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2006年 05月 29日
そんな山(おか)の上にもあと10ヶ月くらい棲む
ある山に登った人たちがいました。

なかなか高い山で、最初、そこにとうたつした人たちはほんとうに、たかいぎじゅつと、せいしんりょくをもった人たちでした。

そこで、むらの人たちは、その人たちをしょうさんして、
たくさんのものを渡すことようになりました。

やがて、そのやまにはたくさんの人がのぼるようになったのですが、
それでもやはり、昔からのならわしで、村の人はいろいろなものを差し出していたのです。

そこに住みついた、そのひとたちは、いろいろなものを持っていっても、あいさつをしたり、会話をしたりすることはありません。

ただ、黙って、しんみょうな顔をしてうけとるのです。

やがて、村のじんこうが増え、生活がくるしくなってきたので、その山にすむひと全員には渡せなくなってきました。

村長は言いました。

「おらたちの村のものも、もうそんなにたくさんない。
でも、あの人たちに渡すぶんをそう、いきなりなくすわけにもいかない。
ちょっとずつ、へらしていこう」

そういう話があったと聞いた、山に棲むひとたちの中にもようやく、
笑顔で、「ありがとうねえ、今なにか村で困っていることはないかい?」
と、話し出す人もできてきました。

でも、そういう一方で、山にこもり、黙って、何もせず、何も言わず、
そんな生活を続けているひとたちがまだ、
いるんですね。
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by taiji_nakao | 2006-05-29 18:25 | エッセイ
2006年 05月 29日
木の家(2)
 建築士のしごとってなんでしょう?
建築士の方といろいろ話していると、空間のデザインと、暮らしのデザインのお手伝い、っというのがどうも、そのようです。

 空間のデザイン

両側に背の高い垣根をつくり、やや細めの道をつくり、しばらく歩くと急に視界が開ける。
伸びた笹は、向こう側の建物をうっすら見せている。。
実際に庭を回って、どのような工夫があるのかを調べなさい。という造園の実習を受けたことがあります。

細長いラインの材がまっすぐ伸び、そこへ視点がいくので奥行きがあるように見える。
あえて、玄関の天井を低くしておいてから、部屋の中に入ると高い天井がいっそう高く見え、広々とした空間と感じる。。
二階への階段は、あえて壁から離すことで手すりがみえる、二階の廊下の手すりは(落ちる確率が少し増えて危険だが)やや低くすることで「囲い込み感」をなくす。。。

 暮らしのデザインのお手伝い

今まで住んだことのない家でどのような暮らしが営まれるのか、それって、誰にもわかりません。立派な箱、同じ家だってみんな違うものだし、それはそこで住まい手によって営まれていくもの。住まい手がデザインするものです。

だから、これから家を建てようという人は、断片的な希望はあるにしても、イメージがわいていない。でも、それって当然の話ですね。いろいろなものを見ながら、相談しながら、イメージを膨らませていくものですね。

で、私が話を聞いている建築士というのは木造住宅を建てている、かなりレアな方の建築士ばかりなのですが、じゃあ、木の家の魅力って何なんでしょう?

空気とか、においとか、なんとなく落ち着く雰囲気とか、やわらかさ、とかいいます。

分析的に言うと、まず臭いはないです。
一般に、新築の家に行けば、あの化学的な、合成塗料のにおいがします。
それが当たり前という認識があります。でも、まったくなかったですね。
空気。おそらく、視覚的な要素が大きいんでしょう。
それから、湿気を吸うので、その作用。

でも、トータルなこの空気は・・・

やわらかさという言葉はよく使われます。
それはほんとにそうで、杉の床をみてると、ほんとに手で触れたら表面がぽわーん、ぽわーんといいそうな、ゴムのような柔らかさがあるように見えます。
実際は、そこまではやわらかくないですが、たしかに杉はやわらかい。

