこう難しいです。というのは、上下と左右は対称だからです。
 つまり、「~なのだから縦書きになったのだ」と、誰かがそれらしいことを発言したら、
「それって、別に横にしても同じじゃない?」と言ってみよう。
沈黙します。
 そうなのです。(だからこそ、ヨーロッパは横書きなのだ、きっと)
 例えば、
「昔は木に文字を書いていた。板には年輪があって、板の長辺方向に平行な線がある。ここで、横書きだと線(凹凸)に抵抗があるので、かきにくい」
という意見が出たとき、なんとなく同意したくなりました。
(のは僕だけ?)

でも、それって、横にしても同じじゃない?
っていうの、そのまま当てはまります。

諸説が出てきましたが、有力説が見つからなかったとして、昨日は終わりました。
しかし、そこで出てきた3つの説は注目に値すると思っています。

*1 板の看板は縦長の方が作りやすい説
 昔もけっこう、お触書のようなものがあったとしましょう。
 (今考えると、これは怪しい。というのは、文字を使えるのは当初は一部の知識階級のみであったはずだから・・は、おいといて)、
 すると、地面にさすのはやっぱり縦ですね。横にするには、さす用の木と、書く用の木が必要だから。

*2 巻物が決め手説
 これは自信を持って推す仮説です。(いいだっしっぺ)
 巻物を考えると、縦書きだと、巻物を構成する(一辺がとってもながい)長方形の紙は、横長になる。のに対して、横書きだと、その長方形は縦長になる。
(この辺は、巻物をイメージしてみてください)
すると、縦長だと、体が邪魔になるわけです。
そら。

この仮説の傍証として、「アルファベット圏」には巻物がないことが必要ですが。

でも、自分でつっこむと、
「先に縦書き文化があったから、今の巻物の形式ができた」
可能性はぬぐえず、(原因と結果、卵と鶏)
これを証明するのは困難そうです。

最後に。

* 初期の天才的な知識人は偶然、縦書きだった説
 ブッタのような、後世に名を残すくらい大きな人物で、しかも書くという行為を広めた天才が、もしかしたら、偶然縦書きをしていたのが理由かもしれない。

 そうしたら、弟子たちはそりゃあ、「~大先生」の書くことまねして、それを横に書こうなんて、ひん曲がったやつはいなかった(あるいはいられなかった)。
 というより、おそらくそこまで考えられる人はわずかで、彼らは例外なく、大先生に心酔していたとすれば、、、、

おお~、この仮説は有力。
しかし、これは、最初に設定した問いの答えではない。
**
というわけで、書くという文化が始まった時の何らかの、(書くという行為からの必然性ではなくて)ヨーロッパとは違った、中国・日本の偶然的な事情があった、っていうことがポイント
**

これに応えるためには、名も知らぬ天才の趣向を考えないといけない。

最初の文字を書く。
彼のペンはしかし、次に、右(もしくは左)へ行かなかった。
下へ行ったのだ。            なぜか?   難問である。
・・・
舞台は中国でしょうね。中国といったら、高い山。
きっと、この天才も修行をしていて、山の中にいた。
そこは、斜めだった。だから、重力の法則によって、ペンは下へ・・
・・くだらないので、この辺にします。
これが仮説3.

結局わからないということなんですが。
だれか、知らないでしょうか?
でも、比較文化学とかで研究されたりしてないのかな?

****
最後に、今日本で縦書きと横書きが棲み分けをしていることについて。

この話とは別に、縦書きと横書きで、
「縦に書いていくと時間列で理解できるからいい」
という話があった。
これはなんとなくうなずけます。(のは僕だけ?)
そして、今の縦書きと横書きの性質を見るに、
小説はやっぱり縦。
横だと論文。
っていう気がします。
これは、論文は西洋から来て、西洋が横だったからなのかもしれません。
またもや、原因と結果の話ですが、ともかくここで言いたいことは、
小説は縦であって欲しいような気がする。
ということです。

全くのフィーリングで、それすらまとまってない話でした。
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by taiji_nakao | 2005-02-28 00:32
2005年 02月 27日
腹をくくる
 これは、「環境・持続社会」研究センター(JACSES)の佐久間さんが萌黄之座でおっしゃっていた言葉ですが、ここで引用させてもらいます。

