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2013年 05月 12日
結局サイトはWordPressに
つい先週に案内したばかりですが、書いたものをアップするにはあまり向いていないことが分かりましたので、WordPressにしました。

味気のないつくりですが、少しずつ手を入れていこうと思います。

見たこと、聞いたこと、考えたことをこまめに書いていきたいと思っています。

「通り過ぎたこと」
http://ntaiji.com/hakken/


こちらのRSSはちゃんと出ますので、もしご興味があればぜひ。
# by taiji_nakao | 2013-05-12 08:24
2013年 05月 04日
新しいサイトをつくりました
このブログをどうするかは決めていないのですが、

最近、 「ntaijiの部屋」 というサイトを作りまして、そちらの方を更新しております。

よろしければ、ご覧ください。
勢いでドメインも取ってしまいました。

ntaijiの部屋

最近、写真を撮るのにハマってまして、といっても、そのほとんどが5分に満たない家と会社の間の写真ばかりなのですが。iPhoneで1か月くらいあれこれ撮っていて、やはり見た感じの色合いにならないので、デジカメを買ってしまいました。

リコーのGR DIGITALの中古の2007年モデルのを買いました。中古でもそこそこしました。自転車を盗まれたばかりだというのに、買ってしましました。

使い方を全然わかってなくて、夜の写真をとったら真っ黒になってしまったり、というレベルですが、iPhoneとの違いは歴然で、少しずつ慣れていって、この絵はいいなあ、と見えた感じを写真におさめられるようになりたいです。もっとも、それに価値があるかはわかりませんが。

Kokenというちょっと変わったCMSを使っています。何度か構築したことのあるWordPressにしなかったのは、カッコよかったから、というだけです。

写真の管理ツールとして、ほとんど設定しなくても、それなりのものができて使えるところがよいです。

コメント機能は無いようですし、RSSを取ると、写真のアップデートしか流れないようで、テキストの方は変えるかもしれません。

最近、あれこれ使っていますが、

技術ネタを、 めも、メモるに、
引用を 引用メモ帳(tumblr)にということにしています。

このブログは長く使ってきたこともあり、どうするか考え中です。
# by taiji_nakao | 2013-05-04 22:54
2013年 03月 30日
iPhoneにみる市場の成熟過程
携帯売り場の者ですが、iPhoneが本格的にヤバいです

という記事を読みました。

要約すると、

iPhone5にインパクトがなく、売れない。
Androidの方が売れている。
Androidの方が売れるのは、機種が多く、選択肢があって多様なニーズに答えることができるからだ。
iPhoneがスマホの絶対的な王者に返り咲くことはないだろう。

ということです。

おそらく、この書き手の売り場に限らずに、全体として上記の通りなのだろうと想像します。
ただし、アップルの製品数が少ないことを批判している点には同意できないですが。

一言で言えば、「スマートフォン市場が成熟化した」に尽きると思います。
ビジネスの書籍でよく「市場の成熟化」という言葉を目にしますが、スマートフォンのここ数年の状況を見て、「市場が成熟していく過程」を消費者として実感できたように思います。

私のスマホ歴について書くと、スマホデビューはIT業界の人としては少し遅れてiPhone4が出る少し前くらいに3GSを買いました。当時、キャリアの選択肢はソフトバンクしかなく、学生時代から使っていたauから乗り換えました。その後、auがiPhoneを取り扱うようになった時、ソフトバンクが4Sに「実質無料」で乗り換えられるキャンペーンを始めました。iPhone4や4Sを見て、欲しいなと思っていた私は早速それにのりました。
使ってみると、やはり3GSに比べて画面はきれいだし、薄いし、早いし、バッテリーが持つ時間も伸びました。

その後、モバイルルーターを使えるようになったこともあって、ソフトバンクを解約して、電話はウィルコムになりました。それでも、iPhone4Sはいつもポケットに入っています。WiFiが使える家と会社ではもちろん、外でも主にカメラとメモ帳として使っています。

iPhone5が出た時、気にはなりましたが、iPhone5を使っている人のものを見せてもらって、特段欲しいとも思いませんでした。リアルでネットで見聞きする限り、iPhone5がよく売れているという話は聞かないです。新しくスマートフォンを買うにしても、5でなければならない理由はない、というのが大方の見方です。