そういう床だと、「包まれているような」感覚が生まれるのではないでしょうか。
同じ木のフローリングでも、よくある表面を完全に塗料でコーティングした、つるつるの床は「冷たさ」があるのと同時に、角ばった印象があって、包まれているような感覚が乏しい。

そういう「素材の味」が集まっている。

珪藻土の壁、構造の木が見えるつくり、木の建具、杉の押入れ。

**

別に、必ずしも木を、それも近くの木を、使う必然性はない。
それは、これからの暮らしを、すてきな暮らしをデザインしようって、思う人が、
自分の感性を信じながら、施主の要望を最大限にかなえようと思う建築士と一緒に、
空間を、暮らしをデザインできたら、それで、その家づくりは最高。

でも、新建材のような臭いを出すこともなく、自然な色合いをもち、湿気を吸ったり、やわらかったかりするこの木というやつは、
ものによって水分量が違ったり、強度にばらつきがあったり、色合いが違ったりする厄介者だけど、

どうも、そういう家づくりのときに、そのよさを発揮することがあるらしい。

そんな一例を、今日見てきました。

デザオ建設が参加している、京の木ネットワークの住宅完成見学会。
2月の構造見学会の完成した家です。

ここ数日、デジカメの行方がわからなくっており、早急な発見が望まれます。
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by taiji_nakao | 2006-05-29 01:03 | 参加したイベント
2006年 05月 27日
小島さん
さっきまで、サンアクトの小島さんと居酒屋で飲んでいた。

ビール3杯+焼酎1杯で頭はまわっている。

小島さんと始めてお会いしたのは、1年と半年くらい前の「喋り団」のイベントの時以来で、そのときが初対面だった。このとき私は始めて、「ブログ」という単語を知って、以来、バーチャルの世界での行ききはあった。

それで、久しぶりに会うということになって、今日。

この居酒屋は、マスターおじちゃんは、入ったとき寝ていたのだけど、うん、雰囲気悪くないお店。焼き鳥を一通りいただく。

小島さんはかっこいいひと。う~ん、なんと言ったらいいか。尊敬する大人というか、先輩というか。そういえば、会うのは2回目であって、待ち合わせ場所でも、一瞬本人かためらうような関係なのだが、なんだかずいぶん前から知っているような気がする。
うん、それは小島さんの気配りもあるのかな。

いろいろな話をしていたけれど、やはり、社長という言葉は重い。
18人社員がいて、その社員には家族がいて。両親がいて。その全員を背負っていると。

あと、サンアクトのイメージではなんとなく、「ベンチャーの会社」というより、「社会貢献の会社」というイメージだったけど、年収という側面から見ても急成長を遂げている会社なのです。確かに、これは世間一般の「ベンチャーの会社」のイメージです。

会社を、社員が家族に誇れる会社にしたい、という話、そのために自分は、社員の3倍も働かなければならないと。
カッコいいです。

経営者であり、常にコスト意思がある、という話のとき、じゃあ、今日はどうなんだというとき、アルコホールがたまりつつの頭をひねろうとしていましたが、出てこないですね。そうは。

出て時間を見ると、12時を回っていた。
時間経つのが早い。
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by taiji_nakao | 2006-05-27 01:05 | にっき
2006年 05月 25日
思わず目が涙で潤んだ話
どういうわけか、小・中学校時代はクラスとなじめなかった、という人が周りにけっこういる。

ある人は中学時代に、一人に対して、周りを囲まれ、けられる、といういじめをうけた。

それを聞いた親が、教師に抗議したところ、「~さんに問題がある」と取り合わない、まあ、よくある、こまった教師のパターン。

その親は怒って、いまでもその教師に怒りを覚えるというが、
帰った後、その人を抱きしめて、
「たとえ、学校のみんなが敵だとしても、お母さんは味方だ。」
と言ったという。