 佐久間さんは、貿易の問題、特にそのルール(破ればその国は貿易ができなくなる=存続できない)を決めるWTOについての問題を扱っています。

 現状は絶望的です。一部の投資家がますます儲けるような仕組みがどんどんできていく。食のの安全とか、人権さえもその犠牲になっていく。世界は今そういう状況にある。

 大雑把に言うと、まずその、暗い、暗い部分を認識せよ、という話でした。

 **

 私個人の経験としては、昨年、ともいきの杉という、近くの木で家を建てる事業をしているネットワークのメンバーと深くお話しする機会がありました。

 私はそれ以前にも、もちろん、林業が絶望的な状況にある、ということは重々承知していました。

 しかし、そこでは、広く普及させるためには、「軽く訴えないと無理だ」
「このネットワークはストイックすぎる」と私はまあ、主張していたわけです。

 (一晩、ずいぶん話していましたが)

 そこで、私が知ったのは、そのネットワークのメンバーの方々の強固な意志でした。

 絶望的な状況にまっすぐ向いて、それこそ腹をくくって、リスクを負って、立ち向かっている。
 そんな、言葉で表現するような安っぽいもんじゃなくて、その強固たる意志を見ました。

 とにかく、そこで、「どんな方法で発信、啓発するにしろ、根底にこの覚悟がなければ、必ずどこかで道を誤る」
ということを学んだというか、確信しました。

 木材は世界中で生産されているので、国際価格というのはあります。
いろいろな原因があって、これは絶望的に安い。という状況にあることをまず認識せよ。

 そして、その中でなお、林業でメシを食っていこうとするとはどういうことなのか?
(今はそんな人、ほんとに少ないのですが・・)
そんな中でさえ、育林もする(切りっぱなしでないということ。近年、国内でも増加している)ということはどういうことなのか?
 ということを知りました。

  そのどうしようもない現実を真っ向から見て目をそらすな。

~環境が大事だから、森を守ろう!~

などというフレーズを言うのはいいが、その前提に、そのどうしようもない、この現実を見ているか。厳しい現実から目を離していないか?

**

佐久間さんはある講演の後、多くの人が「暗くなる」という感想を持つ中で、それまで農業関係でいろいろな運動をしてきて、しかし、いろいろな情報があって、迷っていたという人は、
「私すっきりしました」
と語った、という話をしていました。

その気持ちはわかる気がします。
しっかりと厳しい現実をみつめぬいた人は強い。
その先、幾度となくいやな現実をみる機会にあっても、どっしり構えていられる。
そういう現実だとわかっているから。
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by taiji_nakao | 2005-02-27 00:49 | 考え事
2005年 02月 25日
互いが望まずして顔見知りになってしまうこと
今日は一休み。

 最近、家のすぐそばで高校生らしき男と女のカップルがよく話し込んでいる。
男はスキンヘッドでヤンキー風である。
男は女に限りなく近づいている。女の背は壁。家に行くためには50%の確率で通るので、厄介である。
しかも、このカップル、愛情表現が激しい。口調はいつもケンカ腰である。

 今日は凄かった。

 ヒステリーな「何でそうなこと言うん?」という声が鳴り響く。部屋からよく聞こえる。
半径50M圏内の住民はみんな聞いている。別に聞きたくもないのだが。

 口調からするに、男がちょっとドライな面を見せたのだろう。女はきっともっと夢に酔いたいのだ。(これら全くの推測)ちょっと家を出て、戻ってきたらいなかったので、ふう~帰ったかと思ったら、うちのアパートの入り口にいる。

 そういや、前に入り口(道路から、直接階段に上るようになっている)に座っていたカップルを思い出した。
「じゃあね」と別れた女、その帰り行く先からして、なんとこのアパートか、隣のアパートに住んでいるみたいだ・・

 しかも、「明日も同じようにね」って、おい。やめてくれ。
そして、女は高校生ではない。私(今21歳)と同じくらいの声である・・・

 ・・・そういうことね。以前、宮部みゆきの小説で、主人公の高校生と水商売のお姉ちゃんの恋愛があって、おじいちゃんがそれをやめるようにと入っていったストーリーを思い出す。状況はかなり似ているようだ。この女、男の純粋さに夢を見ているのだろう。

