2005年 07月 27日
山仕事サークルのフィールド・雲ヶ畑では惟喬(これたか)親王にまつわる話がある。
どうも、都を逃れて雲ヶ畑にやってきたようだ・・ ということから、この辺、調べてみようということになり、いつもミーティングの後にしているミニ勉強会のネタに決まった。この担当になった後輩と今日、とりあえず、ネットでチラッと調べた程度の知識で、今日と歴史資料館には相談室というのがあったので行ってみる。 資料室は図書館の一角といった感じ。本の数自体はそれほど多くないが、スタッフが4人くらいるのには、思ったよりも充実していて驚く。 とりあえず、歩いて本を見てみる。「京都市通史」とか「北区~」というものを探すが、分厚く何冊もある大阪市には目が行くが見つからない。 人物誌というところで、惟喬親王の欄を発見、いくつかの書籍が出ていることを知る。 が、やはりせっかく来たのだ、ストレートな資料が欲しい。 聞いてみると、「ああ、惟喬親王ね」という反応。さすがだ。 「ここにある、惟喬親王に関わるモンジョですね、ここに京都市、北区ですね、ここに地域ごとに載っています」 ささっと本を取り出し、開く。 「このファイルに一覧もあるので、こちらも参考に。」 ・・モンジョ? なんだっけ?と思いつつ、「そんなことは当たり前」と軽やかに進む職員さんの前に知ったかぶり。 そうか、文書として残されている、一次資料の事ね・・まあ、それは渡された本を見ればわかる。さっそく二人して、見る。 どこどこの村と境界を争ったとか、合併とか、山林所有を示すもの、納めた年貢などの記録・・ しかし、どうやら惟喬親王関連の文書はないようだ。 * * * 「惟喬親王の家臣の今江家の文書があります。・・それから、惟喬親王に関連する玄武寺の文書もあります。」 いったいどうやって調べたの?? 「これが、今江家の文書の一部です。これがここには20ありますが・・」 A5サイズくらいのパンチのファイルが全部で、30~40はあろうか。それがきっちりと上半分を切り取られた箱に入っている。 その一つをパラっとみると、題名すらうろ覚えだが、~への伝達 などとあり、原文のコピーがファイルされている。内容は、、読めない草書の文字たち・・ そう、これは今江家の文書。 「玄武寺の文書は今、管理室にあるので、はい、申請用紙のここに記入してください。 ・・・えっ? 玄関のゲンです。」 玄がかけない・・・・ なにやら怪しい字(せかされて、いや、自分で勝手にせいて、上の「まぶた」が出てこなくて、ムに「く」が二つの字)を書く。 情けなさをこらえる。こちらの文書は4点ほど。 読めない以上、この時点でわれわれのここでの任務は終了しているのだが、 せっかく準備してもらったので、一通りは、読んでるふり・・ こちらは書かれた時代が新しいのか、楷書体なので読める。内容も6割はわかる気がする。一部、惟喬親王のことが書いてある。が、たいしたことはないようだ。 たっぷりある、いや目の前にたくさんあって、まだこの20倍が埋まっている今江家文書を見ながら、なるほど、こうやって一次資料に当たるんだな、ということを知る。 「今江家のほか当たりますか?」という言葉に首を振り、資料館を去る。 しかし、普通、文書の前に、二次資料である論文でしょ、、さらに今の知識ならまず書籍、これからだよなあ。という当たり前の結論が頭を横切る。 図書館の検索で、なんやかんやしたが、結局「惟喬親王」で検索すると、アッサリ。 * * * ちょっと分厚い本を左手に載せて、どんどん話してくあの職員さん。フル回転の頭の中は、あらゆる資料が行き来していたに違いない。本をのせるその左手が、ちょっと不自然だったのは、長年の経験から来る、本の重みを支えるのに楽な持ち方だからなんだろう。 しかし、いつの間に「今江家は・・、玄武寺は・・、」と出てきた時は、た・ま・げ・た!! 最初の会話から惟喬親王について一度調べたことがあったのかもしれないが、 それにしてもすごい。 図書館の司書の方もそうですが、地味でありながら、 こういう資料の管理・検索のプロフェッショナル、いいですよねえ。尊敬します。
by taiji_nakao
| 2005-07-27 02:37
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