**

一言で言ってしまえば、教師の度量が小さかったということなのだが、
そのクラスにその人を受け入れるキャパがなかったということなのだが、
大事なのは、誰か受け入れてくれる人がいるということ、なのですね。

存在自体は、価値があるとかないとか、いいとか悪いとかの前に
まずいったん受け入れる、
ということが、難しくも必要なことなのですね。
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by taiji_nakao | 2006-05-25 23:44 | エッセイ
2006年 05月 23日
入り口であり、ゴールである
私の森林ボランティアの捉え方。

「活動そのものは、入り口であると共に、目指すべきゴールである。」

活動は、基本的に「楽しいから参加する」
この「楽しい」には、精神的充実も含まれる。

仕事でないがゆえに、できることがある。
特に、日本は人件費がべらぼうに高いので、1人を1日雇ったら1万とか2万とか払わないといけないので、よほど特殊で生産性をあげない限り、商業ベースにのせられない。

でも、山行ってみたいとか、林業に興味があると思う人はいる。
そんな、どんな動機でもいいから、少しでも「山仕事」に引っかかった人が気軽にやってきて、楽しむ。楽しくて、思い入れができた人ができる範囲で運営にまわる。

そんな入り口。

**

でも、これはゴールでもある。
生活の中に、自然な形で森との付き合いが入ってきたら、きっとそれが新しい、人と森とのかかわりとなり、新しい森林の文化が創造される。

好きでやってると、もっといろいろやりたくなる。

そういう人は、ボランティアという枠から飛び出せばいい。

メンバーの一人は、仕事しながら、週末に山でバイトしたりもしている。
これって、新しい、山と人との関わり方。

僕みたいにビジネスとして成立させたいと思う人は、チャレンジしてみる。
それは、もちろん、ボランティアの仕事じゃない。
事業としてやる。


でも、その事業の成功の先には何があるかって?

それは、今、例えば、おととい、山にいって、感じた、あの「楽しさ」が生活、仕事の中で感じられること。感じられる人が増えること。
そういう、ゴールを目指す。

でも、もしかしたら、よりたくさんの人が楽しめる場をつくって、地域の人、参加者、協力者ひとりひとりのつながりを大事にしていたら、

案外、ゴールは別の形でも実現されるのかもしれない。

自然に!

でも、そういう気持ちが、少しずつの行動が、ちゃんと結果に反映されるには、ちゃんと運営されないとダメ。
行き着くところは、そこにいる、スタッフの人間性、あるいは能力。
結局は、そこにいる人間が成長できるか、あるいは、育てられるか。

いろいろな人の出会いが、活動の枠を広げ、人の視野を広げる。

願わくば!

そうやって、僕が植えた木を、自分の家の柱に使いたいな。
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by taiji_nakao | 2006-05-23 00:23 | 考え事
2006年 05月 18日
つづきはまた
昨日、会社で調印式というのがあり、ここで契約書にサインし、自分の決意表明文を述べた。

昨日は、蒸し暑く、上着は要らないと思った。
3月、就活も本番の頃、まだまだ寒い時期だったが、Tシャツ着て、ワイシャツ着て、まだまだ寒いのだけど、上着着たら、結構温かくて、僕の上着に対する一番の印象はそれだった。

だから、暑いし、いらんやろ、と。
しかし、電車に乗っていると、みんな上着を着ている。。
これは、まずいかもしれないぞ・・
とうすうす気づきだす。
しかも、今日は重役の人が出てくる場なのに・・

会社では、まずレセプションルームに案内され、交通費関係や流れの説明がある。
そして、部屋に案内され・・

一番手前に、あの、いかにもビジネスの契約のシーンで出てくる、マットと、イメージは鳥の羽つきインク(実際はボールペンでしたが)がさしてあるようなセットがあり、向こうに一人、前に2人年齢も上の、関西地区統括の方が座っている。