 その無理がすでに現れてきているようだ
・・今後、さらに荒れそうである・・

なんか今、自分楽しんでるな。 

なんだかんだ言っても、やっぱりシアワセそうであり、うらやましくもある。

ったく。

□ □ □
 
 全く関係ないですが、今日発見した、珍道具事典、やばいです。

 立ち読みしない方がいいです。

 次々と襲ってくる笑いをこらえられず、「クッ、クッ、クック・・」という音が漏れ出し、怪しい人になれること必死です。

 白川通り沿いのがけ書房で見つけて、思わず一冊買いました。

 これ、おすすめ。最高。
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by taiji_nakao | 2005-02-25 22:28 | エッセイ
2005年 02月 25日
あくまでも理想を追求する
全ての側面の主張する目的を認めたら、次にすること。
それは、全ての目的を達成できる手段を考えること。これは、難しい。非常に困難だ。不可能かもしれない。しかし、それでも、「全ての側面の目的を達成する方法はないか?」と探求し続けること。これが、絶対に必要である。

 こんなことを言えば大抵の人は、
「お前は理想を語ってるだけだ。現実を知らない。」とか、「そんな夢物語はいいから」
とあざ笑う。

 それでも、堂々と胸を張って笑顔で理想を語り続けなければならない。
 本気で、「全ての側面を、まず認める」とはそういうことである。

 一昨日のエントリーの例を出します。

 環境問題を解決したい、そして、車社会を見直そうという切り口で対策を考えているとします。そこで、下のような趣旨の話があったとします。
**
 「環境問題は切実だ」

でも、

「彼女をドライブに誘いたい。だって、JRじゃ雰囲気出せない」
っていう人を、どうしてあたまから否定できる?

「あんたの気持ちわかるよ。そりゃあ、そうだよね。」
って受け入れないことには始まらないです。
**

この場合、「全ての側面の目的を達成する方法はないか?」と探求し続けるとは、
「CO2排出量を抑え」かつ「2人でドライブを楽しむような雰囲気を演出する方法はないか?」
と考えることです。

 もっと掘り下げて、「ドライブのどんな雰囲気を求めているのか?」という目的を追求する。
ドライブは手段に過ぎない。

 このスタンスでの追求を続ければ、両者を達成する方法は必ず見つかるでしょう。

 
では、それをしないで、
「デート?そんな悠長なこといってられる場合じゃないだろ。問題外」
と言い出す人がいて、

 「いや、この二つを両立させる道はあります」
という声が小さくなり、しぼんで消えてしまったらどうなるでしょう。

  車使うのダメです。やめましょう

 的なキャンペーンをすることになりますね。それで果たして効果があるのか?


 その種の安易な取り組みの失敗例は世の中にあふれています。

 人間がさまざまな側面を持っているということを認めていないから。

□ □
 現実的にはほとんどの場合、全ての側面の目的を100%達成するのは無理である。
そして、この場合は妥協するしかない。
 そういう意味で、「お前は夢を語ってるだけだ」という意見は正しい。

 しかし、妥協するときは
「私は妥協した。このままでは終わらない。きっと、全ての目的を達成できる手段を見つけ、実行する」
という信念を持ち続ける必要がある。

 そうでなかったら、妥協された側面を強調する人に対して失礼である。
「あなたの言うことが大切なことはわかってるよ。でも、現実的には難しいんだ。今回は勘弁してね。でも、それがうまくいくような方法を一緒に考えていきましょう」
っていう態度をとるべきだ。

□ □
 しかし、おそらくいつになっても全ての目的が完全に達成される日は来ないだろう。

 最初に挙げた問題が全て解決しても、また新しい問題が出てくるだろう。

 だからといって、やってることが無駄なんじゃない。
 前よりは確実に改善されているのだ。

 その理想を求める作業は、永遠に続くプロセス。(プロセス参考

 めんどくさくて、そんなんいやじゃ。と言うのは、現実逃避だろう。
 
 

