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2005年 03月 31日
いちねん
今日で3月も終わりです。

 感慨深いです。
 一年前に、なんだかしっかりした考えも持たないまま休学して、あれから、もう一年経ってしまったんだなあと思います。

 **

 4月は、新歓で一応、あれよこれよと動いていました。でも、だんだんやることが無くなって、自分がしたいこともわからなくなってきました。
 「休学して何してるの?ときかれて困る」、そんな自分が嫌でした。怖い。これから自分はどうなってしまうんだろう??就職できるのか?そもそもあと10ヶ月何をするんだ?

 それで、まともに考えるのが嫌で現実逃避で引きこもりになり・・

 「何もしない」まま、6月が終わろうとし、そんな自分がつらかったので、「お金を稼いで海外へ行こう」と決める。

 それで、長期バイトで最初はホテルや民宿を探すが見つからず(探し始めたのが遅かったのと、自給が悪かったのと・・)、そんな中、工場に派遣で「1ヶ月30万」が目に入り、めんどくさくて、即決定。面接、一週間後に静岡へ。。

 おっちゃんとおにいさんたちの男だらけの世界。

 3LDKのアパートに3人で住む。何も無い。あるのは、テレビと冷蔵庫、ガスレンジ、扇風機のみ。
ほんとにこれしかない。しょうがないので、まずは3人でホームセンターへ。
鍋やら、フライパンやら、机やらを買う。ばからしい出費。

 そして、飲む。

 しかも、仕事始まっていきなり、工事の都合で4連休。いったい、俺は何しに来たんだろう。しかも、お盆休みが10日以上ある・・ いったい、何しに・・

 そして、飲む。憂さ晴らしに、自転車で遠出して、野宿したりするが、結局、酒を飲んで終わり。。どうするんだろう・・

 確かに長期で海外へはずっと行きたかったが、消極的理由である。「休学したけど、何しようか迷うから、とりあえず、いい機会だし、海外へ、、」

 同僚はいろいろだった。特に、同居人の一人は21の時に2000万の家をキャッシュで買ったという。やり手なことは確かで、こんなとこにいるべき人間ではないだろう、とは思った。

 200万の借金持ちのにいちゃんやら、中に林業で素材業(伐って出す)をやっていたが、不景気になったのでやめた、という人もいた。

 この人と話すときが、唯一、楽しい、プラスの話だった。(あん時はよかった、という話だけど。。)
 あとは、大抵、仕事の愚痴。

 そりゃあ、大変である。1日、基本8時間。でも、大概1時間30分~2時間の残業。
僕のところは、ひたすら体を動かし続けるので、かなりハード。

 これが、部署によってきつさがまちまちなので、それがまた、愚痴になった。

 そして、派遣会社の対応の悪さ。適当さ。

 毎日、毎日、肉体労働。そして、帰ったら酒飲んで、寝る・・・

 全く先の無い生活。。

 お盆休みは実家に帰っていた。いったい、どんな神経しているんだろう。。

(親も親だ、とも言えそうだが、それはここでは不問とする。
今の自分があるのは、全く親のおかげである)

 家でも終始、ごろごろしていた。。
受験生の弟の隣で・・

そして、最初の給料日・・

 14万・・・・

 これをみたとき、逃げて、逃げて、行き着く場所を知った。

 とにかく、何かやると決めずに休学して、それを問われるのが嫌で嫌で、京都から逃げて、
それで、面白くも無い環境で、つらい仕事をして、、
そして、この給料。。

 考えないで、逃げ続けると、その行き着く先はこうなんだなってことを、思い知った。


 近くに本屋があり、座って読めた。そこで出会った、いしいしんじの「ぶらんこのり」は
衝撃的だった。これを平日の仕事前に読むことが唯一の楽しみだった。

 丁寧なタッチでユーモラスに書かれ、
「丁寧に生きよう」いや、生きたい。。心からそう思った。

 このあたりから、「いい加減に建設的に考えよう」という気になってきた。

 このままいくと、お金が足りない。半年間を海外放浪できない。
なら、もう一つバイトしよう。どうせ土日は暇だ。。

 「高校卒業後、4月まで林業をしていたが、厳しい状況になって、やめ、今は派遣の仕事をしている。でも、話が違って、ぜんぜんもらえない。だから、もう一つ仕事をしたい」

 そういって、5箇所くらい連絡し、3箇所面接もした。
 結局、NTTのADSL,光ファイバーの利用促進キャンペーンスタッフをやった。
時給1200円。工場よりいい。NTTの下請けの、下請けを最近、独立したばかりの会社が請け負っていた。あまり頭の良くない男で、そのバイトも大概だった。

 そこで、1ヶ月。土日は立って、「ADSL、光ファイバーはいかがですか?」と続けた。
暇な仕事だった。最後の方、やっと何件かとれたかな。
 夜、浜松から帰ってくる電車を待つとき、無性に空しかった。

