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2007年 05月 05日
(あたらしい教科書シリーズ) 11 民芸
あたらしい教科書シリーズは、本のデザインがかっこ良くて、前から好きでしたが、内容は期待の割にイマイチ、というところがありました。
が、本書のできはすばらしい、と思います。
民芸(ホントはこの文字ではない)運動には以前から興味があった。
使いやすいデザインが美しいという、「用の美」の考え方には、共感します。シンプルがいい。
そして、柳宗悦の「手仕事の日本」を読んで、庶民の暮らしに親しまれてきた道具は、
*「用の美」をもって美しい
*職人が手作りでよいものを作り上げてきた
という内容に、うんうん。とうなずいた。
職人、地域活性化に興味があって、日頃から、ちまたに溢れている民芸品が観光土産となったり、京都の伝統産業のように、超高級化・豪華絢爛になって、「用の美」を失ったことにがっかりしているものとしては、柳宗悦の「民芸運動」にはずっと興味を持っていた。
しかし、去年、東京の民芸館に行ったとき、展示されている道具が、ちっとも庶民の暮らしの道具でなく、むしろ、豪華で高価なものばかりだったことに違和感があって、納得できなかった。
そんな疑問に、本書は正面から答えてくれる。
民芸運動は、相当大掛かりな運動だったのですね。
日本の工芸の広い分野を一変させる力を持った、大きな、歴史の1ページだったと。
では、なぜ大きな流れになりえたのかを拾い出してみる。
思想的な面は(用の美など)、今回は、パス。

(1)時代をリードする一流デザイナーの受け皿となった
 緻密な技巧を追い求める工芸界の主流に不満をもつ、新進気鋭のデザイナーが集まった。中心人物その人たちの能力も高かったし、人材の発掘、コーディネート、育成にも積極的だった用だ。 棟方志功などは、本書を読む限りでは、運動を推進したというより、運動によって世の中に出て行ったという感じだ。

(2)新しいことに意欲的に取り組んだ
 (1)にもつながるけれど。分業から1人で全体をデザインする一貫制作など。この辺は、拾い読みの知識。

(3)パトロンの存在

(4)積極的な全国啓発活動
 柳宗悦は、全国の民芸品を認定して回った。民芸館を全国に建てていった。このあたりは人材育成ともからむ。

(5)消費者運動として推進
 東京銀座に、出店など。「たくみ」(行ってみたい。)
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時代背景をみると、「都会の消費文化の急成長」に「民芸なるもの」がのっかっていった。
ということらしい。
芹沢ケイ介のデザインは、「民芸なるもの」を象徴するものとして定着した。
都会人が、「田舎的なものに憧れ」、それを消費する、という構図が出来上がった。
それが、具体的には観光ブームを巻き起こした。
観光ブームは、地域にとってろくなことがなかったようだ。
(磨き丸太も観光ブームで、全国に旅館ができて、和風なら床の間があって、そこに「和風なイメージ」な人工絞り丸太が使われたから、爆発的に需要が拡大して、まあ、北山は驕り街道、転落街道への道に踏み込んだわけですが)
暮らしに使うものより、「土産用」が断然高く売れたため、みんなそっちに流れてしまった。
こうして、「用の美」は失われてしまった。
民芸運動とは、失われた用の美を取り戻す運動と思っていたら、失わせた原因だったとは・・
工業製品がどんどん使いやすくなっていく中で、地域にある道具は、どんどん「土産化」していった。
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興味深いコラムとして、「ディスカバージャパンと民芸なるもの」(p121)
1970~76年に、当時の国鉄が、行ったキャンペーン。
国鉄は、ライバルとして、テレビを想定した。
娯楽の時間にテレビじゃなくて、旅に出よう、というわけ。
で、「自分らしさと日本らしさの発見」というのがコンセプトだったらしい。
ところで、最近のポスターでも、似たようなものになって、驚いた、というコラム。
ここで筆者は、「長い時間を経てもなお影響を与え続ける感覚を作り出した」民芸運動、ディスバージャパンがすごい、と言っている。
私の感想としては、いまだに、田舎には、「今の私の忘れているもの」がある、という「憧れ」を求め続けているのだな、と思った。
1970年からずっと、求めていて、ずっと手にすることができていないもの。
思うに、もともとそんなものは幻想だからだ。
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民芸運動が、消費の急拡大の中で大きく広がって、やがてはその結果、「民芸」が陳腐なものになってしまった。
なるほど。生まれて、物心ついたときにはすでに陳腐なものになっていた世代にはわかりにくい。
その運動の核心についてちゃんと整理して、理解しないであれこれ書くのもなんだけれど、ここまで全国的に広がることができた理由は、「成長している流れ(消費の拡大)」に乗った、というのが一番大きい。
では、今の時代成長している流れ、とはなんだろう?
と考えると、あまりにステレオタイプだけど、ウェブ2.0と呼ばれるもののような気がする。
今は流行という面が強いけれど、生産者と消費者が深いところまでコミュニケーションをする、ということが非常に合理的なことで、重要なことだから。
いかに、多くの人とローコストで、コミュニケーションを深め、新しいものを作っていけるか。
デザインという面で見ると、民芸運動の芹沢(といっても今日初めて知ったのだけど)にあたるのは、google的なあのやわらかいデザインを思い浮かぶ。
インターフェイスが機能的で、使いやすいもの。
そういうデザインを通して、情報が隅々まで浸透し、嘘はつけなくなり、いいものが、あるいは、それをいいものを思う人によって、評価されるものが、作られる。
そういう方向にいく。ってことは、まあ、よく論じられていそうなので、この辺で。
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これまでは消費者運動がどこまでも進んだ。
その極限は、アメリカ的な、風呂敷に、
「このマントでは空は飛べません」
とただし書きがされる、というところに見られる気がする。
そうやって、「消費者は神様」という考え方が突き進んだ結果、確かに多くの改善があったのだkれど、問題もある。
というのは、誰しも生産者でもあるから。
こういう状況では、生産者は奴隷になってしまう恐れが常にある。
一方で、前近代的な生産者は、未だに、消費者運動の波を知らずに胡坐をかいていたりする。
こういう状況で、人はみな、消費者であるとともに、生産者である、どちらか一方ではなく両方であり、
消費のために生産するのではなく、生産のために消費するのではもちろんなく、
消費し、生産する「生活者」として生きている、という認識のもと、
生活者がより豊かになるにはどうしたらいいか、
という追求が必要なのではなかろうか。
***

というような、ことやらを、
日曜研究家として、ちょびちょび考えることにしました。
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by taiji_nakao | 2007-05-05 20:49 | お勧めの本
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