 
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by taiji_nakao | 2005-02-25 00:20 | 考え事
2005年 02月 23日
手段と目的
 前回のエントリーでは、「全ての側面を、まず認める」と書きました。

 ここで重要なのは、「ある側面において、大切にしたこと」=「その側面の意味・目的を達成したいんだ」ということを確認することです。

 往々にして、人は手段と目的をごちゃ混ぜに考えるために、同じ思いを持つ人同士が決裂し、ひいては憎みあうという不幸が起こります。
 目的は共有しているのに、自分が主張する手段「のみ」を正しいとするために。
 同じ目的を共有している人たちは、「目的を達成したいだけ」なことを確認し、そのための手段なんて別になんだっていいんだ、という姿勢を持つことが必要です。

 しかし、あんまり深く考えないと、手段と目的を分離するのを忘れてしまうものです。

**
 例えば、郵政民有化の話なら、

「各種公的な保護を受けている機関が、金融・運輸事業へ参入していることが問題である」のだが、

「今の郵便局は、山村地域でもきめ細かいサービスをしている。民営化されれば、こうした山村は切り捨てられていく恐れがある」から、民有化はすべきでない。

と言う人がいる。

前者も後者も別の側面を主張しており、正しいことを言っている。

ここで、統合的なアプローチ(あるいは創造的なアプローチ)は、まず、お互いの主張する目的を確認する。

前者は、「政府の特別な保護を受けた機関が、市場に参入する状況は改めるべきである」
という目的を、

後者は、「市場原理下では、山村地域は都会より受けるサービスの質が低下する傾向にあるので、政府はこの格差をなくすように努力するべきである」
という目的を主張している。

ということ。

そして、これらの目的が達成されるなら、手段はどうでもいいということである。

ここで、一つだけはっきりしているのは、今のままでは前者の目的は達成されないと言うことである。(=変わらなければならない)

(現在の郵政体制から利権を得ている人にとってはそうでないだろうが、
もちろん、この議論ではこうした利権はないという前提で話している)

**

  現代社会において、もっとも多くの人が手段と目的を勘違いし、そのために多くの不幸が起きているものがあります。

 それは、お金です。

 お金は、明らかに手段です。

 幸福を得るための手段。

 お金がないと生活できない。趣味の楽しむことも、おいしいものを口にすることも、部屋を飾ることも、快適に暮らすことも、やっぱりお金がいる。

 でも、幸福になりたい(=目的)からお金がいる(=手段)のである。

 決して、お金がある=幸福である、ではない。

 つまり、お金がなくても幸福なら問題はないわけです。

 (今の社会ではそれが難しくなっているが)

 手段が目的化して、本来の目的を見失ってる人、それは不幸な人です。


 
 
 



 
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by taiji_nakao | 2005-02-23 23:28 | 考え事
2005年 02月 22日
全ての側面を、まず認める
 前回、前々回とでっかく掲げてみたものの、これに対する自分の考えを一気に書こうとするのは難しいし、書いてみると独善的で、荒くなってしまうので、少しずつ積み上げていく書き方にします。

 この辺、まだブログでどういうスタイルがいいか模索中といったところです。

 今日は、「統合的なアプローチ」ということで、「全ての側面を、まず認める」ということについて書いてみます。

 前回、自分にはいろんな側面があって、矛盾しあうものも多いと書きました。
 そして、矛盾していることも含め、それら全ての側面の主張する意味を認めることが必要だとも。

 世の中を見たり、生活の中でも、歴史上でも、同じ目的を持っているのに、意見がわれ、離れていく、ということは日常的にあります。
 その理由として、互いが利権を求めたということもあるでしょうが、それを除いた、「意見の対立からの分離」というのもかなりになります。(というより、ほとんど全てのケースの理由の一つでしょう)

 しかし、人の意見の対立というのは大概、「異なる側面を強調しあっているに過ぎない」ことがほとんどです。

 厄介なことに、

*人によって強調する側面が違う
*ある側面だけでも、現象を説明することは可能だし、それは真実である。
(つまり、あらゆる事象は全ての側面を持っている)

ために、対立している人たちは、自分の強調する側面で説明できることを話す。これは真実。でも、その相手が同じように話していることも、全く同じように真実。
なのに、「自分だけが正しい」と思い込んでしまう。