 自炊もした。炊飯器が無いので、鍋で炊いた。野菜も買ってきた。近くの八百屋が安く売っていた。

 派遣の方の人たちと飲むことは無かったが、近くの回転寿司で「ビール一杯100円」キャンペーンをしている時は、結局3日間毎日通った。

 ビールって本当においしいのか?と疑問になって、ひとり、味わって飲んだとき、

ほんとにまずかった。。


 9月に入ってから、本当にこのまま海外へ、でいいのか?
と思うようになり、ここから延々悩む。

「せっかくの機会だ、行けばいいじゃないか!」
「いや、そんな消極的な理由でどうする。お前はやりたいこともある。勉強したいことがたくさんあり、しかし、それは「3回生になってからやる」としている。
そんなんなら、今からやればいいんだ」

 公園のブランコの上で、ずっと行ったり、来たりしていた。

 それで、航空チケットは買わなかった。結局、海外行きはやめた。

**

 9月に入ってから、毎日、カレンダーに×をつけた。
それをみんなに行ったら、まるで、刑務所のようだな、といわれた。みんな、この先はわからないが、まだまだここで働くのである。

 最後の土曜に、林業やってた人と、飲みに行った。そして、男二人、カラオケを延々うたった。そこで歌ったミスチルの「終わりなき旅」は忘れられない。
 彼自身、高校中退して、林業をはじめ、20代前半で独立した男である。

「誰の真似もすんな、君は君でいい。 生きるためのレシピなんて無いさ」

 帰るとき送ってくれた、会社の担当の、人のいい人は、僕が学生で、休学していると言うと、「何やってんだ」 that's if! 京都だというと、
「京大じゃないだろうな」と言って、笑った。

**

 帰ってくると、規則正しい生活が維持された。
何せ、工場では、日勤なら朝6時にアパート出発である。
それに、やっと出てこれた!という感動がある。

 それなのに、私はいきなりホテルのバイトを再開。
厳しいところで、(特にうるさい人がいて)、ここでは鍛えられた。
休学して、一番変わったのはここだと思う。要領よくやること。愚だ愚だ言われても、平気でいること。やることはちゃんとやること。

 後は、朝から晩まで、本を読んで勉強。全く、休学して、英語だの、林業だの、森林だのの勉強を図書館でしているのもなかなか珍しい。

 それから、セージにも顔をだす。杉良にも、薪く炭くKYOTOにはメンバーになり、京都森と住まい百年の会にも顔を出す。
 それから、各種シンポジウムに行く。後はバイト、勉強という日々。
間違いなく、学生生活の中で一番、勉強した。

 12月ごろから、(これはここ3年の傾向だが・・)活動がヒートアップ。
人と話すと、すぐ加熱するので、人に会うたびに語る。
百年の会つてで、ともいきの杉の小林さんに会ったのが、一つの大きな出会い。
衝撃だった。自分は本気で林業のことを考えていると思っていたが、所詮、部外者だと、思い知った。

 高橋歩の本の「LOVE & FREE」と出会い、これを読みふける。
考えると素敵な毎日。

 朝起きて、「自分は何をしたいのか?」と、本をぺらぺらめくりながら、2時間・3時間考える。
「何を選ぶのか」「自分のルールは?」

 1月。ここらから、毎日のように人に会い続ける。ミーティングか、誰かと会うか、勉強会か。。
そして、15日。本屋で偶然であった、ケン・ウィルバーは衝撃的だった。

 2月の、「萌黄の座」ギャザリングで、夜を徹して語り、本当に自分の知らない世界は無限にあること、それから、ここで出会った、根津さんの階層性の問題については自分の見識の甘さを痛感したのでした。

 ここらから、英語の勉強の習慣はどこへやら・・ 

 それから、百年の会がらみで、工務店、製材所訪問、そして、そのとき一緒である、研究員の野瀬さんと語り、深いところへ入って行き・・

 杉良の代表になり、京大内の環境系団体の合同新歓実行委員会を立ち上げ、セージでは引継ぎに苦心し、。。

 そんなことをやっていたら、3月も終わってしまいました。

 大雑把な、一年誌。

 そうそう、もう一つ大きな出会いを忘れてました。

 12月上旬の、イベントでここに一度書き込みのある、小島さんとであったこと。それから、そこで初めてブログの存在を知り、約2ヶ月を経て、自分でも開設。。

 が、今日のエントリーにしても、読みづらすぎで、また、書き方も一定せず、こちらも模索中。と言うことで、2004年度ともお別れです。。

 もし、ここまで読んでくれた人がいたら。。

これからは、もう少し読みやすくします。
というか、とっつきやすく。
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by taiji_nakao | 2005-03-31 23:24
2005年 03月 27日
知識創造の方法論 林業界への応用 Ⅱ
批判ばかりなので、じゃあ、自分はどうなったらいいと思っているかを書きます。


□暗黙知から暗黙知へ転換する、共同化

 まず、従来どおりの職場ないでの技術の伝授がスムーズに進むようにする。
 しかし、人も仕事も減っている今、一番大切なのは、同じ想いを持っていてる人たちと交流することです。私が、今したらいいと思っているのは、木材業界の若手交流会です。
 
 ここでは、異業種と触れ、刺激を受けるのが一番の狙いですが、同じ業種同士が暗黙知を共有しあう場としても有効に機能すると思っています。近いうちにやってみたいです。
 とにかく若い人。歳を重ねると、いろいろな余計なものも積み重なってきます。曰く、「あのときはああだった」「あいつはダメ」「あそこの連中はなっとらん」etc・・(話がそれました)
 
□暗黙知から形式知へ転換する、表出化

 これは、研究者の仕事でしょう。聞き取りです。足りなければ、観察・実験。
聞き取るときは、構想・仮説を持ちながら、素直に相手が言わんとすることを理解し、かつ相手の論理のゆがみをただしながら、情報を蓄積していく。
 
 まず、現場に足を運び、何が求めれられているのか、何が必要かを知る。
そして、どんな「知」が埋もれているのかを知る。

□形式知から形式知へ転換する、連結化

 研究者と行政関係者、そして経営者の仕事です。
現場から上がってきた、あるいは実験で検証されたデータから、経営の意思決定の根拠を打ち出す。
 常に長期的ビジョンを持っていることが必須。今、どんなことが問題で、その問題を解決するにはどうしたらいいのか。短期的には?中期的には?長期的には?