先に紹介した携帯売場の話で言えば、アップルにとって一番の問題は、iPhoneの種類が数が少なくてニーズにこたえられない、ということではなくて、iPhone5と4Sが同列になってしまっていることだと思います。

ノキアなどもありましたが、現在「スマートフォン」と呼ばれているカテゴリーはアップルのiPhoneから始まったと言ってよいでしょう。

これをレースに例れば、ジョブズがiPhoneの発表をした日からスマートフォンのレース大会が開幕したわけです。その時、走っているのは初代iPhoneのみ。スマートフォンがほしい、という人はとにかくそれを買うわけです。一人しかいないので、当然の一人勝ち。

その後、Androidもエントリーされ始めますが、全く勝負になりません。みんな、アップルの新機種である、3GSや4、4Sの車(機種)の走りに夢中です。なんて速さだ!(薄さ、画面の美しさ、処理の速さ、ぬるぬる感など)。観客は後継機種を圧倒してみせる姿に魅了されました。私もその一人でした。

ところが、Android勢も段々侮れなくなってきます。ぶっちぎるiPhoneと団子状の数えきれないAndroid勢(あとノキアとかWindowsPhoneとかも)。先頭を行くiPhone5は、4Sとあまりかわらず、それほど差が見えない。部分的なところ(カーブのテクニックとか??)では、Android勢に負けてすらいるようになります。

確かサーバのメーカーの人の話だったと思いますが、
「お客さんに、『もっと性能をアップしてくれないと困るんだ』と要求され続けているとき、現場は大変だったけど、その当時一番利益が出ていた」というツイートを読んだことがあります。
なんだかしみじみします。

※ただし、2013/03/30現在 iPhoneはまだまだAndroid勢より使いやすいと思います。


iPhoneはこれからどうなっていくのでしょうか。
おそらく2,3年でOS間の差異はほとんどなくなるでしょう。その時、iPhoneを買うことに対するまなざしは、現在高級車を買うことに対するまなざしに近くなるのではないかと思います。

スマホは何を使っているのかと聞かれて、おもむろに数千円のFirefoxOSのデバイスを取り出して、ウェブアプリが充実しているしこれで十分、という方が、高額もしくはキャリアの縛りのきついiPhoneを買うよりずっと「クールだ」と言われるようになりそうです。その時、別のものにお金をかけているはずです。スマートフォン、タブレットの次の。

アップルとしても、成熟した市場で今の利益率を維持できるはずがないので、その「次」でも存在感を示せるか、が勝負になるはずです。「次」は、ウエラブルコンピュータと呼ばれる分野でしょうが、ヒットするのはグーグルグラスなのか、スマートウォッチなのか、あるいは別の製品なのか誰にもわかりません。

そして、その分野で勝てなければ、大規模なリストラが待っているわけです。

iPhoneが売れなくなるとか、次の市場でうまくいかなければリストラが待っている、なんて書くと否定的に取られるかもしれませんが、これは当たり前のことだと思います。市場は変わりゆくものだし、挑戦には失敗がつきものです。

ただ、日本では当たり前ではないようで、新しい市場への挑戦もせず、利益を出せていないのに、高給取りをリストラできず、追いだし部屋なんてものを作っているようなのですから。
# by taiji_nakao | 2013-03-30 13:14 | ITのこと
2013年 03月 03日
なぜ過剰に「空気を読む」のか
精華大学で、「日本語リテラシー」という、作文を教えている知人と話していた時のメモ。

統合的なイメージを持っていないことに対する疑問がない

例えば父親が嫌いだと書きながら、他では父親が好きだ、と書いている学生がいる。こうした矛盾した記述があることに疑問すら感じないという。一面は好きで、別の面が嫌いということは当たり前にあることだが、単に好きと言っておいて、また単に嫌いと言われたら、どうして?と思わないのは不自然だ。しかし、そういう感覚がないらしい。なぜか。