もう一つ。どんな側面も負の面も持っている。これも真実である。
だから、対立する人の強調する側面の負の面を強調する。これは、全く正しい。
したがって、この種の対立は、お互いが真実を語り合っているだけに、収拾がつかない。

**
 ただ、実際問題としては、様々な側面はお互いに全く還元できない側面を強調しあうことより、還元できることのほうが多いがとりあえずおいておく。
**
この場合、「俺の言うことも正しいけど、あんたの言うことも正しいね」と認める。、

そして、口では 「あんたの言うことはその通りだね。うん」とまず認め、
相手が自分を判ってくれたと思ったあたりで、
「でもさあ、~なんだよ。そうおもわない?」みたいに切り出す。
この、「あんたの言うことは全くその通りだね」と言うのがポイント。
確かに他の側面を強調するものとしては癪だが、真実なのだから、しょうがない。

「環境問題は切実だ」

でも、

「彼女をドライブに誘いたい。だって、JRじゃ雰囲気出せない」
っていう人を、どうしてあたまから否定できる?

「あんたの気持ちわかるよ。そりゃあ、そうだよね。」
って受け入れないことには始まらないです。
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by taiji_nakao | 2005-02-22 23:36 | 考え事
2005年 02月 20日
地球温暖化考(Ⅱ) 統合的なアプローチ
温暖化を取り巻く状況を、ケン・ウィルバーに習って(「統合心理学への道」参考)、「客観(それ・それら)」「主観(私)」「間主観(私たち)」の側面から見ていきます。

 1.「客観」

 *1-1 
 地球の平均気温は確実に上昇しており、2100年までに1~3℃上昇すると見込まれている。温室効果ガスの増大がその原因である確率は極めて高い。

 *1-2
 太平洋の島国では、海面上昇の被害が深刻化しており、祖国を離れざるを得ない状況に追い込まれている人々もいる。

 *1-3
 今後、気温の上昇に伴い、具体的に何が起こるかは必ずしも想定できないが、生態系に深刻な影響を与えることは必死である。

 *1-4
 日本をはじめとする先進国の、エネルギーを膨大に消費する生活は温室効果ガスを大量に放出し、温暖化に加担している。

 *1-5
 そして、言うまでもなく、世界中で大いに問題にされている


 2.「主観」(ここでいう「私」はtaiji_nakao)

 *2-1
 私は地球で幸せに暮らしたいと願っているし、自分の子孫もそうであって欲しいし、自分の身の回りはもちろん、他の国々の人々も幸せに暮らして欲しいと思っている。

 *2-2
 *2-1の実現のために、「人が森林とのつながりを深め、豊かな森林を残していく」というアプローチが非常に有効であると思っていて、このアプローチを中心にして*2-1の実現に貢献したいと思っている。

 *2-3
 *2-1の実現のためににも、温暖化を止めたいと思っている。
これは、*2-2の実現にも関わる。
 
 3.「間主観」(この「私たち」は誰なのか?少なくとも私と、共感してくれる人がいるはずと思って書いています。そう思わない人もいるかもしれません)

 *3-1
 例えば、200馬力以上ある乗用車にたった一人で乗るなど、ものすごい無駄なエネルギー消費をしているのに、それを当たり前だと認識している文化は、私たちが望むものではない。

 *3-2
 日本は、経済的に恵まれており、なんだかんだ言っても余裕を持っているという事実。及び、その豊かさは間接的であれ、途上国の犠牲の上にあるという事実から、日本は世界の問題に対して、積極的に関わる責任を持っている。

□ □ □

 ここまでは、こうした問題を扱っているものの本、ウェブで書いてあることでしょう。

 これらは、問題の一面ですが(こういうからといって、これらが重要度が低いといっているのではない。*これが、「ウィルバー的なアプローチ」です)、これだけではないですよね。

 「客観」

 *1-6
 温暖化は、(いわゆる)「環境問題」と分類される中でもそのうちの一つでしかないし、環境というカテゴリーも、貧困、差別、戦争・・と無数にあるうちの一つでしかない。