 現在でも、林業関係の研究は山ほどあります。研究者もたくさんいるようです。


しかし、例えば、「葉枯らしの意味は?」(山で木を伐ってから、葉をつけたままおいておく)
と聞いたらどうなるか?

ある人曰く、「よく乾燥するし、色合いも良い」
また、ある人曰く、「つやが無くなる。全体に品質が落ちる」
さらにある人曰く、「たんぱく質が分解されることに意味がある」
またある人曰く・・・・

私は今結論はわかりませんが、最近いろいろな人に聞いて回って、一つだけ確かなのは、ある人はみんな、断片的な情報だけで判断しているということです。

 しかし、こんなこと、調べようと思えば、40年前にだってできたことです。
それが、いまだにこんなことの答えも出ていない。
(もちろん、様々なファクターがあるので、全ての場合においてこうだ、というこたえは無いでしょう。しかし、葉枯らしの本質的な意味の定説が無いです。私から見れば、驚くべきことです)

 こんな状況では、「自分の山で葉枯らしをすべきか」という経営判断をする際、

 するとどんなメリットがあるのか?
 どんなデメリットがあるのか?」
が全く不確実なのです。

 こんなことが、ごろごろしているのです。
 林学はいったい、今まで何をしていたのでしょうか?
(今はもう、林学という名前はありませんが)

 そこで、現在林業に関わる研究をしている人のネットワークを作って、
*今、現場では何が求められているのか?
*私たちは何をすべきか?
を考え、すこしずつネットワークの力で答えを求めていけたら面白いと思います。

そんなに難しいことではありません。

林業の将来を考えたいと思っていて、そういう知識を持っており、
そういう研究をしている人が集まればできるのです。

京都で言えば、そんなに数はいません。

これもやってみたいことです。
やらなければならないことでしょう。

答えを渇望している人がいる一方で、日々研究している(はず?)の人たちがいるのですから。

□形式知から暗黙知へ転換する、内面化

 これは、経営です。

 研究の結果、今のやり方より、こうした方がいいということがわかる。
しかし、人間、今までの慣れたやり方を変えるのはめんどさいし、気を抜けば、すぐもとのやり方に戻ってしまう。

 そこで、トップが強い意志で推進することで、やっと実現が可能となる。

 そもそも、この業界には経営感覚を持った人がすくないので、これも、こうした人に対して、変わることの意味、変わらなければならない必然性、変わるといかに良くなるのか
といったことを気づいてもらう必要があります。

 この役目は京都森と住まい百年の会だと思っています。

 特に、先駆けて取り組んでいる人を招いて、啓発していくなどが必要です。

****

 百年の会では事務のお手伝いをしていますが、片手間の一学生です。

 まったく、生意気ですね・・
 知らないことだらけのくせに。

 自分でもそう思います。
 
 ここで、僕のお気に入りの高橋歩の「LOVE&FREE」より引用。




 ただの「HOTな虫けら」でいたい。
ずっと。
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by taiji_nakao | 2005-03-27 23:23 | 山と木材のお話
2005年 03月 25日
知識創造の方法論 林業界への応用 Ⅰ
前回に引き続いて。

 「知識創造の方法論」(野中郁次郎、紺野登)は、これからのビジネスの根本を支える知識を、どう生み出していくか、その方法論を説いた本です。

 今日、二回目に読んでいるのですが、とてもよくできた、エキサイティングな本です。
 
 ここで、提唱されているSECI(セキ)理論について大雑把に僕の理解で書くと、

知識には、「暗黙知」と「形式知」があり、

暗黙知から暗黙知へ転換する、共同化
暗黙知から形式知へ転換する、表出化
形式知から形式知へ転換する、連結化
形式知から暗黙知へ転換する、内面化

という作業があり、この過程で知識が創られ、蓄積されていくというのです。

さて、これを国産材を扱う林業家・製材所・工務店・設計士において考えてみます。

 暗黙知とは、林業家が木を育てる技術、伐る木を選ぶ技術、丸太である木からその木を製品にしたときの価値を見抜く技術、大工の技術、お客さんの要望を理解する技術・・
 こうした、言葉で表すのが困難な(あるいは不可能な)知識のことです。

 形式知とは、逆に言葉に表された、マニュアルとして書くことのできるものです。

**

 そして、共同化ですが、これが今まで脈々と続けられてきたものです。
林業の技術や大工のいわゆる職人は、若いころから厳しく、しかし、きちっと受け継いできたものですね。

表出化。普及員や研修者の聞き取り調査なんかがこれにあたります。

 連結化。多くの情報を統合し、傾向、対策を打ち出す研究などがこれにあたりそうです。

 内面化。これは、技術指導ですね。改善できるとわかってきたことを現場に普及させていくこと。林業の現場なら、篤林家とよばれる人々がこうした努力を続けてきました。

**

 今これらはどうなっているのでしょう?