むむむ・・
そこに、Yシャツ、そして、カジュアルバック水筒つきのいでたちでナカオは入った。
もう、開き直るしかあるまい。。

「ただいまより、ナカオタイジさんの調印式を始めます。起立!」
そのとき、みんながあの、ビジネスマンのさっとした身のこなしで立ち上がった。
Yシャツ君も続く。

はんこは苦手なのだが、慎重に押す。
そして、決意表明文。
まるで、経営理念のような文だ。しかも、MITの理念を意識しているように読める。
まあ、それはそうともいえるのだけど。
(こいつは、MITの理念を読んでこんなことかいてやがるな)
と、どの程度かはわからないが、思われただろう。。
でも、本気なんですよ。

大雑把に、3つ

*「人に喜んでもらうことが、私の生きる原動力である」ということを、どんなときにも忘れずに生きていきます。

*常に、あくなき成長を追及します。

*世の中を革新して、より良い社会を築こう、という意志をどんな場面でも貫き通します

ですよねえ。。
でも、今卒論?の取り組みだって、この延長です。
僕のやりたいことのコンセプトは、MITの理念に含まれる。
だから、就職します。

**

偶然、3年前「科学英語A」と「科学英語B」を教わった人に会った。
「タイジ~」
「・・・・ おお~!」
「お~ じゃないでしょ。コンニチハでしょ。」
「すんません。」

今は、翻訳の仕事が忙しくなって大学へ入ってないらしい
(どこの国か忘れてしまったけれど、海外の方です)
そのころ、僕はセージで「フロレスタ」なる、森林関係のことをテーマにしたことをやっていて、
「失われてゆく見えない幸せ」という副題をつけた勉強会に、
この人は来てくれたのだった。

「私は自分が教えた学生のことはみんな気にしているのよ。
あなたは、そういうこと全然考えてないでしょ?」
「ハイ。考えてないです」

初めて数学の講義を受けたとき、途中で退室するとき、わざわざ先生に断って、ちょっとした恥をかいたが、まあ、大学はそんなんはない、自分で決めるところであって、学生のことを気にする、なんて、高校までかと思っていた。

(あ、今日の一限始まってるし!
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by taiji_nakao | 2006-05-18 08:53 | にっき
2006年 05月 16日
「お菓子の家」の考察
小柴さんのブログで、
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
今、地球にいる「にんげん」は、ちょっと違う方向に進んできてしまっているんじゃない?地球という限定されたシステム(環境)の中で、経済の拡大を目指す国が多いけど、それって正しいの??今、先進国にいる大多数のにんげんは、薄々「それ」を感じ始めているのではないでしょうか?

私はこの背景にある何かをとことん追求してみたいと思っています。新しい光というのでしょうか?経済拡大には、持続可能性が有りません。株投資も、貿易も、ゼロサムゲームと言われています。経済拡大ではない新しいあり方、持続可能な社会のあり方は何なのだろう?そんな事を最近、毎日考え続けています。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

という投稿があり、そこで私も書き込んで、次のようなやり取りがありました。

■ご紹介ありがとうございます

単純に考えて、世界中のみんなが日本レベルの経済成長を遂げたら、どう考えたって、資源が足りないですよねというのはわかるのに、世の中のシステム全ては成長することを前提にしてある。。
以前、こんな寓話を書いたことがありますが、この「おかし(お菓子)な家」から出ないことには始まりませんね、
たいじ (2006-05-14 18:12:06)

■つけたし

しかし、私たちは「お菓子」なしでは生きていけないように見えます。
この寓話からは、「おかしな枠組みで考えている限り、おかしな家の崩壊を待つのみである」ということまでしかいえず、その先は見えないですね。。
むずかしいもんだいです・・
たいじ (2006-05-15 10:13:35)

■お菓子自体は悪くない

寓話、私も拝見しました。

その上で上記の「つけたし」を読んで、私は二十数年前に観た映画「ブッシュマン」のストーリーを思い出しました。
(映画の内容については割愛させていただきます)