 *1-7
 私が(あるいは私たちが)どんなにがんばろうとも、程度は変動するにしても、地球は温暖化することは避けられないし、そして島国が水没してしまうという事実は、間違いなくそこに存在する。

 「主観」

 *2-4
 私は楽しく暮らして生きたい。
そのためには、例えば、昨日ブログを書いていないで、友達と酒を飲んでいたし、そういう「いい加減なところ」がなくてはつまらない人生だと思っている。

 *2-5
 私は、林業には強い関心があり、かなり詳しいところまで勉強しているし、社会問題としての日本の林業問題にも関わっている。しかし、例えばアイヌのことは知識としてもあまり知らないし、今、どんな状況にあるのか、そして自分はどう考えるべきなのか(つまり、今温暖化に対してやっていること)今後本気でやるのか保障はない。
 こうやって、出てくるものはまだいいが、全く知らない問題も山ほどある。
 また、NHKのように身近な問題であるにも拘らず、あまり関心を持たずにここまできてしまっているものも多数ある。

 「間主観」

 *3-3
 私たちが大切にしたいという文化の多くは、エネルギーを使うことで支えられている。
 そもそも電気をつけないと夜勉強できない。ブログも大変素敵なツールであるが、いうまでもなくエネルギーを使って初めて成立しているものである。

 □ □ □

 いったい、こんな状況下で、どんな判断ができるというのか?

 これでは、
 「複雑であるので、しかもいい加減な私は、なんとも言えない」
と言いたくなってくる。

 しかし、そうであってもなお、やはり問題はあり、苦しんでいる人がいて、それを訴える人がいる。そして、それを見て何とかしたいと思う、
という事実は確固としてある。

 そして、私はいい加減な人間であると認めてもなお、
それでも変えたいんだ、と思う。

 では、いったいどう考え、行動すればいいというのか?

 次回に続きます
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by taiji_nakao | 2005-02-20 00:56 | 考え事
2005年 02月 18日
地球温暖化考(Ⅰ) スタンス
 昨日、いよいよ京都議定書が発効となりました。

 今日から、地球温暖化問題をどうとらえ、考え、行動しべきか、現時点で思っていることを書いていこうと思います。

 最初に、スタンスについて書きます。

 戦略シナリオという本で、斉藤氏は「思考のモラルハザードが進行している」と指摘しています。

 何か問題が起きていることを知らされても、 
「情報が足りない」「まだ大丈夫」
などと考えて、その問題について考えることを先送りにする、思考停止。
どうも、世の中をこれが覆っているようである、と。
 
これは、僕自身に、けっこうな衝撃を与えました。

 メールを読む。自分にも関係することだ。しかし、めんどくさいし、まだ大丈夫だし、他の人がどうでるかもわからない。まだ、いいや。と、放っておいたら、期限切れとか、時間がないってことがよくあったので。

 問題にならなくても、大抵のことは気づいたときにすぐどうするか判断する方が、効率的かつ効果的であるのは間違いない。

**

 温暖化の話です。

その前に。
 温暖化は、例えば気温が低下している地域もあるそうで、より大きな概念である、「気候変動」としてとらえた方が良いと、以前話を聞いたことがあります。

 基本的にこれに習いたいと思います。

 さて、その現状ですが。まず、生物多様性(Ⅴ)の寓話(まだ読んでいない方はぜひ読んでみてください)、実はこれ、もともと気候変動のことから思いついた話です。

 近年、雲が増加しているそうです。

 これは今までなかったこと。しかし、確実に増えている。それを知りながら、いったいどうなるのか見当がつかないで、空を見上げる研究者・・

 それが、屋根が揺れるのを見て、不気味に思いながら、そのメカニズムも、将来予測もできない、というのび太に重ねるところから、まあ、あの寓話はできたわけです。

 それはともかく

 ここで注意したいのは、私は「研究者は無意味だ」といいたいのではないことです。今も地道に研究している人がいるからこそ、あらゆることがわかってきているわけです。

 そうして、知はどんどん大きく深くなっているが、問題はあまりに複雑で、いったい、どういう風にして地球の気候のメカニズムは決定されているのかという明確な答えを出すのは、非常に困難というわけです。