 私は、林業の例を挙げます。

 はっきり言って、現在京都で行われている林業は、一般的に、ほとんど進歩することなく、40年前と同じことをしています。
(もちろん、例外はいくらでもあります)

 それは、上の知の4つの作業が停止してしまっているからです。

 以下大雑把ですが、概観してみます。
(鬱憤晴らしのようになっていますが・・)

 暗黙知から暗黙知へ 共同化。

 おそらく、この部分は、4つの中でも、比較的機能しているところだと思います。日本人の最も得意とする作業です。しかし、仕事の減少と高齢化により、技術をしっかり伝えていくことが難しくなっています。

 暗黙知から形式知へ 表出化

 現在、現場を回って話を聞いて回る、ということをしている、研究者、行政関係者は減少しています。林業そのものへ正面から取り組む研究者は減少しています。そして、そうした研究をしていても、ビジョンの感じられないものが多いです。

 形式知から形式知へ 連結化

 研究者や行政、特に国の役割だと思います。こうした研究報告は多いですが、この主の文献を読んで思うのは、とにかく先に結論ありきの姿勢です。
 ちょっと読むとこの人は、「国産材を広めたい」ことがわかる。それはそれでいい。しかし、分析をする際に、その主張が矛盾するようでも、無理に通してしまう。無理という現実を直視しない。

 日本の木材成長が、木材消費の8800万㎥を上回っているらしい。それはそうかもしれない。だからといって、自給を実現できる。などと言えるか?
 理想を持つことは必須だけれど、理想と現実的提案がごっちゃになったら、それはただの希望的観測でしかないですが、そんなんばっかりです。

形式知から暗黙知へ転換する、内面化

 これは、経営者の仕事です。現場は新しいことをしようとすれば、必ず反発します。しかし、強い意志を持って進めていくこと。
 しかし、残念なことに日本の林業界には、経営感覚をもった人がほとんどいません。
 行政は人にめったに補助金を出しませんが、雇用対策には出します。「緑の雇用事業」など。
しかし、あくまで従業員に対してです。組織を強化するには、経営を改善することが必要なのですが、それを指導する、行政が経営を全く知らないことがほとんどなので、まずうまく行くことがありません。

**

 最近、想いを強くすることは、暗黙知は豊富にあるということです。

 真剣に日夜、自分の仕事を研究している方はいます。林業だけでなくて、製材でも、市場でも、大工でも。

 しかし、それがそこで止まってしまっている・・
知識創造のサイクルが全く止まっているのです。

 他には無い強みはたくさんあります。

 それは、他でもない、実際に仕事に関わっている、一人一人の中に眠っています。
 
 いろいろな方の話を聞いていて、心からそう思います。

 その人個人だけでなく、そこには、今まで脈々と引き継がれてきた知があるのです。
他のどこにも無い強みが・・

 しかし、それを引き出すシステムが無いために衰退し続けている、
私はそう思います。

 
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by taiji_nakao | 2005-03-25 12:54 | 山と木材のお話
2005年 03月 25日
林業界考 
 最近、京都森と住まいの百年の会というところの事務局として、府下の林業・製材・建築関係者に話を聞いて回っています。

 どこも非常に厳しい状況にあります。特に林業家は、去年の台風そして、年始の雪で多大な被害を受け、被害額はとてつもなく、何より精神的ダメージははかりしれません。工務店も、近くの木で家を建てる取り組みは良くて横ばいという状況です。

 **

 しかし、話を聞いていると、経営的にみて、強みは十分にあると思います。まず、能力をもった人が多くいます。そして、みなさん、熱い想いがあります。もちろん、そうした人しか残れないというのもあるでしょうが、大事な点は、「国産材を使う」その中でも府内産を使うことをさらに進めるべきであるという点で一致しているところです。つまり、共通の目的を持っているのです。

 さらに、「機会」にも恵まれています。環境意識の高まり、大量規格製品に対する疑問、地域や関係者とのふれあいを求める意識の高まり等・・

 ところが、状況は悪くなる一方です。

 **

 問題ははっきりしています。長期的ビジョンがないのです。本来、その音頭を取るべき業界のリーダー、林野庁、行政、大学はその機能を完全に失っています。

  問題があればそれをどうやって解決していくのかを考えない限り、その問題は解決しません。当たり前です。しかし、今行政がやっているのは、短期的利益を配分し、延命するばかりです。
 林ベニヤという、針葉樹を原料にした合板工場が、舞鶴にあるのですが、ここで国産の間伐材が使われるようにと、京都府、福井県なんかではせっとと補助金を出しています。
 昨日聞いて耳を疑いましたが、福井県は1立米あたり7000円の補助を出しているそうです。
え~とですね、これは並材の1立米の単価に匹敵する勢いです。クレイジーです。そこまでして出してどうするのでしょうか。僕は福井の事情を知りませんが、おそらく、長期的展望もなく、ただ集めて売っていると思われます。
 もし、福井県が立米7000円を出し続ける価値があると判断し、またその価値を創造できるシステムを作っている、あるいはこれから作る構想があってやっているならうなずけます。
 しかし、補助金を出すことで木材価格がさらに低迷するリスクや、今後ますます行政の財政が厳しくなることを考えると、どう考えても長期的ビジョンを持っているとは思えません。