あの映画で西洋人によって投げ捨てられた「コーラの空き瓶」を巡る騒動・顛末と仰られる「おかし」が、私の中ではダブって感じられました。

結局はモノの存在自体が問題なのではなくて、「人間次第」ということ。
その存在を否定し、無くそうと戦うのではなく自分たちの在り方を変えて行くしかないんだと思います。
しのはら(しのP) (2006-05-15 18:43:42)

****

ちょっと私の考えていることが伝わっていなかったようなので、そして自分の中でも整理されていなかったようなので、まとめてみました。

この寓話は、そもそも気候変動が不確定で、「近年雲の量が増えているのだけれど、科学者はその理由を知るすべがない」という記事を読んだとき、不安げな様子で空を仰ぐ科学者を、最後の天井を仰ぐのび太に重ねるところから作ったのですが、まあよいとして。。

このまま、世界中の国々が先進国並みに資源を消費するようになったら、地球は枯渇する=お菓子の教会は崩壊する、というのは自明でしょう。
資源は有限であり、全ての国が経済成長を目指す完全なゼロサムゲームに身を投じるしかない世界というのは、このお菓子な教会にいるのび太たちと非常に似ています。

しかし、このまま行けばまずいとうすうす気づいても、すぐにこの教会を出ればいいと言うことにはならない。なぜなら、お菓子を食べることはやめられない=エネルギーを消費する生活はやめられないだろうから。すぐに教会を出ろというのは、今の生活を捨てろと言う、非現実的な自然回帰主義の考え方だろう。というのが、私の「つけたし」のコメントでいいたかったことで、こうしてみると、しのPさんと近い主張な気がします。

「ブッシュマン」は見たことがないですが、コメントから推測するに、しのPさんのいいたいことは、ブンメイが作り上げたもの=悪、自然に近い原住民の生活=善 というステレオタイプな考えはつまらないよ、ということでしょう。

では、このお菓子な教会にいる私たちはどうしたらいいのか?
という問題になります。
このアナロジーでは、このあたりで限界な気がします。

ただ、
「強欲に食べ続ければ間違いなく崩壊する」ということと、

「すでにあるお菓子を、みんなで早い者勝ちで食べ続けている
という現状認識では解決し得ない」、ということはわかります。

二番目は結構重要で、いろいろな前提を当たり前と思っている現状認識=パラダイムを転換しない限り、解決策が見つかりようがない、ということです。

ちょっと、こじつけなところがありますが、
お菓子の教会の中だけの視点でなくて、その外から見る、とか、
どうやってそもそもお菓子が作られたのかを調べる、とか
そういうことが必要なんでしょう。。

**
ところで、偶然なのですが、お菓子なが、おかしなとひっかかって、
この寓話、けっこう使えるかもしれません。
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by taiji_nakao | 2006-05-16 01:50 | 考え事
2006年 05月 13日
ネットを介してリアルが加速する
日本の林業を経済的に何とかしたいということを学び、仕事にしている人はマイノリティである。今までは、そのようなトピックを議論するためには、学会とかそういうシンポジウムに行かなければならかったし、もちろん行っても自分と興味関心が近い人に会えるとは限らなかった。

それが、大学に入って2チャンネルを知って、そこに「林業」というカテゴリがあって、そこでは面白い議論もあるのを知る。なにせ、普段杉良(山仕事サークル)の中でさえ、限られた人としかできないようなことが本気で論じられていた。これは、面白い。

ただ、よく言われるように2ちゃんねるにはノイズが多すぎる。
「あぽーん」とかいう文字通りのノイズや、「氏ね」などいうコメントをいちいちスクロールするのは時間の無駄だ。

そして、最近、mixiのコミュニティのパワーを知る。
そこには、例えば、「森林再生」に800人以上、「近くの木で家をつくる」でも80人いて、トピックごとに熱く議論をしている。そう、これはあの2ちゃねるで、「いいな」と思った、現状や関心を共有する人たちの議論である。。
恐るべし、mixi加入数40万(もっと増えてる?)はだてじゃない。