 さて。

 さらに、私は地球温暖化についての知識が乏しいときている。

**

 ここで、「私はよくわからないので、なんともいえない。」

というのは簡単。

だけれども、そんな私は、新しい、人と森との関わり方を考えたいと思っている。

そこでは、これだけ世界的に注目されている地球温暖化問題にノータッチではいられないはず。

もっと言うと、いいか悪いかは別として、森林をCO2吸収源として認めるという話は現実化することはほぼ確実で、森林に管理に対して「温暖化対策」という名の下にお金が流れ込んでくる流れは予測できる。
そして、そうできるならそうなって欲しいと、林業に関心を持つ者の立場から思っている。

私の将来はわからないけれども、日本の森林とは何らかの形では必ず関わるだろう。

そんな、自分が、

「私はよくわからないので、なんともいえない。」

これこそ、まさに「思考のモラルハザード」である。

というわけで、そうちょっと偉そうに書いていますが、実際ちゃんと考えた機会はなかったので、知識がないなりに、今回考え直してみようと思うわけです。




 

 
 
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by taiji_nakao | 2005-02-18 00:25 | 考え事
2005年 02月 16日
間違い電話
 事務のお手伝いをしている、京都・森と住まいの百年の会(京都府産の木材を使った家作りを進めていこうという、林業家・製材所・市場・設計士などの集まり)関連で、人に会う約束があって、でもその時間を早めたくて携帯に電話したときのこと。

 メールで何度かやり取りしただけで会ったことはなかった。そして、林業関係の院生だったので、下の名前はチェックしていなかったが、これは男だろうと思っていた。

 ところが、電話に出たのは女の子。しかも、声からするに、ちょっと背の低い、かわいい、今風の女の子って感じ。

 こりゃあ間違えたかと思う。「~さんですか?」と聞いても、なんの反応もないというより、
(自分は~だが、あんたは誰?)という雰囲気。

ここで、ミスをする。やっぱり動揺していたか。
杉良の中尾ですが」

相手は困惑している感じ。そして、切る。

 しまった!「百年の会」と言わないとダメだった。とそこで気づき、
もう一度電話するが、明らかに意図的に切られる。

 むむむ。しかし、仕方あるまい。女の子なら、そのくらいの用心はするのだろう。

 メールで何度かやり取りしていたので、油断していた。
まだ、会ったことはないのだ。もう少し、心して電話するべきであった。

 ちょっとへこむ。彼女の中では、僕は怪しげで、なぜか名前と所属を知っている男でしかないのだ。

 こう疑われてはしょうがない。これ以上電話しても、ますます状況を悪化させるだけだ。

 携帯のメールアドレス、パソコンに送られてたっけなあ。なければ、当初の時間通りに会うしかない。

**

 パソコンのメールをチェックすると・・
ああ、携帯アドレスないや・・ところで、あれ、・・やっぱり男やん!!

番号間違ってたとかは・・ 最後の一桁違うやん・・!!

□ □ □

 この瞬間から、なんだか「彼女」に対する苛立ちが生まれてくる。
それまでは、今日会わないといけない、会がお世話になる人って捉えてたからだろう。

 それに、(むさい)男かと思っていたら、実はかわいい女の子と会えることになってうれしい、
ってのもあったんだろうな。

 それはいい。でも、なんで、一言、

  「間違ってません?」

 って、言ってくれないんだ?おかげで、ちょっと憂鬱になったし。

 いくら、わけわからん男からの突然の電話でも、相手は困惑してるんだから、
(例えそれが演技の可能性があっても)
なんかあっていいじゃないか。それを、いきなり切って、再び電話しても切るってのは、
ちょっとあんまりじゃないか。

 もし、彼女が偶然にも苗字が一致していたのなら、まだ、わかるが。
(それでも、名前違いじゃないですかって、言ってくれればいい)

 これが「携帯文化」なるものなら、悲しい世の中だなあ。

**
 まあ、番号メモるの間違えるなよ!っていう話でもある。

 いつだか、
「携帯で間違え電話とかあり得んよね」
って自分で言ってた気もする。


 あり得ます。
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by taiji_nakao | 2005-02-16 22:11 | エッセイ