 補助金のほとんど全てがこんな感じでしょう。今まで、長期的展望をもって補助金を出しているという例を聞いたことがありません。これは、行政の組織システムの問題なので、そこで働く個人を責める気はありませんが、こうして、行政は長期的ビジョンがないのです。

 そして、補助金をもらい続けて行政とぴったりになってしまった国産材を扱う業界も、構造はほとんど変わりません。

 個々の問題をどう解決するかというビジョンすらないのですが、本来、業界のリーダー、行政や国あるいは大学は、さらに一歩進んで、次々と生まれる問題を解決していく仕組み、組織をどう構築していくか、その方法論を考えなければなりません。
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by taiji_nakao | 2005-03-25 12:53 | 山と木材のお話
2005年 03月 21日
広告雑感(Ⅱ)
最近、更新のペースが鈍くなってきてしまいました。
いろいろなところに手を出し、大切なところに手が回りきっていない、そんな感触が残る生活と関係するかもしれません。

 前回は、広告一般の雑感を書き連ねましたが、今回は、自分が関わっている、いわゆる運動における広告について書きます。運動というと、ちょっとコワイ感じですが、ようするに、今の社会に問題意識を持っていて、それを少しずつでも変えようとしている、ということです。
運動はあまり僕のイメージとマッチしないので、今回は活動と書きます。

**

 それで、広告に誤解があります。「目立つ広告」=3U(うざい、うるさい、うっとうしい) と捉えている人が多いですね。

 実際、そういう広告は多いです。ある有名なCMを手がけているプランナーが、「今の時代は商品とは関係のないことを考えるのが重要なぽんとだ」と言っていたという話を人から聞いたことがありますが、こういうことですね。

 つまり、前回のエントリーに沿って言えば、コミュニケーションの中身がないわけです。とにかく、騒いだり、ものめずらしいさを演出する。あるいは、商品の中身はないイメージを作り出す。

 こうした広告ばかり見ていると、「目立つ」=3U

という思考経路ができてしまう。

 だから、広報戦略を考えるとき、
内容重視 伝えたいことを書く =「目立たない」 か 「目立つ」=3U 
の二元論になってしまいます。

 実際、単純に二択でどってにしようとはいかなくても、多くの市民団体ではこうした議論をしていると思います。

 しかし、これはあくまで一面に過ぎず、実際には、この両立は可能です。しかも、両立だからこそ、可能ともいえます。それは、

「目立つ」=斬新 =今まで忘れがちだったメッセージが(わかりやすく)ある

という側面があるからです。当然といえば、当然なのですが。
広告代理店も企業もそんなことわかってるよ。って人は多いと思います。
「でも、そのメッセージが(コンテンツが)ないんだよ」
ということでしょう。

 しかし、活動をやってる人にはあるはずです。

「はず」
 ここで、言うと、ない人もたくさんいます。それは、まず目的が存在していて、それを問うことなくそのために活動している人と、「運動に参加している」というそのことが目的化している人です。そこでは、「なぜ自分たちはこうしているのか?何が大切なことなのか?」という問いかけがありません。

 その理由を、同じ団体の人、あるいは同じ業種の人と共有できるのはあたりまえ。でもその殻にこもればそこでおしまい。現実は、そう動いていないですからね。現実には、様々な側面をもった人がごったになってあるわですから。

 「なぜ重要か?」それを、その広告媒体を見る人に理解してもらうこと。
これが、活動における広告です。
(広告媒体によって、見る人も違います。「広告コピー概論」 植条則夫 の広告戦略は、何を伝えるか=「クリエイティブ戦略」 と 何を通して伝えるか=「メディア戦略」 に分けられるとするを参考に、今回は「クリエイティブ戦略」にスポットを当てます)

 このなぜ?と問うことが大切です。その答えがないものは、する必要がない。
(この表現は正確ではなく、その答えはいつも追求し続けるものでもあると思います)

広告的に言うと、なぜ?という問いの答えがあるということはつまり、メッセージがあるということであり、それが社会的にまだ広く認知されていなければ、斬新さがあるということなのです。
 
 ここで、上で(わかりやすく)ある と書きましたが、
ここ、つまりデザイン力・発信力です。これが重要です。

 活動において、成功するためには、

 *情熱 *必然性(なぜ?の答え) *専門的知識

が重要であることはもちろんですが、

 *マネジメント *発信力・デザイン力

も、「同じくらい」重要なのです。

 特に、現在のように情報があふれている社会では、くだらないことで多い尽くされています。
いくら、いいこと、社会的に意味のあることを真剣に取り組んでいても、発信力がないと、埋もれてしまいます。つまり、くだらないことと同一視され、それなりの支援しか得られないのです。

 
 また、まとまりのない文になってしまいました。

 結論としては、

 なぜ?という問いを追求している = メッセージがある

(「目立つ」というか、「響く」広告の条件)