そして、もっと嬉しい驚きがあった。
こないだから、今僕の考えていること専用のサイトを作ったが、これの同じ趣旨のコミュニティを昨日mixiに作った。

そうしたら、まず初めてとなる仲間ができた。
ぜひ、一緒にやりましょう、とメールが。凛空間 代表取締役の小柴さんである。
(こうやって、さらっと紹介できるところが、ブログの最大の強み)

京都の同志社の院生からもメールが来た。
近いうちに会えるだろう。もしかしたら、明日会えるかもしれない。

そして、あれだけマニアックで敷居の高い書き方にもかかわらず、わずか一日でコミュニティのメンバー数は10人となった。。北は北海道の人もいる。

旧来なら、ここにたどり着くまでものすごくかかったであろう時間は、猛烈に短縮されつつある。

* * *

大雑把にいって、世界は精神世界と物質世界で構成されていて、これらは本質的に等価だと思うのだけど、この見えにくい個々人、あるいはグループ、組織の精神世界はどんどんネットで共有されている。

本を読み、世界観に触れるのは多くの人が楽しいと思うことだけど、これは、その世界観が共有されている、ということだろう。
そういう、精神世界がより広がって、それも楽しい。

でも、やっぱり、リアルなこと。
山行って、木を伐って、馬鹿話して、弁当をおいしく食べて、ちょっと手間かけた料理なんか作ってみたり、ご馳走になったり、自分たちで焼いた炭でバーベキューしたり、音楽聴いたり、・・・
それを、自然に、楽しみたい。

でも、今それを実現するのは、ほんとにむつかしい。
社会をめぐる状況は、ほんとにむつかしい。

だから、素敵なせかいをめざして、

このブログでは、

●しゃべり好きなtaijiの考えをまとめ・発信・対話
(リアルでは、できるだけ、人の話を聞こう!

○たくさんの素敵な人・取り組みを結ぶ
(リアルでは、できるだけ、人の話を聞こう!

●取り組みや考えを整理する
(リアルでは、できるだけ、人の話を聞こう!

そして、たくさんの共感できる人とつながろう。。

* * *

バーチャルを介して、リアルがどんどん、加速していく。

おいてかれないようにしなければ

(*)
nakao taiji が卒業するためには、卒論の10単位は必須です。
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by taiji_nakao | 2006-05-13 12:07 | 考え事
2006年 05月 10日
暗黙知の認知的側面
卒論のテーマを「地域材ビジネス全体が知識を創造し、成長しつづけるためにはどうしたらよいか」などというものにすることに決めた。
ものの、そもそもこの「知識創造」ということに関して、完全な独学で直感に頼っているところが多く、*わかっていない *人に伝わらない というところがあるので、
少しずつ自分の考えているところを書いていくことにする。
ので、忌憚のないご意見、「そもそも」な質問、ってゆうか、このへん何言ってるか良くわからないというコメント、トラバ、メール(nakao_taiji@excite.co.jp まで)お待ちしています。

 形式知と暗黙知

 知識には、文書・マニュアルなどで表すことのできる「形式知」と、感覚的なもので言語で表すことの難しい「暗黙知」がある。
 例えば、「ぴん ぽん ぱん!」にアクセスする方法は「ヤフーで、「ぴん ぽん ぱん!」と検索すれば出てくる」と教えられるが、自転車に乗ったことにない人に、「どうやって運転するのか」を言葉だけで説明するのは不可能である。

