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2006年 01月 28日
環境教育ミーティング
今日は、エコロジーセンターの環境教育ミーティングへ。杉良も、広く参加者を募って活動している、広義の環境教育実践者として呼ばれた。
 当初当てにしていた団体が参加できなくなって、こちらにお声がかかったらしいのだが。
 活動紹介をしてくれればよいとのこと。つまり、エイギョウである。一人、ML登録者をみつける。なんでも、環境教育を養成する機関に勤めていた人らしい。

 まあ、面白かった。いろんなことを実践してる話も面白いのが多かったけど、シンポジウムの話も面白かった。
 シンポジウムでの報告をちょっとまとめると、、

●NPOサイド
 環境市民、気候ネットワークなど一部の団体では既に学校での環境教育での実績を残しているし、多くの団体でも経験を重ねつつある。そして、教育全体の中のどのような位置づけで行われているかに興味が持つようになっているが、どこまで教育の現場に踏み込めるのかといった点で戸惑いがある。

●学校サイド
 教師側としては、週休二日制に伴う授業数減や、総合学習に求められる分野の多様さ等から受け入れられる時間には限界がある。また、最終的にはその学校の校長、担当教師のやる気の有無にかかっており、いなくなれば途絶えてしまう。ビオトープなどは典型で、後は文字通り野となる。こうした現状では、「単発的な「体験学習」になってしまうのはやむを得ないし、それでも十分生徒にとっては、とくに成長という観点から見れば大変有益であると考える」(高校講師)

 一部のNPOは力をつけてきており、もっと時間も欲しいし、継続してやりたいし、全体の中での位置づけもはっきり知りたい、と考える段階にきているようだ。
 このやりとりを聞いて思い出したのが、福祉における、園芸療法の話。姉は園芸療法の勉強してて、園芸療法が施設に働いている人に「たまに外につれてってくれて、気分転換にもなるし、いいね」程度に扱われていることに不満を持っている。そこには、「便利屋」てきな見方をされているという憤りもあるようだ。園芸療法も「療法」の一環であり、それはその施設の経営方針の中で位置づけられた上で実施されるものであるべきのだと。そのためには、「植物大好き」だけではダメで、もっと福祉の専門家としての自覚と実力が必要なのだと。

 現場の高校教師が、「単発的な「体験学習」になってしまうのはやむを得ないし、それでも十分生徒にとっては、とくに成長という観点から見れば大変有益」と発言している心情は、まさに福祉施設の職員が園芸療法の対するものとそっくりだろう。そして、当然ながらプログラムの質の向上こそが一番大切というのは、今日も強調されていた。「環境が大切という思い」だけではダメなのだ。

 ここから、より実力のあるNPOは総合学習のプログラムを作成する段階から加われるようになればより良い、という結論になる。

 しかし、いきなりそうした教師とNPOがうまく出会うとは考えにくい。NPOのデータベースが必要だろうというのが今日いくつかでた意見だった。そして、それをコーディネートする人が必要であると。さらには、それはエコロジーセンターがその役割を担っていきたいということだ。

 現状からいうと、学校の現場では、意欲のある校長または、教師のいる元でなら、NPOと学校の協働はありえる。まず、この校長なり、教師なりが、コーディネーターと相談する。ここでコーディネーターはコンサル的な役割も求められる。

(外部の人と協働するということは、その行為そのものに、コンサルティングを受けるのと同じ意味があり、実は組織にとっては、協働による結果そのものよりも、それによる意識変革に一番意味があると思うし、今日、さらにその思いを強くしたが、その点についてはまたあとで)

 こうして、相談して、現実的にどういった関係がいいか検討する。そうして、依頼するに適したNPOを一緒に選び、今度はその人たちと授業を作っていく。校長と連携できれば、数年スケールのカリキュラムも可能かもしれない。

 こうした実績が重なっていけば、今度は何らかの権力のある機関が音頭をとって、教育委員会に働きかけ、その地域の教育のガイドラインそのものを変えていく、ということにつながるかもしれない。そうなれば、特に意欲ある先生がいなくても、NPOと協働の授業は可能になるし、お金も出てくるだろう。

 エコセンはその音頭を取る団体になりうるか、という質問をしようとした。が、まず手を上げている人を確認し(最初は認識されていた)、その後順に指していく中で、忘れられてできなかったけど。まあ、今はその段階ではないね。

 あと、その後の交流会ではいろんな人と話せて楽しかったのだけど、こういう懇親会、立食パーティーからでて一人になると決まって虚しい気持ちになる。いろんな人と話せるが、いつもその人は他の人とも話したい、ということを考えないといけない中での会話。そして、「ああ言っておけばよかった」とか「誤解されてるな」とか思うことばかりが残る。

それでミスミルを大音量にして、歌いながら川端を北上して帰ったのでした
by taiji_nakao | 2006-01-28 17:36 | 参加したイベント
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