+ デザイン力 発信力

→ 斬新 目立つ

→ 多くの人にくだらない情報のなかから見分けられ、伝わる
→ 活動の輪が広がる
→ 世の中少しはよくなってく

と思うわけです。

 しかし、日本のデザインはもっとよくなって欲しいですね。

オランダの地方公共団体のロゴを見たとき、カッコいいと思いました。

カッコいいなんていうと、それだけで違和感を持つ人がいそうですが、
見ていて、気持ちいいじゃないですか。

すがすがしい。また、見たい。

そんなロゴが、必要最低限だけある世の中になって欲しいです。



 






 
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by taiji_nakao | 2005-03-21 06:16 | 就活
2005年 03月 18日
広告論(Ⅰ)
前々回と、広告について書いたので、私なりの、根本的な、広告とは何か?というのを、書いてみます。

 cmplanさんがいうように、多くの人は、広告は、3U(うざい、うるさい、うっとうしい)だと思っています。
 しかし、広告とは、企業と消費者のコミュニケーションであり、
 広告=3Uではなく、今ある広告の多く=3U
だと言えるでしょう。

 では、コミュニケーションとは何か?
「人を動かす!話す技術」で、杉田氏は、
一般的には、「意味とメッセージを伝えるもの」としながら、
実際の、ビジネスの現場では、「相手にアクションをとらせること」だと書いています。

 一般的に考えても、確かに、何かを言ったり、書いたりするのは、やはり「理解してもらいたい」という思いもありますが、どこかに、相手に何かを期待していることがほとんどでしょう。

 私が、このブログを書いているのもそうです。ちょっと、いやらしい響きがありますが、実際そうです。こんなことを考えているやつがいるということ、そんなことをもっと考えて、実行していって欲しいと思っていること、自分の考えにいろいろ意見を出して欲しいことなど・・

 ですが、これはやっぱり、いやらしさがあります。何しろ、自分が思っていることを(相手の都合を考えず)その通りにアクションさせようとするということなのですから。

 この視点には、相手がいないですね。コミュニケーションは、一回きりではなくて、こっちからあって、むこうからあって、その繰り返しの中で、お互いが理解し、変わりながらあるもののはずですが、そういった視点がないです。

**

 さて、広告はコミュニケーションであり、コミュニケーションとは、「相手にメッセージを伝えること」であり、さらに「相手にアクションをとらせること」であります。

 つまり、広告は企業が、消費者に「メッセージを伝え」、「自社の商品、サービスにお金を払ってもらう」ということになります。

 では、今の広告のどこが問題なのかと考えてみます。

 まず、「メッセージを伝え」で何を伝えるかです。商品ですから、メッセージとは価値です。では、価値を決めるものは何か?

 おそらく、「誰が」「何のために」というのがポイントでしょう。

 まず、「誰が」

 マーケティングではセグメントと呼ばれるものにあたります。
私が思うところでは、ここに今の広告の一番の問題があると思います。
現在において、もっとも強力な広告媒体はテレビでしょう。

 なんと、何千万という人が同じものを見るのです。
コミュニケーションにおいてもっとも大切なのは相手のことを考えることです。相手はどんな人で、どんなことを考えているのか。何に困っているのか。今、元気なのか。時間は十分にあるのか。自分に、あるいは、今回話す内容にどれくらい関心があるのか。
  そういうことを考えて、人はコミュニケーションをします。

 数千万に対してこれを本気で考えることは、大変なことです。
しかし、ほとんどテレビをみないのですが、そこまで考えて作られているかといわれれば、かなり安易に想像した、「庶民」を想定しているかと思われます。
ここに、まず問題があります。

 次に「何のために」

 これは、「誰に」と深く関わってきます。というのは、新技術がすぐ取り入れられてしまう現在では、一般的な機能性を訴えることがほとんど無意味だからです。

 そうすると、新しい「価値」を作り出し、発信するようでないといけません。現在は、商品やサービスそのものだけではなく、「コンセプト」を売るという時代です。

 しかし、こうした場合、数千万みんなに受け入れられるようなものを目指せば、大抵陳腐なものになってしまうのです。

 「みんなに受ける価値」を目指すために、言い換えると、八方美人を目指すがために陳腐化している気がします。

**
 そして、何より問題なのが、本当のことを言わないことです。

 コンセプトを売り出す方向に行くこと自体は、私は賛成です。人は、客観的な面だけでなく、主観的、間主観的な面をもっていると、何度か書いてきたように。

 しかし、そのコンセプト、イメージの中身が全くいただけない。
「環境」とか言って、その実環境破壊をしていたり、
「スローライフ」的なアピールをしてみても、カッコだけだったりというのは、
枚挙にいとまがないでしょう。

 取り止めがなくなってきましたが、これらが今の広告を3Uにしている原因だと思います。

 
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by taiji_nakao | 2005-03-18 00:25 | 就活
2005年 03月 15日
梨の木神社
今の私の部屋の水道水は、毎日使っていても、最初は麦茶色で、そうでなくても鉄分が豊富なです。飲むと、なんだか味がするし、飲む気になれないこともあって、週に二回ほど梨の木神社に水汲みに行っています。