 暗黙知の重要性

 ものすごく大雑把に言えば、西洋の主流ではデカルト以来 主体(にんげん)と客体ははっきり分離されていて、それは言語で説明できるもの捉えられてきた。自然科学の発展は、そうやって客体(自然)をより緻密に総合的に説明してきた歴史といえる。
 経営の分野でもその流れを汲み、「科学的管理法」が発達する。
そのアンチテーゼも出てきたりしているのだが、とにかくここでいいたことは、
今まで(今も?)は、形式知を元に素晴らしい戦略を立てて実行すればうまくいく、と考えられてきた、ということである。

 今日のコンサルへの批判は、このあたりにある。
企業と市場のデータを分析し、成功する戦略を立てる。

が、往々にしてそれはうまくいかない。それは、暗黙知の重要性を理解していないことによるところが大きいのだ。

 暗黙知の認知的側面

 暗黙知には、自転車の運転技術のような「技能的側面」と、「こうである」という現実のイメージ、「こうあるべきだ」という未来へのビジョンといった「認知的側面」がある。
 この「認知的側面」がいかに重要であるかについてのケースとして、とある団体の、新歓(新入生歓迎)のビラまきをめぐってのやり取りを以下に書いてみる。

*****

4月は、昼休みと夕方、それぞれ毎週一回ずつ単独説明会を開いていた。
そのほかに、2種類の合同説明会に2回ずつ参加し、毎週週末に活動をしていた。

ビラには、これらの情報すべてが載っていて、とにかく認知して欲しいということがひとつの目的である。
が、水曜と木曜の説明会の朝に黒板に書くのと同時にビラを配ることで、直接的にはこのビラをみて説明会に来て欲しいという狙いだった。

一回のビラまきはおよそ800~900枚で、全部で3500枚を撒いた。

しかし、実際にビラを見て説明会に来たのはわずかに1人だった。。

当初から「5月20日の合宿までを新歓期とする」ということもあって、5月も説明会をすることに
なっていて、これをどうする?という話が、現場の何人かで話された。
ここでは、説明会(2回)の当日に
*日付に丸をつけて目立たせる
*1000枚ずつ配る
と決まった。

これを聞いた方向性を考えているTは、「最後の追い込みとして、できるだけ説明会を目立たせたビラを、できるだけたくさん撒いて説明会に来てもらう」ということだと認識する
というわけで、ビラ作成の際もそのように手直しもしてもらって原案を作ってもらう。。

また4月のビラ配りは、担当を一人決めて、そのほかは任意で参加だったために人が集まらなかったと見ていて、シフトを組めばもっと配る人数を増やせると考えていた。

さて、その後印刷・ビラ配りにTは参加せず、説明会に行くと、、
*配るビラは両日あわせて1000枚になった
ということを知る。

2000枚でも足りないと思っていたのに、これは無意味に近いと感じる。

そして、その夜はちょうどミーティングの日だった。

* *

ここで状況を整理すると、
全体の方向を考えている(経営的視点)Tは、
「3500枚配って1人しか来なかった」、「シフトを組めばもっと人を増やせる」
と考えている。この背景には、「ビラまきは千一(1000枚で1人こればいい方)」という形式知があり、これらをもって
「このままでは、誰も昼休み説明会にこない。
そして、ビラ作りから輪転、配った努力が無駄になってしまう」
という「こうである」という現状のイメージ(=暗黙知の認知的側面)
を持っている。
そして、
「あと2500枚くらいは撒けるし、そうすれば一人か二人はくるだろう」
という「こうあるべきだ」という未来のイメージ(=暗黙知の認知的側面)を持っている。

一方、この時点では、現場がどう考えているかはわからない。

●ここで、コンサルがよく批判される、形式知しか見ないアプローチとはどんなものかというと、


ミーティングにて

「ビラまきでは、千一が常識ということです。しかも、4月は3500枚配ったのに1人しか来ていない。となれば、5月の説明会に来てもらうには1000枚ではとても足りない。
4月はシフトを作らなかったから、配る人が集まらなかったが、今度はシフトを作ればもっと人は集まり、配れる。最低、あと2000枚は増刷しよう。ちなみに、朝配りに来れる人は?」