それはつまり、「どうして?」と聞かれる機会をほとんど持たずに生きてきたかららしい。友だちはたくさんいるかもしれない。しかし、断片的な部分を共有する人しかいない。だから、一方で父親は好きといい、一方で嫌いと言っても特に疑問を持たれない。中には、言ってることが違うと気がついても、それを指摘するような関係ではなかったのだろう。


自分を認識する対象を感情に置いている

同じ教室の学生たちのほぼ全員が、「空気を読み合う関係に疲れた」と書いているという。なんともシュールな光景だ。どうして、そういうことになってしまうのか。

断片的な人間関係しかないこととも関連するが、自分が社会の中でどんな位置にあるかという、客観的な物差しを持たず、自分自身の認識の根底を自分の感情に置いているからだろう、というのだ。

例えば、「花いちもんめ」という遊びでは、プレイヤーはストレートに客観的評価に晒される。このような、自分が社会の中でどんな位置にいるのか、ということを受け入れざるを得ない場があって、自分自身の認識をそこにあわせていく機会が、かつてはあった。

しかし、「心を傷つけてはいけない」ということが第一にされ、運動会で一等賞がなくなるような環境では、自分がどんな位置にいるかを知る機会がなくなった。外部との接点において自分自身を把握する軸を持つことが出来なくなった結果、把握する軸を自己の内面に求めるようになる。

手帳にはたくさんのプリクラが貼ってある。誰々ちゃん、誰々ちゃん、友だちがたくさんいて、楽しい自分。自分は楽しく暮らしている。予定はみっちり詰まっている。私は充実している。

自分自身の感情を、自己を規定し、認識するよりどころにしている。楽しい自分。
しかし、感情とは移り行くもので、不安定なものである。そして、その感情を自己認識のよりどころにしていることをお互いにわかっているが故に、負の感情を呼び起こすようなことは決してしない。このようにして「空気を読む」関係になっているのではないか、というのである。
※この辺りの分析は「友だち地獄」という本に詳しいらしい。

まだ知らない本当の自分がある

例えば、自分は歌手になりたいという学生がいる。しかし彼の歌声はひいき目に聞いても上手いと言えない。それで、ちょっと歌手になるのは無理じゃないかと指摘すると「どうしてできないと言えるのですか」と真顔で返される。

自分にはまだ自分もわかっていない本当の自分がいる。この感覚は、私自身も身に覚えがある。リアルな社会との接点から導きだすのではなく、ぽんと出てくる、発見するものだという感覚。

客観的な評価に晒される機会を持たず、個性が大事と言われ続ければある種必然の結果なのかもしれない。

その背景に「個性」が大事であり、「自己表現」が大事である、という価値観がある。大事なのは間違いないが、なぜか過剰に優先しようとする人が多い。
# by taiji_nakao | 2013-03-03 09:47 | 考え事
2013年 01月 20日
映像を作るワークショップに参加して
昨日、ショートムービーを撮る、短歌をまず作って、その短歌をタイトルにしたショートムービーを撮る、というユニークなワークショップに参加した。

(短歌制作の部分もとても刺激的だったけど、今回は省略)私たちのチームは「しりとりをしていて声が小さくしていって、距離も縮めていく」という趣旨の短歌で映像を作ることになった。いろいろ考えて、「レズビアンである一人が仲の良い親友にその気持ちを伝えようとするが、最後に踏みとどまる」というテーマに決まった。

設定上、私はカメラ担当になった。

とりあえず屋上に出て、「好意を抱いている方が引っ越しの物件を見に来ていて、そこで一緒に住まないかという形で想いを伝えようとする」という設定でやってみるが、これが、難しい。で、あれこれ、みんなで、うーん、っとなっていた。そこで映画監督である講師の方が来られて、まずやってみたら、とアドバイス。

で、やってみて、とりあえず、会話をしてみる。広い家だったね〜 リノベーションしようと思ってる 手伝ってくれる?