 平日だとそれほどでもなのですが、運悪く(計算せずにいると)、けっこう人が並んでいます。

 こういうときはできるだけ、汲んでる人を見ないようにしています。私は、4リットル入る、焼酎のペットボトル(*自分で飲んだものではない)と1リットル入る、プラスチック製の水筒に入れますが、前の人が終わったらすぐに(水は蛇口から出てくる)無駄に流さずに4リットルのペットボトルに水を入れていき、終わる前に1リットルの容器を持ち、ほとんど間をいれずに入れていくのです。

 平日来る人は、大体慣れているので、この辺の動作は素早い人が多いのですが、休日に来る人は、前の人が終わってから、容器を取り出す、なんてことをする人もいるのです。
 次のペットボトルに移るときも、無駄に時間をかける人。

 見てるといらいらします。しょうがないので、そのとなりの木の葉なんかを見てます。まったく、平日にこりゃあ、こんな思いしないで済むのに、、と考えながら。

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 挨拶はしたり、しなかったりですが、やっぱり、お互いスムーズに挨拶したときは気持ちいいですね。 一度、ここは夜6時半なんですが、ぎりぎりに来て、1リットルしか汲めなかったとき、前に来てた人と、

「ここって何時までですか?」
「そろそろですよ」
「あっ、ちょうど今止まりました」
「私の少しあげましょうか」
「家、すぐそばなんでいいです」

と話したときは、その人との相性もあるのでしょうが、気持ちよかったですね。

 こないだは、わざわざ、列から離れたところにいて、私が入ってから5分ほどそこにいたままで、いきなり、「私並んでましたから」と、割り込む形で入ってきたときは、そうなんだろうけど、
なんだか、わざわざ人を不快な思いにさせるのを楽しんでるようで、いやですね。

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 朝早いといいですね。6時に、犬を連れたおっちゃんが、栓を開けに行きます。

 6時半になると、ちかくの、おじちゃん、おばあちゃんたちが集まってきて、ラジオ体操がすぐ横で始まります。

 最近、こんな時間に行ってないですが。。

 梨の木神社も、時間ごとに、違ったひとびとが違った絵を映し出します。
 
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by taiji_nakao | 2005-03-15 01:24 | エッセイ
2005年 03月 12日
線路は続くよ 
 今日は、建築士会の見学会(一応、百年の会も共催)に「百年の会の取材」という名目で参加しました。地球デザインスクールに行ったのですが、ここはすごいです。山の手入れ、農作業、風力発電、いろんなことをやっててほんと面白そうなところです。

 ここで、子供が遊べる森を作る構想があって、そこのメインアトラクションに「ディーゼル機関車」を走らせようという計画の準備で、建物の前に線路が作られていました。

 線路を作るなんて今まで考えたことがなかったけど、面白そうだなと思って、自分で作る気になって観察してみました。

 線路を作るには、まず砂利を敷いて、その上に枕木を敷く。みると、けっこう立派な(太めの)木を使ってます。そして、「鉄」(線路のあれです)を枕木に打ち込む。「鉄」と「鉄」はボルトでつなぐんですね。「鉄」は一つのパーツが3メートルほどだった気がします。

 問題はカーブですね。あの曲がり具合はどうやってるんでしょうか?既製品で、角度ごとに作られているように思いましたが。

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 しかし、線路作りは一つ一つ打ち込んでいくのですから、大変な作業ですね。

 でも、この上を走ったら、面白いだろうなあ。短い距離でも、荷物運びに使えたら、荷物を運ぶのが楽しそうだなあ、、

 とのんきなことを考えていたら、一人取り残されてました。

**
 ここのスタッフは、おもしろそうな方で今日さっそく長文のメールを送ってしまったのでした。

 こないだ、cmplanさんに「リキのはいった・・」と紹介されてしまいましたが、
確かに、最近、リキ入りすぎかと自分で思ったりして。。

 
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by taiji_nakao | 2005-03-12 22:52
2005年 03月 11日
ビール商品開発の悩み
おとといのトラックバックをしましたよと、現役CMプランナーの辛口!広告批評(以下辛口批評)さんのコメントしたら、今日のエントリーで反応してくださいました。今日の訪問者数はグッと上がりました。うれしいかぎりですが、昨日のエントリーの質があんまりよくないのが悔やまれます。

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 もう一度確認すると、(トラックバック先に書いてありますが)辛口批評さんの言いたいことは、

□まず、
 あくまで、スーパーブルーのPRポイントは新製法ではなく、
 むしろ、「安さ」であるべきで、
 ドラフトワンとの差別化にはならないかもしれないが、まっすぐ安さをアピールした方が、有効なCMになる。

ということですね。

 ドラフトワンとの差別化については、私もマーケティングの専門家ではないのでなんとも言えませんが、「スーパーブルー安い! 安いのいいでしょ!」と言われて、
ドラフトワンとの比較をせず、「ああ、安いのか」と思って買う人はけっこういる気がします。

 前々回のエントリーでは、まず安さをPRし、その後、差別化するべきだ
と言う内容を書きましたが、現実的ではないですね。

 おそらく、それは、スパーブルー、ドラフトワンらのカテゴリが発泡酒と同じように成熟したときに、結果そうなる、ということかもしれません。
 「発泡酒より安いカテゴリ」の~なドラフトワン、~なスーパーブルーと認識されて。逆に言うと、そう認識されていなければ、生き残れないでしょう。