Q「それだけ配っても来ない可能性が高い」
A「それはビラ配り自体の意味を否定している」

Q「紙がもったいない」
A「ビラを配ると決めた以上仕方ない」

Q「日にちに○をつけるのは効果的だが、それほどの量で可能か?」
A「○は、必ずしもつける必要はないが、やるきになればできる」

といった具合に進む。
この状況で、無理やり決定すると・・

輪転(印刷)には、もしかしたらTしか来ないかもしれない。

そして、朝時間通りにくるのは、来るといった人より少なくなるのも目に見えているし、
何より今後に支障を残してしまう。

* * *

(おそらく)うまくいかない最大の理由は、
現場が持っている暗黙知の認知的側面を見逃しているからである。

Q「それだけ配っても来ない可能性が高い」
A「それはビラ配り自体の意味を否定している」

形式知、あるいは論理的に言えば、ビラ配りをすると決めてビラを作ったのに、数を配ることが無意味と思う、というのはナンセンスである。
しかし、実際にビラ配りをやってみて、

「このままビラを配っても、配る労力にあった成果を挙げられない」

という暗黙知を得たのである。

いうまでもなく、これが「こうである」という現実のイメージである。
そして、

「何か別のアプローチをすれば、人が来てくれるかもしれない」

という未来へのイメージを持っている。

実際のミーティングでは、

こうした暗黙知がTにも伝わった=表出化(*1)された ため、

「すでに刷って、丸をつけある残り500枚をできるだけ(6人参加)、前日に手渡しで配り、残ったものは今までどおり教室撒く」

ということになった。

* * *

さて、ここで、
「ビラをたくさん配る」のと、「手渡しで配る」の、
どっちがいいの??

というのは、疑問に残る。誰か知っていたらぜひ教えて欲しい。

これを統計学的に証明しようとすればやって入れないことはないかもしれないが、毎年新入生も変わるなど変化のファクターが多すぎて、まあ難しいだろう。

結局のところ、誰にも「答え」はわからないのだ。
だから、やってみて、結果を見ながら少しずつ対応を変えるしかない。
「順応的管理」とか言われるのは、こういうこと。
そして、やってみて得られるのは、数字で出てくる形式知だけでなく、暗黙知も各個人の中にたくさん蓄積される。

しかし、ちょっと視点は変わるが、
「優れた方法で、モチベーションが低い」場合と、
「やや劣るが、モチベーションは高い」場合では、
後者の方が成果が上がる、という研究もある。

私なりの説明では、変化の激しい中では、

どんなに素晴らしいシステムでも、些細なことをちょっと改善すればうまくいくのに、機能しなくなる可能性がある。その結果は致命的なことになる。
一方、ある程度劣ったシステムでも、些細なことを改善することで、計画以上の成果を上げられることもある。

結局、そこで働く人が気持ちよく働き、目的を理解し、より多くのことに気づき、なるたけ早く改善
することが一番重要なのだ。

* *

2つの論点が混じったようですが、今回はここまで。

*1 注 表出化
暗黙知を形式知に転換すること。
あのミーティングでそれが最後までできていたかは疑問だが、
ミーティングの中で、

「テニサー(テニスサークル 一日に数千枚とかビラまきをする)にはかなわない」
「ビラ +アルファの、何かをしないと人は来ない」

といった、コンセプトが表出された、と理解している。
が、それをみんなでしっかり共有するところまではできたかは疑問。

参考というより、ここの理論を紹介しているようなもの

●知識創造企業 野中郁次郎 竹内弘高
(今読み進めている途中)
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by taiji_nakao | 2006-05-10 17:29 | 考え事
2006年 05月 08日
吉野合宿
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まっすぐだから、スギ!





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土+木=土木









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250年かけて育てられたスギ

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by taiji_nakao | 2006-05-08 10:24 | 参加したイベント