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2006年 02月 10日
ボランティア団体とサークル
一昨日、山仕事サークル杉良太郎のミーティングがあった。もう、そろそろ新歓の季節だけれど、昨年入ってきたメンバーから、紹介するにも、どういう団体なのか把握できてないし不安だ、という声があった。で、「杉良ってどんな団体?」と題して、ミーティングの場で、みんなにまず質問を書いてもらい、その質問に答えながら杉良をPRする、というワークショップをした。

この日初めての人が偶然にも二人いたのもあったか、「ボランティアではなく、サークルと名乗っていることの意味は?」という質問が多かった。
そして、メンバーのPRも「気軽に参加できるから、いろいろな人と出会えて楽しい」というのが多かった。まあ、一人が言うとそうかなあと思う、波及効果みたいなものもあるのだろうけど、なるほどなるほどとうなずく。
初参加の人もそれをとっても肯定的に評価してくれた。

ここでいう「ボランティア団体」の意味は、その活動の意義や内容を上が決めて参加者はその指示通り動く、という傾向があることを指す。そして、なぜじゃあそんな学校みたいなとこにくるのかというと、社会的意義に共感し、実践したいという思いが第一にあるからだ。現在、こうした団体は少ないと思うので、「旧来ボランティア」と呼ぶことにする。一方、ここでいう「サークル」の意味づけは、参加者がそれぞれ様々な動機を持って、とにかく楽しみたい、というのを基礎にしている。社会的意義は、いってみれば、それに付随するものである。サークルといっても、いろいろなので、自立的サークルと呼ぶことにする。

以下、こうした意味合いを持つ、旧来ボランティアと自立的サークルについて自説を書いてみる。

●運営に関すること
旧来ボランティアでは、強力な代表を中心として活動の枠を決め、その中に参加者が入ってもらうという形の運営をする。一方、自立的サークルでは、どんな形の参加も歓迎する。一度しか参加しないかもしれないし、飲み会しか来ない、MLを読むだけect とにかく、自分からやりたいと思っている人がやりたい分だけやってもらう。前者では、人を巻き込むために、いかに自分達の活動が社会的意義があるのかを訴える。後者は、自分達の活動がいかに楽しいかを訴える。
後者は、義務を課さないので、運営には難しいところもある。しかし、そのためにも、自立的にコミットする価値があると思われるように心がけることに尽きる。
また、学校のような活動になってしまう背景には、トラブルへの対応方針がある。これには決定的な対応策はないのでどの団体も悩んでいるのだが、とにかく「自分達が知っている。決まったことだけをやってもらおう」という意識が強すぎると、参加者は、特に意欲ある参加者はつまらない思いをする。逆に言うと、そういう空気が強すぎると、言われたことに従うだけの人ばかりになってしまう。自立的サークルの原則は、「怪我と弁当は自分持ち」である。弁当も実はけっこう重要で、主催者はできるだけ面倒な準備をしないで、参加者が自分で準備するというスタンスは続ける上で大切なポイントだ。
いまどき、リーダーがトップダウンで一部始終進めていくなんて時代遅れだと思うが、話によるとそんなところもあるらしい。

●社会的意義の話
こうしたどちらのタイプにしても、根底に社会的問題があり、それに問題意識を持っているからなのだが、この取り扱いは難しい。現代の問題は非常に複雑であり、本質をとらえるのが困難である。それに、たとえ本質をとらえていたとしても、複数の利害関係者が存在するから、単に正論を突き進めればいいというものでもない。温暖化にしても、生物多様性の問題にしても、専門家と呼ばれる人たちも今なお答えを追及しているのである。また、地域にはそこに暮らす人がいるし、関係する業者も多く存在し、そこには生活がかかっている。
しかし、人間は思い込みが強い生き物だ。無償でコミットしている人が、その中での苦労、苦しみを転嫁する先に社会的意義を持ってきたときは厄介である。本人には哀れとしか言いようがないのだが、害でしかなくなってしまうこともある。
また、こうした草の根団体の一番の強みが何かといえば、継続性にあると言える。大きな予算を持てる団体なら、大規模に社会を変える事ができる。しかし、草の根の団体は、そこに関わった人の根によって10年、20年のうちに少しずつ、しかし確実に効果を挙げていくものなのだ。
仮に、複雑な問題の本質をとらえるだけの専門性を持ち、さらに、利害関係者との折衝もできたとする。しかし、そんな人は一握りしかいないし、ついていける人もわずかしかいない。そして、問題自体も変化するのだ。特定の問題にスポットを当てれば、大変だとされていたことが、実はたいしたことなかったとか、解決するとか、そういうことがある。
では、草の根の一番の力、継続性を保つには何が重要かといえば、団体の魅力である。その活動に参加したいという、魅力。そのためには、運営している人たち自身が心から楽しめることに尽きる。
ならば、社会的意義については放っておいてよいかといえば、もちろん、そうではない。団体としての方向性は少しずつ変わることがあっても、ある程度同じ方を向いていなければ、人が離れていく。こうした方向については、リーダーがトップダウンで伝えるものではない。それは、活動の断片断片、人との会話、活動への姿勢、活動の内容等の中で自然に伝わっていくものである。というより、活動の中で自発的に感じるものだ。それに関することをしているのだから。その中で感じないようなのものはうそだ。もちろん、コアのメンバーが強くそれを理解しているだろうが、みんなで少しずつ共有し、作っていくものである。そうやって伝えられていくもので、それは、それを受けた個人が、内面から共感するものでなければ意味がない。
by taiji_nakao | 2006-02-10 12:42 | 考え事
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