で、途中からしりとりに行くわけなのですが、これがどういけばいいのかわらず、そのままフェードアウト。

講師からは、前置きが長いねなどいくつかコメントを頂く。その後、私がどう思ったか聞かれる。

3人のチームだったので、全体を見るのはカメラ担当のみで、成り行きで演出担当(と呼ぶのが正しいか自信はない)に近いものにもなる、ということをその時に知る。

といわれても、う〜ん、となってしまって。最後はどうなるのか決まっているのかと聞かれて、踏みとどまる所以外は、実はまだ決まっていない。と、メンバーの一人が答える。そのときはこれで出来るのか不安だった。

でも、とりあえずやってみることが重要と言葉を思い出し、進めているうちに、私はリズムに乗っていった。

まず、やってみる。それで不自然なところを見つけて、それについて2人に伝えて、みんなでどうしたらいいか考える。

とりあえずの結論を出して、再度やってみる。その繰り返し。

「人を機械のように扱っている」という誤解を恐れずにいうと、これはアジャイルと呼ばれるプログラム開発の手法そのままであり、私は「ではやってみましょう。よーい、スタート」と言うときは、(いつもウェブアプリを開発しているので)、ブラウザに画面を切り替えてF5キー(再読み込み)を押して、今作った箇所を動かしてみている時の心境そのものだった。

それで不自然なところを見つけて、止めて、どうやって解決するか考える。

まずは自分で結論を出して進めるしかないが、ある程度の段階、あるいは自分で結論を出せなくなったときにみなで会議する。

その時の会議に「この画面のレイアウトの不自然さ(例えば、ボタンの位置が分かりにくいなど)を解消するにはどのような仕様にするばよいのか」を議論するのと、映像を作っている時にみんなで、「不自然さをなくすためには、どのようなセリフ/動作であれば自然か」を議論するのがすごく似ていたから、もう、とても慣れた作業だった。

そうやって進めているときに、メンバーの一人は演劇の経験者だったのだけど、私に演劇とかやってたことあるんですか、凄く指摘が的確です、っていわれて、とても嬉しかった。

ただ、思い当たることはあった。私は、「あらゆる人の気持ちを先入観や偏見なく共感したい」ということを人生の大きなテーマにしている。これはカウンセラーの心得であり、一時期本気でカウンセラーになりたいと考えていた時期もある。

だから、この人はどういう感じ方/考え方をしているのだろうってことをいつも理解しようとしてきた。そして、映像のシーンで「この人物はこのような言動を取ることがふさわしいか」と考える上で最も重要な視点になる。

そしてもう一つは、営業資料を作ってきた経験。例えばウェブサイトのデザインを決める会議では「初めて見た人に伝わるか」ということが常に問われる。提供側は四六時中関わっているから何もかも知ってしまっているが、お客様は基本はふらりとやってきた、知識も関心レベルもどの程度あるかわからない存在だ。だからこそ、意識していつも「これで初めての人に伝わるか」ということを議論している。

映像にする場面を見つめるときも、まさにこの営業資料作成会議の時の気持ちでいて、
「これで本当に伝わるか。」と考えていた。

この2つの要素を日々意識していることが、実は映像を撮影するときに非常に役に立った模様。

そして、これもプログラム開発にも通じるのだけど、生の経験があるかということがとても大事。
(撮影とプログラム開発に関しては、かなり共通点があるので、これは別にまとめる予定)

例えば、「一緒に住まない?」としつこく迫った後に、気まずさをごまかすために、誘う側は一緒に住むことのメリットを並べるのだが、私にはシェアハウスに住んでいる知り合いがたくさんいて、彼らがそのメリットとして、「一緒に食事をする人がいることのありがたさ」を語るのを散々聞いているので、やはり、食事については触れてもらう方がよいだろう、とか。

こうやって、僅か3分程度の映像を撮るために、2時間くらい散々考え抜いたので、すっかり映像を見る感覚が変わった。

その後、講師が制作した映画を観たのだけれど、一つ一つ、例えば、2人の男女の座ったときの距離とか、そういうところに目がいくようになった。

他にもたくさんの発見があったのだけれど、昨日のワークショップは本当に気づきが多かった。
# by taiji_nakao | 2013-01-20 09:55 | 参加したイベント