 ただ、企業側としては、現実であっても、あんまりうれしい現実じゃないでしょうね。

□それと、
 安さをアピールすること=よくない、貧しい ではない

ということですね。
 これもそうだと思います。そもそも当たり前のことですが、安いってことを求めるのは自然なことですから。安さばかりの世の中に批判的な人にありがちなのは、その当たり前さを素直に認めないことでしょうね。ただし、当然ながら、

必ずしも 
 安いから = いいんだ
ではないというのを、前回のエントリーで書いたつもりです。

□そして、
 辛口批評さんはさらに

第3のビールは庶民万歳!安さマンセー!を歌うポジションの方がふさわしい。金なさそうな若者たちが川原で飲んでたりするぐらいでいいのかもしれません。
 
と続けます。
これもその通りな気がします。

 個人的には、飲み物にはいくつか段階があると思います。
例えば、野外の場合、

 まず、本格的なBBQなんかとの時は、やっぱりできればビールでしょうね。お金に余裕がなきゃ、発泡酒。

 逆に、街を歩いていて、ちょっと公園で休憩する場合は、お茶・ジュースでしょうね。

 この間に、上に引用した、辛口批評さんの想定する場面がきそうです。
もう少し、じっくり話したり、ちょっとつまみがあったりして。

**
 こう考えると、商品開発するときにそこまで考えてやればいいのに。と行き着く気がします。
ここは、CMプランナーにはどうすることもできない領域ですが。

 まあ、当然悩んだでしょうけどね・・

 もう、酒税の抜け穴から入って、ビールにこだわらない、上に挙げたのにあったのを開発すれば、、 とか安易に思いました。

 これを結論にしようと思ったのですが、

 そうすると、今度は「チューハイ」というライバルが登場するのですね・・・

 どうすりゃ、いいんでしょうね。

 サントリーの開発部の気持ちがわかったエントリーでした。
 
 
 
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by taiji_nakao | 2005-03-11 00:21 | 就活
2005年 03月 09日
♪ 意味のない(?)価格競争(Ⅱ)
 価格競争は意味のない、ことではないことは、最初から豊かな暮らしを享受しながらも、今の社会がおかしいなんて言う、僕みたいな人間は、ちゃんと再認識しないといけない。

 5、60年くらい前では、家なんて買えるもんじゃなかった。私は、木材関係の勉強をしてると、当然、家の話になって、やっぱり、量産して、コストダウンしたから、多くの人が家を買えるようになってきた、という経緯がある。

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 しかし、ビールっぽい商品が、どんどん低品質化(実際、具体的になにがどう悪くなっているのか私は知っていないが)していることを、酒のことを知ってる人は憂いでいる。

 これは、ビールに限ったことじゃなくて、もう、全てのものに言えそうである。木関連で言えば、巷にあふれている、「木っぽいもの」は、表面だけが木か、木であっても表面を完全に合成樹脂でコーティングしているものがほとんど。

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 京都はパン屋が多く、私もよく行くが、しかし、京都であっても、消費量はコンビニの方が圧倒的に多いだろう。私のお気に入りのパン屋のパンは、ほんとにうまい!!一番好きなパン屋は、今の家から離れているので、たまにしか行けないが、ここのクロワッサンは、もう、ほんとおいしい。生クリーム入りのクロワッサンと、ミルで引いたコーヒーをブラックで飲むのが、最高の贅沢。今近くにあるパン屋も好きで、ここもおいしい。それに比べると、コンビニのパンはほんとに味気ない。値段だって、そんなに変わらないのに・・

 まあ、安いのもある。しかし、あの、表面からぺちゃっとしたパンは、パンとはいえないんじゃないかと、個人的には思う。しかし、もし、生まれたときからあのパンしか食べていなかったら、パンとはそういうもんだと思って、一生を終えるのである。なんだか、寂しい話だ。

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 それに、もう一つ。もし、特定の商品だけが安くなるならいいが、世の中のもの全体が質が落ちていったらどうなる?

(価格が安い=低質ではないが、ビールところでも書いたが、質を落とさない改善には限界があるところに来ているだろう。)

 簡単に言って、世の中のもの全てが安くなると、給料も減るので、変わらないのでは?
(つまり、デフレが進行した場合、価格が低下しても、個人にとって実は利益が少ないという論理)
意味のない価格競争してないかい?
 
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 これは、ちょっと雑な論理展開ですね。

 「選択」という見方もあります。

 いつも、思ってますが、
ビールが安くなった。うれしい。では、その安くなった分を何に使うか?

家が安くなった。これは大きい。でも、少なくとも10年以上住むその家を安く上げた分を何に使うか?10年以上毎日暮らす、その家での時間への投資を安く上げた分を。

 特に理由なく、あれもこれもとにかく安くなって欲しいと願う?

 そうやって、「とにかく安く」を追求していったら、世の中もの全てが安くなる、言い換えると、生活そのものが安っぽくなりはしないかと思うことがある。

 安いビールを買う一方で、自分で準備すればただみたいな値段のお茶に150円出す「選択」を結果的にしてるってことを、自覚してるんだろうか?

 そうした自覚がない中で「安さ」だけが一人歩きしていったら、
ほんとに、意味のない価格競争だ。
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by taiji_nakao | 2005-03-09 23:09 | 就活