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2007年 06月 24日
ユビキタス・コンテンツビジネスのすべて
広告会社は変われるかという本で、メディア媒体が電子化する中でコンテンツ作成者はどのようなビジネスモデルで収益を得るのか、という疑問があった。内容的にぴったりの本を見つけて、喜んで買う。

機体の割りに、なんだか、全体に国の政策の無批判な紹介が多く、旧来の価値観を前提とした、いかにも「教科書的」な雰囲気が全体に漂っている。という不満はある。
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「広告会社は変われるか」と同じように、ユビキタス社会ではメディア媒体は携帯、テレビ、PCなど様々な形を取るもの、それらは一元管理が可能なユビキタスネットワークとなるという。

●ハード面

・日本は携帯電話が強いのでPC→ 携帯へと機能が移る?

・ICタグが変える。
昨年から、急激に増加しているという。バーコードと異なるのは、データの更新ができるという点。また、非接触型もある。
情報がICタグに埋め込まれ、リーダーでそれを読み取る、というのが情報伝達の主要手段となるのはそう遠くないらしい。というより2008年あたりに爆発的に増加し、2010年には相当普及するという。

林業でも、ICタグを普及させようという取り組みがあって、その目的として、流通管理はもちろん、「在庫を担保にして、有利な融資を受ける」も大きいという。このあたりは、又聞きで詳しくないけれど、在庫を担保にするということ自体、今までなかったらしい。つまり、ICタグという存在が新しいビジネスのあり方を作ることに一役買っている。ところで、現在ではICタグは1つ1000円位するらしい。どのくらい安くなるんでしょうか。

・コンテンツビジネスではプロバイダの役割が重要
と思った。個人の消費者はネットワークとつながるためには必ずプロバイダを通ることと、プロバイダは個人情報を持つからである。したがって、ネット上の課金システムではプロバイダが徴収するのが一番自然に見える。

●ソフト面

・マルチユース
メディア媒体(プラットフォーム)が一元管理できるということは、一つのコンテンツをいろいろなメディア上で配信することを容易にする。今だって、売れれば映画、マンガ、書籍、テレビ、DVD・・といろんなメディアで儲けるわけですが。それが今よりずっとやりやすくなる。

・著作権
この本では、コンテンツは有料であり、違法コピーや海賊版を排除する仕組みが不可欠である。としている。それでうまく行くなら、そのとおりだとは思う。着メロはそれがうまく行った。成功の一番の理由は、作曲家の著作権は日本音楽著作権協会(JASRAC)が一元管理しているため、利用者が使いやすいということと、違法コピー・海賊版を追い出すことがしやすかったことにある。違法コピーであるか否かをチェックできる電子透かしなどの技術の発達もこの機能を助けるだろう。
何よりも著作権の管理をスムーズにすることが一番重要であるが、日本ではなかなか進んでいない、というのが現状。著作権管理の難しさをちょっと垣間見る。

・スーパープロデューサー
特定のスタッフが常駐するスタジオより、あるコンテンツを作成するプロジェクトを立ち上げ(目的会社)、その作成に適した人材と資金を集めるという形式が増えている。求められるコンテンツの質が非常に高くなるのが一点。なぜなら、あらゆる人がコンテンツを作成できる時代では、コンテンツビジネスがどんな形態をとるにしても、世の中に溢れる無料のコンテンツより圧倒的に質が高くなければお金を生み出すことができない。
このとき、スタッフを集め、資金を集め、方向性を明確にし、各種の調整をする、「スーパープロデューサー」が重要になる。

ところで、コンテンツビジネスはバクチである。そして、かかる費用はどんどん膨らんでいる。売れるかわからないものに、これほどに莫大なお金を使う、ということに限界を感じるのは私だけか。ゲームでは、ドラクエとかFFとか、映画も。もう、何十億とかいう単位で、それで受けないかもしれないのに。技術の質は高いことは保障できても、面白いかはべつである。
うがって見方をすれば、大量に広告を流して、知名度で人を入れるようにするしかない気がする。というか、実際、今の映画って制作費より広告費の方が大きいと聞いたことがある。これは消費者に対して誠実な態度と思えない。

・コンテンツファンド
面白いと思うのは、コンテンツファンドの動き。自分が応援したいコンテンツ制作に、出資できるというもの。以前、ミュージックファンドというものの存在を知ったとき、これは面白いと思った。もコンテンツとは別に、日本人は貯蓄率が高くて資金運用は銀行や郵便局に任せていて、その多くが例えば米国債に変わっていて、それが兵器となっていても無関心(各言う私もですが)である。

資本主義の世界では、人は消費者として、生産者として、そして投資者としてコミットしている。経済的な枠組みで世の中を変えたいなら、それぞれの立場での行動を変える必要がある。経済の範囲が広がっている中でのなおさら。と思う。
APバンクなんかは有名だし、ちょっと極端な例かもしれない。しかし、自分が共感できるビジネスに投資することで応援する、というのは自分の共感できる社会を作るための直接的なコミットである。

コンテンツでもそうで、例えば広告にそんなにお金を使ってくださるなという「物言う投資家」になることもできる。コンテンツファンドの場合、「いくつ売れれば収益分岐点」なんていうのもわかるからわかりやすくて面白い。

さて。
この、広告にダーンとお金を使って、膨大な制作費用を背景にした巨大コンテンツを大量に売る、というモデルではなくて、個々が共感できるコンテンツに資金集めから協力して作るモデルがいい、という議論からは、プロ野球の「巨人がスーパースターをそろえ、巨人戦放送で金を稼ぐモデルか、地域密着型モデルか」という話を思い出す。
実際の財務状況を知らないのだけれど、お金を稼ぐなら、(今のところ)巨人戦モデルの方が合理的だ、という話が本当のような気がすることをここに書き添えておく。

理想は、情報化が進んだけっか、リアルを伴った本物(撮影には細部までこだわるとか)のコンテンツで個人が共感できるものの情報を、コストをかけずに個々人が得られるようになって欲しい。これは広告費の限りなく0を実現する。
広告にカネをかけられることは意味を成さなくなり、何よりコンテンツの質で評価され、制作プロセスもまた評価される。
そのためには、資金調達システムの発展も重要なんだろう。

まとまりがないですが、この辺で。
by taiji_nakao | 2007-06-24 08:25 | ぷろぐらま
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